1998年に「ほぼ日」がはじまって以来、
これまで数え切れないほどの
「おいしいもの」と出合ってきました。
当然、それらのなかには、
糸井重里の好きなものが多く含まれています。
長くずっと親しんでいるものから、
突然、強烈にハマったものまで、
糸井の「おいしいもの」への情熱が、
ほぼ日のコンテンツや商品につながり、
そこからたくさんの縁が生まれました。
今年の創刊記念日は「たべもの」がテーマ。
そのプロローグのように、
糸井の思う「おいしいもの」について、
自由にあれこれ語ってもらいました。
カレーや白米や餃子を語りつつも、
中身は一貫してクリエイティブの話です。

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第1回 たべものと自由に付き合いたい。

糸井
ここにある写真は、
これまでほぼ日に登場したもの?
──
ほんの一部なんですけど、
糸井さんが好きなものを中心に集めました。

糸井
うん、いいねぇ、どれも。
──
きょうは糸井さんに、
これまで食べてきたものやハマったものなど、
「おいしいもの」についての話を
自由に語ってもらえたらと思っています。
糸井
いま、ぼくに丸投げしようとしましたね。
──
そういうわけでは(笑)。
糸井
ここに並んでいる写真をみて、
あなたはどう思いましたか。
──
あらためて集めてみると、
カレー、餃子、コロッケなど、
庶民的なものが多いなぁという印象です。
糸井
それはそうでしょう。
ぼくはかつて「好きな食べ物はフグ」と書いて、
嫌われたことがありますから。
「高級なものが食べられていいですね」って。
──
好きなものを書いただけなのに(笑)。
糸井
フグは好きだから、
いつだって食べたいですよ。
高級だからどうとかじゃなくね。
──
高いとか、安いとかじゃなく。
糸井
みんな、高いとか安いとか、
どうしてもそこにとらわれるんです。
実際に「庶民的」なんてこと、
ぼくはひとつも考えてないです。
そこはわかっていただきたい。
あえていうなら、
食べものから自由になりたい。

──
自由になりたい。
糸井
グルメって熱狂が入っているから、
「こうじゃなきゃ食えない」とか、
「ああしてこうしてこうするとうまい」とか、
いろいろ条件があるじゃないですか。
そういうこだわりから、
ぼくは抜け出したいって思っているんです。
そういうふうに思うと、
そんなことを考えなくてよくて、
みんなで喜び合えるものっていうと‥‥ええと、
あなたのおっしゃる「庶民的なもの」でしたっけ?
──
はい(笑)。
糸井
あなたは「庶民的」と呼ぶけれど、
ぼくはまったくそんなこと考えてないんです。
どんぶり1杯2万円しようが、タダであろうが、
「このどんぶりはおいしいね」
っていう話をみんなとしたい。
情報だったり、お金だったり、
そういうことにとらわれないで、
もっと自由に食べものと付き合いたいというのは、
ぼくがいつも思っていることです。
──
食べものともっと自由に付き合うには、
どうすればいいんでしょうか。
糸井
前に「ほぼ日の就職論」という特集で、
しりあがり寿さんと対談したじゃないですか。
そのとき、しりあがりさんが
「カツカレーをいつでも食えるぐらいは稼ぎたい」
っていう話をしていました。
──
2007年のコンテンツですね。
じぶんで稼ぐようになると、
カツカレーが注文できるからうれしい、と。
糸井
カレーにカツをのっけると、
当時でいうと1000円を超すわけです。
でも会社で働いてお給料をもらうようになると、
カツを乗っけられるくらいにはなれる。
学生のときはお金がないから、
カツカレーを頼むかどうかで迷うわけだけど、
お金を稼ぐようになると、
その悩みからフリーになれるんです。 
つまり、自由を得たわけです。
──
好きなものが食べられるわけですね。
糸井
邱永漢さんと対談したときも、
いまと同じようなことをいっていて、
ふつうの人はだいたい月100万円使えれば、
基本的にそれ以上はいらないって。
月に100万円あれば、
無限に欲しいっていう心から自由になれるし、
ないないって悩むことからも自由になれる。
それ以上は、基本必要なくなると。
食べものもそうだし、お金もそうだし、
みんなそういうところがあると思うんです。
だからそれ以上の
こわばりとかこだわりがあるとしたら、
それは「ゲームとして遊びましょう」ですよね。
いまのぼくの「ごはん炊き」なんかは、
もう完全にゲームだと思います。
ちょっとクレイジーですから。
──
ずっと研究されてますよね。
ごはん炊きについて。

糸井
答えがわかんないからね。
まだまだ答えがわからない。
というのも、ごはんは主食だから
それ自体だけで食べないじゃないですか。
他との組み合わせでも変化するから、
おためし要素がかなり多いんです。
──
おかずによっても変えるわけですね。
糸井
「これもいいし、あれもいい」っていう、
それが楽しさでもあるし、
わからないっていうことを言いやすい意味では
「無知の知」というか「汝自身を知れ」というのか。
スッと答えなんか出るもんかってところに、
ごはん炊きのおもしろさがあるんじゃないかな。
昨日もごはん食べながら、
「これが答えだって初期の頃には言ったかも」
って思いましたからね。
──
いまはそのくらいでは満足しないと。
糸井
だって「どういう子が一番好き?」って訊かれても、
それって答えられないじゃないですか。
──
たしかに「一番」は困ります。
糸井
そうでしょう。
それ、ごはんも同じなんです。
ぼくは若いときに
「隣で寝息をたててる人が一番好きです」
っていう詩のような発言をしたんですけど、
ごはんも、炊きたての湯気があがって、
ほわぁーってふっくら盛ってるときは、
それはもう、えもいわれぬかわいさですよ。
そういうのがたくさんあるわけで、
「どれが一番いいの?」と訊かれても、
それは決めようがないんです。
そして決めようがないものについては、
やっぱりどうしても付き合いが
長くなっていくんじゃないですかね。
──
一番の炊き方を探しているわけじゃなくて、
ごはん炊きそのものを
楽しんでいるということなんでしょうか。
糸井
両方の要素があるんじゃないかな。
この米をこう炊いてみたら、
どうなるだろうっていう楽しみもあるし。
──
銘柄によっても炊き方は変わりますか。
糸井
変えますね。
ぼくなんて家で精米までしますから。
──
精米もするんですか?
糸井
もちろん精米もします。
食べておいしいと思ったお米は、
玄米で取り寄せますから。
そしたら玄米でも食べたくなりますよね。
そのときの炊き方をどうするかまで含めたら、
もうね、すっごいんですよ。
シナプスのつながり合いが。
──
やれることが無限にありますね。
糸井
しかもお米は毎日食べられるし、
ぜんぜん飽きないですからね。
「いまさらですが」ってことば、
いままで何回使ってるかわかんないけど、
ぼくはいまさらながら、
お米のすごさに感心しているんです。

(つづきます)

2024-06-03-MON

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