50年以上に渡り、日本のミニシアターの
代表的な存在だった神保町の岩波ホールが、
2022年7月29日をもって、
惜しまれながらその歴史に幕を下ろします。
そこで今、岩波ホールではたらく人たちに、
忘れられない作品や出来事、
ホールでの思い出、その魅力などについて
自由に語っていただきました。
神保町では新参者の「ほぼ日」ですが、
長年この場所に集い、愛し、
お客さまを迎えてきた人たちの「声」で、
地元の誇る老舗映画館の姿を
残すことができたらと思いました。
担当は「ほぼ日」奥野です。

写真提供:岩波ホール

>座談会に参加してくださったみなさん

 プロフィール画像

総支配人・髙野悦子さんの肖像画を囲んで、
後列左より時計まわりに。

岩波茂旦さん(ビル管理・岩波ホール経理)
村上啓太さん(10階お客さま対応・経理)
田澤真理子さん(映画宣伝・岩波ホール広報)
島津啓さん(映写技師)
石川亮さん(映写技師)
矢本理子さん(映画宣伝・岩波ホール広報)
小泉美奈子さん(パンフレット編集)

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第3回 「わからない」の贅沢。

──
いま、本って、
1日に何百冊も出てると思うんですが、
その膨大な新刊のなかでも、
「ヒットする本」って
お店にならべた時点で何となくわかる、
とおっしゃる書店員さんが、
たまにいらっしゃるんですね。
矢本
そうなんですか。
──
顔つきがちがう‥‥みたいな言い方で。
映画については、そういうのって。
矢本
わからないです(笑)。
──
あ、そうですか(笑)。
矢本
はい、残念ながら(笑)。
ただ、一般的に「売れる、売れない」については
わからないんですけど、
「岩波ホールではどうか」だったり、
もっと言えば、
「うちじゃないとダメかも」みたいな作品はある。

矢本理子さん  矢本理子さん 

──
おお。たとえば‥‥。
矢本
そうですね、このまえ上映した
『メイド・イン・バングラデシュ』とかは、
非常に岩波ホールらしい映画で、
他の映画館だったら
あそこまで入らないかもしれないよねって、
配給の方もおっしゃってました。
たしかに、何となくなんですが、
岩波ホールでやるからこそ観たくなる映画、
みたいな作品が、たぶん、あります。
──
場所と作品の相性みたいなことですかね。
矢本
そうなんですよね、おもしろいことに。
でも、それって何なのって聞かれても、
うまく説明できない。
すごく感覚的、直感的なものなんです。
田澤
たぶん、ひとつには、
これまでの上映作品という文脈があるので。
──
なるほど。積み重ねがあっての、説得力。
小泉
先日、ある大学の先生に連れられて、
学生さんたちが
その『メイド・イン・バングラデシュ』を、
研究の題材として観に来られたんです。
若い人をはじめ、
岩波ホールで上映するような映画の体験が
あまりない場合、
最初は、けっこう戸惑われたりするんです。
──
作品を観て?
小泉
なぜかと言うと、岩波ホールの上映作品て、
考えながら、ご自身の中で咀嚼して
消化しながら、
観るような映画がほとんどなんです。
若い人たちは、
そうした映画を観たことがないんですね。
逆に言うと、
うちについてくださっているお客さまって
そういう映画の鑑賞の仕方を、
日常的にしてる人たちなんだろうな‥‥と。
──
なるほど。
田澤
先週、ロビーでお客さま対応をしていたら、
観終わったあとに、
「なんかね、
何ヶ所もわからないところがあったけど、
それがよかった」
‥‥って、おっしゃる方がいらしたんです。
そのご意見、何だかいいなと思ったんです。
いま上映している最後の映画、
チャトウィンのドキュメンタリーですけど。
──
ああ、なんとなくわかります。
映画館から、わからないを持って帰るのが、
「いいな」という感覚。
田澤
お客さまは、その「わからないこと」を、
これからしばらくの間、
考えたり思い出したりするんだろうなあ、
そのことが、お客さまにとって
いい体験になったら素敵だなあ‥‥って。
──
ぼくらが子どものころって、
「長年の疑問」ってあったと思うんです。
ずっと心の隅に引っかかってるんだけど、
親や友だちに聞いても知らないし、
調べようにも調べられない。
でも、いつか答えを知りたい‥‥という。
矢本
ああ、ありましたね。
──
いまは、ネットで簡単に調べられますし、
簡単な答えならすぐに手に入る。
それはそれでいい時代だと思うんですが、
わかった気になってしまうこともある。
そういう時代だと、
「ずっと疑問として持ち続ける」ことが、
難しくなってる気がするんです。
矢本
たしかに。
で、「ずっと何かを考え続ける」ことは、
すごく重要な気がしますね。
──
ぼくも、いま岩波ホールで上映している
チャトウィンの映画について、
正直、わからない部分があったんですね。
で、だからこそ「話し合える」のかなと。
矢本
わかります。うちの上映作品って、
同じ映画を見ても、人によって
ぜんぜんちがう解釈をしたりする。
何が正解というわけじゃなく、
それぞれがこんなふうに受け止めたとか、
話し合えるのは楽しいですね。
──
たとえば、チャトウィン映画にたいする
矢本さんの感想が
自分には予想もしないものだったら、
「えっ?」と思って、
もう一回、観てみたくなったりしますし。
実際そういうこと、よくあるんですよね。
矢本
ちょうど、昨日のお客さまのなかに、
大学の先生がいて、ぼく2回目なんですって。
チャトウィンとヘルツォークって、
映画の中で文章の交換をしているんですが、
あのふたりは、
考えとか思想を交換しているんじゃないか、
みたいなことをおっしゃっていて。
──
撮る側と撮られる側、という関係以上に。
矢本
ぼく、たぶん、もう一回観に来ますって、
その先生、おっしゃってました。
1本の映画を1回だけじゃなく、
何度も観ることによって
受け止め方がどんどん変わっていったり、
解釈がより深まったり、
そういうことって、ありますよね。
──
あ、こういう話だったのかあって、
あらためてわかったり。
矢本
時間の余裕がないとできないことですし、
とくにいまはみなさん、
いろいろ時間が足りないと思うので、
贅沢な時間の使い方ではあるんですけど。

