パリコレ進出から10年、
FENDIと協業したミラノコレクションを発表したり、
映画『竜とそばかすの姫』の衣装を担当したり、
ビヨンセのステージ衣装を手掛けたり。
光を当てると色の変わる服、
サイズ感の壊れた服、球体の服、
そして創立以来のアイデンティティである
独自のパッチワーク。
ブランドの創立者である森永邦彦さんが
「服」について考えている、興味のつきない事柄。
何より、森永さんご自身が
静かなびっくり箱みたいな、
「興味のつきない人物」でありました。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>森永邦彦さんのプロフィール

森永邦彦(もりながくにひこ)

ANREALAGE代表取締役兼デザイナー
1980年東京都国立市生まれ。
2003年早稲田大学社会科学部卒。
大学時代からバンタンデザイン研究所に通い、
卒業と同時に
「ANREALAGE」(アンリアレイジ)を設立。
継ぎ接ぎの手縫いの服作りから始まり、
今までにないファッションを生み出そうと
最先端のテクノロジーを取り入れ、
光の反射する素材使いや球体・立方体などの
近未来的デザインを手掛ける。
「日常」と「非日常」をテーマに
様々な異分野とのコラボレーションを行い、
国内外の美術館での展覧会にも多数参加。

【経歴】
1980年 東京都出身
2003年 早稲田大学社会科学部卒業
2003年 ANREALAGE設立
2005年 東京コレクションデビュー(東京タワー大展望台)
2014年 パリコレクション進出
2019年 (仏)LVMH PRIZE ファイナリストに選出
2019年 (日)第37回毎日ファッション大賞受賞
2020年 伊・FENDIと協業したミラノコレクションを発表
2021年 「竜とそばかすの姫」(細田守監督作品)衣装を担当
2021年 ドバイ万博日本館公式ユニフォームを担当
2022年 宇宙航空研究開発機構(JAXA)と協業したパリコレクションを発表
2023年 ビヨンセのワールドツアー「Renaissance」衣装を担当

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第3回 服で生きていこうと決めた日。

──
神田さん‥‥天才ですね。
森永
そうなんです。
──
酔っぱらった状態で言ったんですよね、
それ。
森永
神がかってました。
──
光が当たらずに白く残った部分を
影に見立てる‥‥ということですよね。
何も、黒だけが影じゃないんだ‥‥と。
森永
神田さんの一言がなければ、
あのときのショーだけではなくて、
いまのANREALAGEもない。
ぼくはそれまでずっと、
神田さんと服をつくりたいと思っていて、
でも、つくれなくて。
だから、あのときはじめて、
「神田さんと一緒に服をつくれた」んです。

