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すごいボリュームでしょう?
この手帳は、サカキシンイチロウさんの、
2005年の「ほぼ日手帳」です。
あれ‥‥この手帳、どこかで見たことがある!
というかたも、きっと、いらっしゃいますよね。
そうなのです、この手帳は「ほぼ日」に
これまで何度か登場しています。
『ほぼ日手帳公式ガイドブック』の
いちばん最初のバージョンである
『ほぼ日手帳の秘密』(2005年、幻冬舎刊)では、
このサカキさんのスクラップ手帳が、
ユーザー使用例のいちばん最初に登場していますし、
2013年にも、あらためてこんな取材で
ふりかえって語っていただいています。
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「“ゴキゲン”をあつめたスクラップブックとして」
という、サカキさんの使い方は、
2005年当時、とても新鮮でした。
しかも、切り抜きを貼ることで、
全体の束(つか=本の厚み)が増えていくことを、
まったくいとわずにたのしんでいるサカキさんの姿勢が
とても面白かったのです。
1冊使い終わったとき、サカキさんは、
白紙のページを切ることで、
せめてものボリュームダウンをしました。
(それでも、かなりの厚さ!)
そして、その年の思い出として、
クローゼットにずっと保管してきました。
なぜ、いま、サカキさんの
2005年のスクラップ手帳を思いだしたのかというと、
2015年版の「ほぼ日手帳」まわりのアイテムとして、
こんな商品をつくったことがきっかけでした。
「ほぼ日手帳 製本キット」
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手帳に背や表紙をつけて、
書棚に置いて、ときどき読みかえすことができるよう
「本」のかたちにするキットです。
このキットを監修してくださったのは、
美篶堂(みすずどう)さんという、
長野県伊那市美篶にある、製本の会社。
ハンドメイドの製本を丁寧におこなうことで定評があり、
それ自体がアートといえそうな特殊な美術本の製本から、
一般の人が手軽に使うことのできる
ノートなどの紙製品まで、いろいろとつくっています。
東京の神保町にある美篶堂のショップは、
文具ファンや紙製品ファンになじみのあるお店。
「ほぼ日手帳」をつくるチームのメンバーにも
美篶堂のものづくりの姿勢が好き!
というファンがいたことから、
このコラボレーションが実現しました。
そして、メンバーが思いついたのが、このこと。
「サカキさんの、あのスクラップ手帳を、
このキットで製本したら、
きっと、すてきじゃないかなあ?!」
さっそくサカキさんに提案したところ、
「ぜひ、やってみたいです!」
という答えがかえってきました。
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![サカキさんが語る、2005年のこと。](images/t_01_2.png)
「ぼくの手帳を本に? うれしいです。
ぜひよろしくお願いします。」
と、サカキさん。
「ほぼ日手帳」を手に、2005年のことを
話してくださいました。
2005年というのは、
忘れようにも忘れられない年です。
外食コンサルタントである父の会社を継ぐことを決め、
その準備をはじめた年でした。
父のやってきたこととは違うことをやろうと
海外に拠点をつくったり、
ネットビジネスを模索したり。
我を忘れて仕事をし、
それをまた忘れるために必死に遊ぶ。
すごく忙しかったけれど、
徐々にあたらしいことがはじめられた、
興奮の年でもあるんです。
2005年は、いろんな意味で、
自分が変わらざるを得なかった。
それ以前だったら
「スーツを着ない人生」も選べたんでしょう。
けれども父の会社を継ぐ決意をしたときから、
スーツを着る人生が始まった。
あたらしい分野の仕事を始めた人間だからこそ、
スーツは人並みであること、社会に参加することの
象徴のようなものでした。
このスーツは、1998年に思いきってつくり、
その後あまり着ていなかったものを直して、
2005年によく着ていた、そんなスーツなんです。
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けれども、スーツを着れば着るほど、
自分が嫌いになっていきました。
それは、仕事ばかりしている自分そのもの。
じゃあ、本当の自分とか、
なりたい自分は、どこにあるんだろう?
それを記録しておくことができたのが、
「ほぼ日手帳」だったんです。
ここは、楽しいこと、やりたいこと、ほしいものを
とにかく貼っていく、ゴキゲンな場所。
‥‥いま読み返すと面白いです。
レシートが貼ってある!
ほら、こんなに高いステーキを食べていたり、
友人たちとホテルで朝食会をしたりしています。
上海蟹も、フカヒレも‥‥あ、お茶屋遊びまで。
外食コンサルタントである自分とは別に、
たのしみのための食事にこんなに(笑)!
ところが、2005年の手帳は、後半が白紙です。
これは「楽しいことがひとつもなかった」という思い出。
さらにその後、ぼくの仕事は、
2009年をピークに、急降下をします。
詳しいことはさておき、ある出来事をきっかけに、
会社を整理することにまでなりました。
その頃は、「ほぼ日手帳」がまったく使えなかった。
夢の設計図であると同時に、夢の記録である
ぼくの「ほぼ日手帳」。
こういう夢を見たいなということが、
まったくなくなってしまったのですね。
「私」を我慢しながら
どんどん「公」の人になっていった。
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やっと落ち着いた今になって、
この製本のお話をいただいて、
そんなことを、ぜんぶ、思い返しました。
そしてやっぱり手製本にするなら、
あの2005年の手帳だと思いました。
スクラップの部分はすべて
「スーツを着ないで済んだとしたら」という人生。
それを、嫌でも着なくてはならなかったスーツが包む。
一見、矛盾しているようですけれど、
いいスーツを着て、いい時計をして、
いい靴を履いているのがハッピーだろうと思って、
つき合っていた人たちがいっぱいいたなかで、
そういう人たちに知ってもらわなくてもいい、
スーツを本当は着たくなくて、
時計が必要のない生活をしたかった自分が、
「ほぼ日手帳」の中にあります。
スーツをつくった1998年ぐらいからの
7~8年がこの中にもあるし、
ここから先の7~8年も、この中にある。
それでいま、本にすることで、
ぼくにやっと戻って来る。
そんなふうに思っています。
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![美篶堂の会長に、おねがいしてみよう。](images/t_01_1.png)
サカキさんのこの「ほぼ日手帳」を
手製本にしよう、と思いついたのはいいけれど、
おおきな問題に直面しました。
まず、サカキさんからの提案である
「スーツの生地を使いたい」という件。
そして、手帳の厚さです。
上質なスーツの、やわらかくてストレッチ感のある素材は、
ちょっとぼくらのDIYでは、手には負えなさそう。
そして本体に、ここまでボリュームがあると、
そのまま製本したら、
小口(ページをめくるほう)側が
扇みたいに開いてしまいそうです。
つまり「自分たちでは、できない」。
それが問題でした。
そこで、ぼくらは、だれよりも製本にくわしく、
いまも現役で一流の製本職人である
美篶堂の会長、上島松男(かみじままつお)さんに
相談をすることにしたのでした。
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(つづきます!) |