「自分はどうしてこんな、
どうでもいい仕事をしているんだろう?」
そう感じていた世界中の人々の心を打ち、
日本でも「紀伊國屋じんぶん大賞2021」で
みんながすすめたい書籍第1位に輝いた
『ブルシット・ジョブ』という本があります。
著者は文化人類学者のデヴィッド・グレーバー氏。
仕事や社会について、読む人に
新しい視点をもたらしてくれるもので、
4000円超えの分厚い本ながら、たしかに面白い。
とはいえ専門的な話も含むので、
こういった本を読み慣れていない場合は
やや難しさも感じます。
そこで、翻訳を担当された酒井隆史先生に
解説をお願いしたところ、
あまり知識がない人でもわかるように、
内容をかいつまんで教えてくださいました。
これからの働き方や生き方を考える、
ひとつの参考資料になれば嬉しいです。
担当は、ほぼ日の田中です。
>『ブルシット・ジョブ』著者
デヴィッド・グレーバー氏プロフィール
デヴィッド・グレーバー(David Graeber)
1961年ニューヨーク生まれ。
文化人類学者・アクティヴィスト。
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授。
著書に『アナーキスト人類学のための断章』
『資本主義後の世界のために
─新しいアナーキズムの視座』
『負債論─貨幣と暴力の5000年』
『官僚制のユートピア―テクノロジー、
構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』
『民主主義の非西洋起源について
―「あいだ」の空間の民主主義』
(すべて以文社)、
『デモクラシー・プロジェクト
―オキュパイ運動・直接民主主義
・ 集合的想像力』(航思社)など。
酒井隆史(さかい・たかし)
1965年生まれ。大阪府立大学教授。
専攻は社会思想、都市史。
著書に『通天閣─新・日本資本主義発達史』
『完全版 自由論:現在性の系譜学』、
『暴力の哲学』(ともに河出文庫)など。
デヴィッド・グレーバー氏の著作は
『ブルシット・ジョブ―クソどうでもいい仕事の理論』
(岩波書店)
『官僚制のユートピア』
『負債論─貨幣と暴力の5000年』(以上、以文社)
の翻訳をおこなう(共訳・監訳を含む)。
訳書としてはほかに、マイク・デイヴィス
『スラムの惑星―都市貧困のグローバル化』
(共訳、明石書店)など。
- ──
- 本の中で、働くことについての
「道徳的倒錯」の話もありました。
- 酒井
- これも本のポイントですけど、
社会に役立つ仕事をしている人の報酬が
低くなりやすい理由として、グレーバーは
「労働そのものに価値がある」というモラルに
ルーツのひとつがあると言うわけです。 - ヨーロッパでは中世ぐらいから
「労働はそれ自体が人を成長させたり、
人を規律正しくさせたりするポジティブな価値である」
という発想があるんですね。
これ、日本でも強いですけど。 - でもこの発想って、労働の中身を問わないわけで、
道徳的倒錯を生みやすいわけです。
- 酒井
- 労働自体に価値があるのだから、
その中身は問わなくて、むしろ
「実際に役立つものより役立たないもののほうが
行為として純粋で、価値がある」
「苦しければ苦しいほど意味がある」
「社会の役に立つ非労働より、
役に立たない労働のほうが道徳的に優っている」
そういう倒錯まで生まれてくるわけです。 - なんだか「健康になれるなら死んでもいい」
みたいな話ですけど。
- ──
- そうですね(笑)。
- 酒井
- そして日本の近代って、
ある意味、そういう労働規範をきつくしながら
進んできたところがあるわけです。
「どんな内容でも働くこと自体がすばらしい」
とかって。 - 特に戦後、そういう倒錯的な労働モラルが
どんどん強くなっていって、
それが資本主義とうまく絡まり合っていた時代が
しばらく続いていたわけです。 - ところがいま、資本主義がどんどん限界を迎えている。
とりわけ気候変動やコロナのパンデミックで
限界が可視的に現れてきていて、
多くの人が「このまま進むのは無理では」
と感じ取っている。 - そのなかで現実と、これまで広く受け入れられていた
労働のモラルとが大きく乖離して、
その倒錯がすごく浮いて見えているというか。
- ──
- たしかにいま、昔のような
「労働のための労働」みたいなものに
多くの人が違和感を感じている気がします。
- 酒井
- 昔の日本であれば、倒錯したままでも
良かったかもしれないんです。
すごく単純に言うと、何も考えずに倒錯していれば、
だんだん地位が上がって、一軒家を建てられて、
老後も安泰。
それが可能であると思われていた時代があったわけです。
一部ではあるでしょうけれど。 - ところがいまや、そういう倒錯に乗っかっていれば
対価を得られる状況ではなくなってきた。
そのなかで倒錯だけが浮き上がってきて、
しかもどんどんその倒錯が
キツくなっている状況だと思うんです。
そうしないともう、もたないというか。 - 他のモラルがまだ見つからないというか。
いま、いろいろ模索されているんでしょうけど。
- ──
- だから、これから労働についてのモラルが
ガラッと変化していく可能性は