──
お話をうかがっていると、
森永さん自身の才能はもちろんですけど、
人との出会いも大きいですよね。
洋服に興味を持つところから、すでに。
森永
そうですね。
──
洋服をつくりたいと思うきっかけを
つくってくれたのは、
通っていた「代ゼミ」の先生ですし。
森永
西谷昇二先生という超人気の先生で、
当時カリスマ講師と言われてました。
──
同じくらいの世代なので、
ぼくもお名前だけは知ってたんですが、
ある日の授業で、その先生が、
教え子である神田恵介さんのつくった
洋服を紹介して、興味を持った‥‥。
森永
はい。
──
そのお話をうかがう前に、それまでは、
ファッションに興味はあったんですか。
バスケをやっていたそうですけど。
森永
中学高校のすべてを、注いでいました。
バスケットボールに。
──
『SLAM DUNK』世代ですよね?
森永
モロに。
だから、いま渡邊雄太選手のスーツを
つくっていたり‥‥夢のようです。
こんどワールドカップがはじまるので、
ドキドキしています。
──
自分は中学のとき野球部で
バスケはぜんぜん知らなかったんですけど、
ジョーダンとかマジック・ジョンソンとか
ラリー・バードとか‥‥
アメリカの初代ドリームチームについては、
ほとんど全員の名前を言えました。
ユーイングのバッシュも履いてましたし、
カップラーメンのテレビCMには、
『Born to be Wild』をバックに
チャールズ・バークレーが出ていましたし。
何かすごいブームでしたよね、思えば。
森永
高校のとき、バスケ雑誌の『HOOP』に
マジック・ジョンソンとバスケができます、
というキャンプツアーが載ってたんです。
マジック・ジョンソンは
当時「神」だったんで応募したんですけど、
当たっちゃったんですよ。
で、急にアメリカへ行くことになって、
マジック・ジョンソンと
アメリカでバスケをやってきたんです。
──
引きが強い‥‥。
森永
ともあれ、その高校が「私服」で、
バスケ部の先輩は、みんなおしゃれでした。
先輩たちは「原宿」へ行ってるらしい、
俺たちも行こう‥‥って。
当時、裏原にNOWHEREができたころです。
──
UNDERCOVERのJONIOさんと、
A BATHING APEのNIGOさんがつくった、
裏原の嚆矢となったお店ですね。
オープンは93年だと思いますが、
森永さんが通いはじめたころっていうと、
90年代半ばくらいですかね。
森永
95年ですね。高1からなので。
すごい人数が並んで服を買っていました。
ようやく店の中に入れても、
もう、買える服がほとんど残っていない。
Tシャツが2枚しかないんだけど、
薄暗い店内で、
カーキなのかな、ネイビーなのかな‥‥
わかんないんだけど、とりあえず買って、
外で確認しようみたいな(笑)。

