まくしたてるような過剰な実況で
プロレス業界のみならずスポーツ実況に
革新をもたらした古舘伊知郎さんと、
みじかいことばのキャッチコピーを
仕事にしてきた糸井重里が前橋でついに激突!
‥‥って、むりやり対決仕立てにしましたが、
先日開催された「前橋ブックフェス」で
たくさんのお客さんをたのしませたトークショーを
文字で(できるだけ)再現してみました。
古舘さんのあの声を思い浮かべながらどうぞ。

>古舘伊知郎さんプロフィール

古舘伊知郎(ふるたち・いちろう)

フリーアナウンサー。立教大学を卒業後、
1977年、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。
「古舘節」と形容されたプロレス実況は絶大な人気を誇り、
フリーとなった後、F1などでもムーブメントを巻き起こし
「実況=古舘」のイメージを確立する。
一方、3年連続で「NHK紅白歌合戦」の司会を務めるなど、
司会者としても異彩を放ち、
NHK+民放全局でレギュラー番組の看板を担った。
その後、テレビ朝日「報道ステーション」で
12年間キャスターを務め、
現在、再び自由なしゃべり手となる。
2019年4月、立教大学経済学部客員教授に就任。

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第6回 過剰の極みのような実況

古舘
でも、やっぱりすごいなぁと思いますね。
『もののけ姫』の「生きろ。」って3文字は。
糸井
表現をてんこ盛りにしちゃったときには、
イメージが強く残るんですね。
だから、たとえば、海鮮丼を食べて
おいしかったよっていうときには、
「海鮮のなかのなにが」っていうんじゃなくて、
海鮮丼の全体のイメージが残るんですね。
広告やコピーの仕事だと、
イメージが残ることはいいんだけど、
それよりも、もうちょっと、
どこかを突っついて「痛い」みたいな、
そういうことが仕事になってくるんで。
古舘
ああー。
糸井
だから、ことばを短くするっていうのは、
ひとつのやり方なんですね。
古舘
じゃあ、ぼくの実況の場合は、
それとまったく正反対な過剰なことを、
イメージを残したいがゆえに
やってるんだと思うんです。
糸井
はい。
古舘
だから、たとえば、ふっと浮かんだのは、
1988年の横浜文化体育館で行われた
猪木対藤波の師弟対決。
糸井
はい、はい。
古舘
当時、新日本プロレスは
興行的にちょっときつい状態で、
レスラーが大量離脱するような時期だった。
そんななかアントニオ猪木と藤波辰爾の
ものすごい試合は最終的には60分フルタイム。
だいぶ衰えてきた猪木さんと、
元気満々の藤浪。ぼくはもう実況で、

『藤波、猪木を愛で殺せ』とか、
わけのわかんないこと言ってて、
ものすごい気合い入ってて。
さっきの糸井さんの説明に乗っかると、
ものすごく過剰で、なにひとつ
意味のあることを言ってないんですよ。
糸井
はいはいはい(笑)。
古舘
たとえばふたりがグラウンドで、
ガーッと絞め技に入って、スリーパーで決まるか、
っていうあたりのところでは‥‥

『さあ、かつて、この2人には
完全なジェネレーションギャップ、
世代ギャップがあるわけであります。
しかし、考えてみるとベビーブーム、団塊の世代、
まさに糸井さんの世代でありましょうが、
このベビーブームでお兄ちゃんお姉ちゃんは
圧倒的に人数が多かった。
私は昭和29年生まれでありますので、
まさにお兄ちゃんお姉ちゃんの
ビートルズ世代に対して無個性な世代だと言われ、
なんとなく劣意識を持って生きて参りました。
あのビートルズも、ローリングストーンズも、
70年の三島由紀夫の自衛隊駐屯地の割腹自殺も、
アイビールックもすべてわからなかった世代です。
なにもわからなかったけど、
猪木とジョニー・バレンタインの戦いだけは興奮した!

さあ、猪木がこの体勢から!』


とか言ってんですよ。

会場
(拍手)
糸井
すばらしい(笑)!
古舘
もう、ぼくの中では私小説とリングが重なってて、
慣れてる人にはもういいだろうと思ってたけど、
はじめて見た人は、なに言ってるかわかんない。
糸井
ああー(笑)。
古舘
あと、わけのわからない過剰さでいうと、
ぼく、自分の大腸の内視鏡で
実況したことありますからね。
糸井
(笑)
古舘
お医者さんが「やって」って言うんですよ。
だから、けっこう苦しいのに実況しました。
ちゃんと下調べして現場に行って、

『横行結腸に入って参りました、
ちょっと痛くなって参りました、
虫垂が見えてきた、盲腸であります』
とか、
やったことあるんですけど。
糸井
はははは、なにをやってるんですか(笑)。
古舘
もう、過剰の極みで(笑)。
糸井
いや、それはだから、
歌なんかに近いんじゃないでしょうかね。
古舘
ああ。
糸井
歌って、たとえば3分の歌だったら、
3分間でテーマがなにかなんて
どうでもいいんですよね。
その間ずうっと響いてる心地よさとか、
あるいは、締めつけられるような切なさとか、
それがずーっと流れてばいいんで、
男か女か、悲しいのかうれしいのか、
どうでもいいんだと思うんですよ。
マッサージみたいなもんだから。
古舘
ああー、そうか(笑)。
糸井
それを、ほんとうに的確に、
「そこ! そこ!」っていうところを押されたら、
そのツボがなんのツボであるかなんて、
どうでもいいわけで。
だから、古舘さんのその3分とか2分とかの
実況っていうのは時間の芸術だと思うんですよ。
古舘
うわー。
糸井
だから、ほんと、歌に近い。
それに比べると、ぼくらがやってんのは、
どうでしょうかね‥‥
あえて言えば、「あだ名」かな。
古舘
「あだ名」なんですね。
糸井
そのあだ名っていうのが、
逆にその時代になり、その人なりを、
規定してしまうっていうことがあると思うんで。
古舘
そうですね。
糸井
けっきょくのところ、
「名づける」ということなんでしょうね。
当たり前の、内容が合ってることだけじゃなく、
文章の小見出しのようなものでもなく、
それそのものじゃないんだけど、
なにかを呼び出す「あだ名」をつける。
たとえば東京タワーって、
ああいう形で建ってるもので、
東京のなにかを代表するような
ものじゃないじゃないですか。
でも、みんながあれを見たら
「東京だ」って思うわけですよね。
それってもう「あだ名」みたいなものですよね。

古舘
だから、「生きろ。」の3文字に、
もう一回話が戻っちゃうんですけど、
あれって短い「あだ名」でありつつも、
一方で「全体」を表してもいますよね。
糸井
はい。
古舘
たとえば、短い一部にいくら名前をつけても、
「全体」にはならないじゃないですか。
でも、あの「生きろ。」っていうのは
全体を感じさせてくれる。
糸井
そういう傾向はぼくの中にあるんでしょうね。
だから、ぼくの仕事の中には、そういうものが、
ばらまかれてるんじゃないかな。

(つづきます)

2022-12-12-MON

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