大いにあるわけですよね。
- 酒井
- そうですね。一例をあげると、
フィリップ・ヴァン パリースという
哲学者の人がいるんです。
「すべての人が働かなくても対価を与えられて、
それで生存していける」という
ベーシック・インカムを基盤にした
社会の再構築を提唱している人なんですけど。 - 彼は自分の本(※)の表紙に
サーフィンをする人の写真を使っているんです。
- 酒井
- というのが、彼がそのベーシック・インカムの思想に
確信を抱いたきっかけというのが、
夏にグアムかどこかを訪れたときに、
ヨーロッパなどから来て、サーフィンだけをしている
人々の存在を知ったことらしいんですね。
何をやっているかわからないけれど、
サーフィンだけをしている人たちがたくさんいると。 - 彼らはサーフィンばかりしていて、
生産的なことをしているようにはどうも見えない。 - けれどよくよく考えると、彼らは少なくとも、
地球に害は与えていないわけです。
そのとき「生産」の意味を違えるだけで、
もしかしたら彼らのサーフィンは、
この世界に対してポジティブな価値を
生んでいるかもしれないと思ったらしいんです。 - 「地球の再生産にどれだけ寄与しているか」
という視点で考えれば、
ものすごく仕事をして経済をまわすことで
地球の破壊に寄与している人よりも、
ただサーフィンをしているだけの人のほうが
生産性が高い可能性もありうる。
- ──
- たしかにそうですね。
- 酒井
- そういった発想が、彼の理論のもとになっていて。
- ちなみに彼がその報告をしたときに、
有名な倫理学者が
「サーフィンしかしてない、何の生産性もないやつに
どうして対価を与えなきゃいけないんだ」
みたいなことを言ったらしいんです。
本の表紙はそれに対する皮肉なんですけど(笑)。 - そんなふうに、視点をすこし変えることで、
モラルや価値観の意味も変わるし、
我々がどうあるべきかも変わる。
いま、そういうすごい端境にあると思うんです。
答えはまだわからないですけど。
- ──
- ものすごく働いて経済に貢献するより、
何もしないことのほうがいいという価値観が
一般的になることだって、あるかもしれないですね。
- 酒井
- これもグレーバーの話ですけど、
ベーシック・インカムの論理に対する反論には、
さきほどのサーフィンじゃないですけど、
「それによって一日中のらくらしている連中や、
意味不明な発明をする連中、
くだらない歌を演奏し続ける連中が増えたら
どうするんだ」
という反論もあるわけです。 - けれどグレーバーはそれに対しても
「それのどこが悪いんだ。良い社会じゃないか」
と言うわけです。 - でもたしかに考えてみたら
「何が悪いんだ」ですよね。
職場で精神を病むまで働かされたり、
ハラスメントに遭ったり、
みんながストレスで胃を痛くする社会より、
そっちのほうが全然ましなはずなんです。 - どうして我々はそれを、
恐怖と考えてしまうのかってところですよね。
- ──
- 自分たちの生活を犠牲にしていても、
つい、経済的な価値を生んでいるほうが
「あるべき姿だ」と思いがちというか。
- 酒井
- 大阪って、朝のテレビ番組に
「となりの人間国宝さん」というコーナーがあるんです。
円広志や月亭八光が、街に潜んでいる
珍しい活動をしている人を訪ねるものですけど、
関西って、変わった発明家やコレクターが
びっくりするほど多いんですよ。
たぶん表に出ていないだけで、
そういう生き方をしている人って
意外と多いと思うんです。 - 「お金と時間があれば、人はただただ食って寝るだけだ」
というベーシック・インカムへの
反対意見もあるのですが、
「むしろ人はこういうふうにおもしろいことを
さまざまにおっぱじめてしまうのではないか」
ということが、
こんなところで実感できると思います。
- ──
- なるほど。
- 酒井
- もうひとつ重要なのが、
我々の人間像に対するイメージなんです。 - これはグレーバーに限らず
人類学者がよく言うことですけど、
近代の人間像って、すごく画一化されてるんです。
近代人の考える近代的な人間像って、
基本的には
「放っておくてとどこまでも私利私欲を求める、
完全に利己的な存在」なんですね。
そういうのが経済学で人間を考えるときの
基本になっているわけです。
- 酒井
- ところが人類史において、そういった人間像が
あてはまる社会ってほとんどないんですね。
まったくないと言っていい。
どんなに貪欲でも、地球を破壊してしまうとか、
ひとつの民族を絶滅させるぐらいまで
私利私欲を追求する社会って、
資本主義社会以外には、ないんです。 - それは利己的な人が集まりそうなイメージの
刑務所とかでもそうで、たとえば
アメリカの刑務所ってテレビを見られるんです。
だけど、テレビだけを見てのんべんだらりとして
気がすむ人間なんていないんです。 - そういう『何もさせないでいる』のが
いちばん過酷な刑で、
人はとにかく、なにか人の役に立つことをしたがる。
労働条件がどんなに厳しかったり、
対価がなかったりしても、そうなんだと。
そうグレーバーは言うんですよね。
- ──
- 人間はもっと利他的なもの?