──
ファッションにすごい力を感じてた世代。
わかります。
森永
そこからはじまって、
とにかく人と違う洋服が着たいと思って、
(クリストファー・)ネメスとか
ヴィヴィアン(・ウエストウッド)、
トライヴェンティ、
ビューティービースト‥‥
どんどん過熱していったんですけど、
結果、スカーフを巻き出したり、
爪に色を塗ったり、香水をつけたり‥‥。
──
そんな人が、バスケもやってたんですか。
森永
派手な服を着て試合へ行って、
汗ダラダラなのに
髪の毛だけはしっかり整えてるみたいな、
そこに全力を注いでいた時代があり、
でも、だんだんまわりから、
「おまえ、なんかちょっと変じゃない?」
みたいな(笑)、
そんなふうに言われはじめたときに、
ちょうど、予備校がはじまったんですよ。
──
そこで、西谷昇二先生と出会った。
森永
予備校でも、裏原の洋服屋さんみたいに、
授業に並ぶというカルチャーがあって。
西谷先生の授業を聞きたいがために、
始発に乗って代々木に朝の7時に着いて、
9時の授業のために並ぶんです。
先生の授業が、本当におもしろくて、
先生の言葉を一字一句、逃したくなくて、
テープレコーダーを持って。
──
はい。
森永
いつも授業時間の10分くらいを割いて、
映画や音楽や文学、
ファッションの話をしてくれて、
それも、すごく楽しみだったんですが、
あるときに、
まったく無名のデザイナーがつくった
ワンピースを紹介したんです。
──
あ、レディースだったんですか。
森永
そうです。すごい変な服だったんです。
ワンピースなんですけど、
前と後がまったく違う素材でできてて、
裾の長さもランダムだし、
左右もアシメトリー、
未完成の洋服のように見えるんだけど、
でも、これまでに
ぜんぜん見たことのない洋服なんです。
──
セザンヌの絵の話を聞いているみたい。
森永
西谷先生は、
「この服は、かつての教え子だった
早稲田の学生がつくったもので、
彼のつくる服にはぜんぶ、
曲のようにタイトルがつけられている。
彼は、服のかたちと色と素材で、
自分の考えや思想を表現しているんだ」
と教えてくれたんです。
──
おお。
森永
そしてこの服をつくったデザイナーは、
この服をラブレターとして
好きな女の子に渡すんだと言っていて。
当時の自分は、すごい純粋だったので、
これはヤバいなと思いました(笑)。
──
つまり「すごい」と。
森永
それまで「ファッション」って
ただ、自分を着飾るためのものだって、
思っていたんです。
でも、そんなふうに、
洋服にも、
音楽のようにメッセージ性を込めたり、
映画のように
ストーリーを語ることもできるんだと。
大げさでなく衝撃を受けました。
──
で、授業のあと先生のところへ行って。
森永
はい、いつもだったら、授業のあとは
先生のところに人だかりができて、
その10分間の、
映画や音楽の話の続きを聞くんですね。
でも、ワンピースを見せてくれた日は、
誰もいなかったんです。ぼく以外。
みんな、あんまり興味なかったみたい。
──
森永さんには「衝撃」だったのに。
森永
1対1で話すのもはじめてでしたが、
「今日の話が
いちばんおもしろかったんですけど」
「みんな反応悪かったよな」って。
──
つまり、そのワンピースをつくった
「早稲田の学生」が、神田恵介さん。
森永
はい。神田さんに会いたいがために、
早稲田を受けることにしました。
いちどだけ西谷先生が
神田さんに合わせてくれたんですが、
そのとき
「弟子にして下さい」と言いました。
──
きっと神田さん的には引き気味ですよね。
いきなりそんなこと言われても。
森永
そう、だから神田さんが
早稲田の社会科学部にいると聞いて、
当時はスマホもない時代ですから、
自分もそこへ行かない限り、
もう会えないって思ったんですよね。
西谷先生にも、
自分も早稲田の社会科学部へ行って、
神田さんを見つけて、
洋服づくりをしたいですと言ったら、
先生は、否定しなかったんです。
──
すばらしいですね、先生。
森永
そうか、それが早稲田を目指す理由でも
いいと思うって、全肯定してくれて。
西谷先生が肯定してくれるのならば、
もう一点突破しかない、と。
そしたら、試験に合格できたんです。
──
「肯定」って、
若い人に勇気と力を与えますよね。
で、めでたく神田さんにも会えた。
森永
はい、出会ってしばらくしてから、
神田さんが、都内の某私鉄の車内で
自分の服のショーをやったんです。
たしか、午後9時24分の渋谷方面行き、
吉祥寺発の駒場東大前止まり。
その電車に乗っていると、
次から次へ、
モデルが乗っては降りていくんですね。
──
電車の通路をランウェイにした‥‥。
森永
ぼく、その電車で通学していたんです。
つまり、いつもの日常的な景色が、
モデルが服を着て歩くだけで、
非日常な空間に一変してしまった。
ファッションって、一瞬にして
日常を非日常へ変えることができる。
こんなことがあるんだ‥‥って。
──
なるほど。
森永
そのときに決めたんです。
自分も服をつくって生きていこう、と。

(つづきます)

2023-09-24-SUN

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  • 森永さんの率いるANREALAGEの
    「体験型展覧会」が、
    渋谷PARCO8階にある
    「ほぼ日曜日」ではじまったので、
    さっそく「体験」してきました。
    いつものほぼ日曜日のスペースが、
    6つの部屋に仕切られています。
    ここからして、非日常。
    ドアの向こうへ足を踏み入れるときの
    ドキドキするような感じ。
    まず、無心に遊んでしまったのは、
    2番めの部屋。
    特殊なライトを当てると、ふわ~っと
    色が変わる服が展示されています。
    これ、いつまでもやっていられる、
    不思議なおもしろさ。
    「花」も色づかせることができます!
    そして、何より圧巻だったのは、
    5番目の部屋です。
    ここでは又吉直樹さん、志村洋子さん、
    ほぼ日乗組員の渡辺弥絵、そして
    糸井重里の4名が持ち寄った
    それぞれの衣服をこまかく裁断し、
    パッチワークで
    まったく新しい服に仕立てています。
    これが、かっこいいのです。
    現物を間近で見れるので、ぜひとも。
    メイキング映像もおもしろいですよ。
    最後、唯一撮影不可の第6の部屋では、
    不意に感動してしまいました。
    お買い物もたのしい。
    売り切れてなかったらTシャツをぜひ
    チェックしてみて下さい。
    10月9日まで、どうぞお見逃しなく。