• 2023年夏、知り合いのすすめで
    あだち充さんの代表作『タッチ』を
    人生ではじめて読み終えた糸井重里。
    そのおもしろさに興奮し、目頭を熱くさせ、
    そのまま『ラフ』『みゆき』を
    一気読みするほどハマってしまいました。
    そこから話はひろがり、ご縁はつながり、
    運やタイミングもおおいに重なりまして、
    なんとなんと、あだち充さんご本人との対談が
    「ほぼ日の學校」で実現となったのです!
    マンガ界のレジェンドだというのに、
    本人はとても冷静で、おちゃめで、
    つかずはなれずの飄々とした雰囲気に、
    あだち充マンガの原点を見たような気がします。
    会うのも話すのもこの日がはじめてのふたり。
    まずは『タッチ』の話からスタートです!

>あだち充さんのプロフィール

あだち充 プロフィール画像

あだち充(あだち・みつる)

マンガ家

1951年生まれ。群馬県出身。血液型AB型。1970年に『消えた爆音』(デラックス少年サンデー)でデビュー。『タッチ』『みゆき』『クロスゲーム』など大ヒット作多数。この3作品で、小学館漫画賞・少年部門を2度受賞。2008年には単行本累計2億冊突破の偉業を達成。現在は『ゲッサン』(小学館)で『MIX』を連載中。

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第4回 うーん、11歳かな

糸井
細かいところは決めずに、
のびのびと描いていたマンガが、
そのあとすごい人気になって。
あだち
だから部数とか見ると、
ちょっと怖くなりますよね。
じぶんとしてはそんないっぱいの人を
相手にしてるなんて‥‥。
糸井
つもりはない?
あだち
ほんとうにないんです。
描いているときは。
ありがたいことなんですけど。
糸井
マンガを描くとき、
なんとなく誰に見せてるとかあるんですか。
あだち
ときどきインタビューでは、
「子ども時代のあだち充に向けて描いてる」
というふうには言います。
そいつに喜んでほしいと思いながら
描いているつもりです。
それは、いまだにそうですね。
糸井
おおざっぱに何歳くらいなんですか。
その彼は。
あだち
うーん、11歳かな。

糸井
おぉーー。
あだち
そのくらいだと思います(笑)。
糸井
そのくらいの年の子だったら、
女の子のことばかり考えてますね(笑)。
あだち
はははは、そうかもね。
まあ、女の子の描き方は難しいですけど。
糸井
そこは難しいんだけど、
あだちさんは落語がお好きだって聞いて。
あだち
はい、大好きです。
糸井
好きな落語家の名前の中に、
女の人を上手にやってる人が多いと思ったんです。
三遊亭圓生さんなんかも、
ちょっと色っぽい女の人を出しますよね。
あだち
いいですよね。
糸井
そのあたりはマンガの中にも
相当入っているんでしょうね。
あだち
影響はかなり大きいと思います。
落語は子どものころから好きですね。
あのころはラジオでも落語を流してましたし。
糸井
多かったですよね。
あだち
もちろんテレビでもやってたし、
高校時代は落語の本もずっと読んでました。
一応、うちのマンガは間(ま)を
褒められることが多いんですけど、
そりゃあそこはもう‥‥。
糸井
そうか、落語の間だ。
あだち
うん、落語でしかないですね。
糸井
それ、発明だって思いませんでしたか。
マンガ家が絵で間をつくるって。

©あだち充/小学館 ©あだち充/小学館

あだち
編集には「へんだなぁ」とか
言われましたけどね。
「このコマなんだ? 
これ、要らないだろう?」とか(笑)。
糸井
(笑)
あだち
たしかにそう言われちゃうと
要らないコマなんだけど、
じぶんは「入れたいんだ」と。
だからそのへんは30過ぎてから、
けっこうわがままにやってますね。
糸井
いま「ちょっとだけ入れた」みたいに
ご本人はおっしゃるけれど、
実際ものすごく入ってますよね。
無音のまま時間の経過だけっていうシーンは。
あだち
あんなに要らないだろうってね。
言うな言うな(笑)。
糸井
もしあのマンガのセリフ集をつくったら、
かなり薄いんでしょうね。
あだち
それは編集からもずっと言われてます。
写植を打つためにネームを
編集が取りに来るんですけど、
『タッチ』はセリフがものすごく少ないと。
逆に『名探偵コナン』の担当は
めっちゃくちゃたいへんみたい(笑)。
一同
(笑)
糸井
でしょうね(笑)。
あだち
うちはセリフのないページが
2、3枚つづくことがありますからね。

©あだち充/小学館 ©あだち充/小学館

糸井
映画の影響もなくはないと思うんですけど。
あだち
あー、そうですね。
糸井
とくに光がまぶしかったり、
こっち側からの光に照らされて
どうのこうのみたいな表現は、
当時の若い映画監督の作品によくありましたね。
あだち
当時はへんな実験映画を見て
頭が痛くなったことはありますけど。
でも影響は大きいと思います。
糸井
当時の東京だったら、
名画座もいっぱいありましたしね。
あだち
名画座、よく行ってましたね。
いつも新聞を見ながら、
あそこで何々やってるぞとか。
「ぴあ」なんかない時代ですから。
糸井
それこそちょっと上の世代が、
「なんかやってやれ」と思って
カメラをひっくり返してみたり。
あだち
そうそう。
糸井
時代の空気を共有するかのように
撮り合いっこしていたあの中に、
じゃあ、あだち青年もいたわけですね。
あだち
マンガ界もそういう感じでしたね。
いろんな才能があっちゃこっちゃで出てきて。
そのころがあったからこそ、
いまマンガ界がなんとかなってるわけで。
当時は子ども時代を過ぎたら
マンガは卒業するみたいな時代だったのに。
糸井
それを団塊世代の人たちが読みつづけたから。
あだち
そのまんまいったもんだから、
ありがたいことにそのまんま商売になっちゃった。
それは団塊世代のおかげですね。
糸井
つまり、電車の中でマンガを読むことを
怒っているオヤジがいた。
それを新聞に投書するようなことをしてた。
それに対して凝りもせずに
電車でマンガを読みつづけたっていうのが、
たぶんぼくら団塊世代の大仕事でしたね。

あだち
はい。
糸井
そうか、それがよかったんですね。
あだち
ほんとうにありがたかったんです。
だって、まさか70過ぎてまで、
マンガを描いてるとは思わないじゃないですか。
糸井
あのころにマンガをやめないで読みつづけた。
同時に少年マンガのあとに
青年マンガまでどんどん出して、
市場をそのまま拡大していったっていうのは、
それが商売とはいえ、ありがたかったですね。
あだち
もう、それがすべて。
そこに出ていったんですから、うちらが。
当時はしっかり耕された田んぼがあって、
あとは稲が実るのを
待つだけみたいな状況でしたから。

(つづきます)

2024-02-18-SUN

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