- 酒井
- いえ、その「利他」の話も誤解を生みやすいんですけど、
近代社会はいろんなことを
「利己的人間」を基本に考えるので、
その反射として
「利他的人間」という考えも生まれてきたわけですね。 - そして我々は「利他的人間」って、
とことん利他じゃないと許さないところがありますよね。
利他のふりをして利己が混じるのって、
すごく嫌うじゃないですか。 - だけどこれは「利己的人間」という
フィクションを想定するから、
「純粋な利他」という不自然な人間像を
想定してしまっていると思うんです。 - 「利己」と「利他」、その2つは
どんな社会でも絡み合っている。
「利己的人間」と「利他的人間」のどちらかに
完全に偏った社会って、どこにもないんですよ。
「利己」だけで済む社会も、
「利他」だけで済む社会もない。
人間って、基本的にそういう存在ですから。
- ──
- たしかにそうですね。
言われてみれば、当然のことですけど。
- 酒井
- 笑福亭鶴瓶さんが主演の
『ディア・ドクター』という映画
(酒井註/すばらしい作品です)が、
まさにこのテーマなんです。
鶴瓶さんはニセ医者で、過疎の地域で
医者として振る舞っているんですけど、
適当にやるうちにうまくいっちゃうんです。 - 死にそうなおじいさんにどうすればいいかわからなくて、
あたふたして抱きかかえて
「頑張ったな」と言ったら、パッと蘇ったり。
そういうのが重なって、信用できるお医者さんとして
村の人たちにまつりあげられて、
にっちもさっちも行かなくなるんです。 - 研修に来た若い医者とかも、最初は彼を崇めるんですね。
「こんな僻地でこんなに頑張って、
あなたは素晴らしい」みたいに。
そのことに鶴瓶さんは、すごい怒るんです。
「そんなことのためじゃない。おれは全然違う人間だ」
とかって。
しばらくして彼は周りを騙している罪悪感から
逃げ出すんですけど、そのあとで、
かつての同僚で彼の素性を知っている人が
「そんな愛みたいなものじゃないんだ」
と説明するんです。 - その人が「刑事さん」と言って、わざと転けるんです。
すると刑事が抱きかかえるわけです。
そして刑事に
「あなた今、私を抱きかかえたでしょ。
あなた私を愛してますか、愛してないでしょ。
でも抱きかかえるでしょ、それですよ」
と言うんですね。
それを見て「ああ、これだ」と思いましたね。 - 我々ってすぐに
「献身的なのは愛があるからだ」とか言うし、
そういうのが近代の、
「利己」と「利他」のイデオロギー的な
人間像ですけど、
実際には多くの人って、
自分さえよければいいと思っていても、
どこかで人を助けちゃったりするわけです。
逆に、どんなに利他的な人間に見えていても、
どこかで利己を求めてたりする。
人間って、そういうものなんですよね。
- 酒井
- グレーバーは自分のことを
「アナキスト(無政府主義者)」だと言いますけど、
アナキストって基本的に
そういう人間像を描くんですよ。 - グレーバー自身がよく言うんですけど、
たぶん人類学とアナキズムって
相性がいいんです。
アナキズムは「国家のない社会」を展望するけど、
人類学は「国家のない社会」ばかりを扱うので。
そういう社会における人間のありかたを
観察してるんですよね。 - そういう社会では、完全な利己的人間も、
完全な利他的人間も存在しない。
みんなそれぞれにエゴイスティックで、
同時に利他的なんです。
ある部族にフィールドワークに行って、
すごく子供を甘やかして、かわいがっているかと思ったら、
同時にめちゃくちゃ厳しかったり、
気にかけてすらいないように素っ気なかったり。
その隔絶に、人類学者は戸惑うわけです。 - だけどたぶんそれは近代社会でも同じで、
完全に利己的な人間も、完全に利他的な人間も、
本当はどこにもいない。
そういったリアルな人間像に基づきながら、
新しいモラルと仕組みが再構築されていく途上に
いまの我々はいるかもしれないんですね。
(つづきます)
2021-08-23-MON
-
ブルシット・ジョブ
クソどうでもいい仕事の理論著 デヴィッド・グレーバー
訳 酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹
(岩波書店、2020年)やりがいを感じずに働いているのはなぜか。
ムダで無意味な仕事が増えているのはなぜか。
社会の役に立つ仕事ほど
どうして低賃金なのか。
これらの謎を解く鍵はすべて、
ブルシット・ジョブにあった──。
ひとのためにならない、
なくなっても差し支えない仕事。
その際限のない増殖が
社会に深刻な精神的暴力を加えている。証言・データ・人類学的知見を駆使しながら、
現代の労働のあり方を鋭く分析批判、
「仕事」と「価値」の関係を
根底から問いなおし、
経済学者ケインズが1930年に予言した
「週15時間労働」への道筋をつける。
ブルシット・ジョブに巻き込まれてしまった
私たちの現代社会を解きほぐす、
『負債論』の著者による解放の書。