──
いま、映像系の人と話すと、
けっこう倍速再生の話になったりしてて。
矢本
あー。
──
純粋にノウハウや情報を得るためならば、
別に悪いことでもないと思うんです。
でも、岩波ホールで上映する映画とかを、
倍速で観ちゃったら(笑)。
矢本
そうですね(笑)。
──
せっかくフィルム上映までして
「味わいが」とか言ってたものが(笑)。
島津
『大いなる沈黙へ』とか‥‥(笑)。
──
あれは倍速で観ちゃダメですよね(笑)。
蝋燭の火の揺れる音さえ聞こえるような、
あの祈りの時間の静寂を早送りしたら。
田澤
何のために観たのかっていう‥‥(笑)。
──
うちの小学生の子どもがずーっと観てる
TikTokとか、
最初の何秒とかが勝負でみたいなことを
読んだり聞いたりしますけど、
ぼくあれ、本当にすごいなと思うんです。
矢本
すごい。
──
その試合には自分は絶対、出れないなと。
で、そういう時代に、映画って、
今から1時間半とか2時間くらいの間は
LINEとか反応しませんよ、
という状態で映画館に入るわけですよね。
矢本
そうですね。
そういう意味では贅沢なものなのかなあ。
映画って、やっぱり。
小泉
いちばん庶民的なものだったはずなのに、
映画ってね。
ふら~っと入れて、1800円とかで、
誰でも楽しめる娯楽だったのに、
その時間を費やすことが、
現代では贅沢なことになっていますよね。
──
ぼくは知らない世代なんですが、
さらに昔の「寄席」みたいな気軽さが、
映画館にもあったんですか。
小泉
あったと思います。ひとつの街には、
かならず
映画館と寄席があったと聞きました。
でも、もう一方では、
ああ、贅沢だーと思って来てほしいとも、
思っているんですが。
田澤
両方の気持ちがありますね。
ふら~っと入ってきてほしい気持ちと、
でも、入ったら入ったで、
劇場での時間を贅沢に楽しんでほしい、
という気持ちと。
──
なるほど。
田澤
さっきも話に出ましたけど、
岩波ホールは上映週数をきちんと決めて、
その期間、必ず上映をしてきました。
──
ええ、お客さまとの「約束」として。
田澤
その3ヶ月くらい前から試写を組んだり、
識者の方々のご意見を聞いたり、
ようやく上映がはじまったなと思ったら、
こんどは観に来てくださったお客さまが、
「ああ、難しかったわ」とか、
「すごいよかった」とか、
いろんなご意見をおっしゃってくださる。
そういうことを、
ずーっと繰り返している感覚なんですね。
わたしは、その状態が贅沢だったなって。
いまは、本当に、そう思います。
矢本
チャトウィンの映画って、
最後、「道」のシーンで終わるんですね。
それを観て、お客さまやわたしたちも、
映画や岩波ホールから受け取ったものを、
それぞれ心にしまいながら、
それぞれの道を歩んでいくのかなあって、
何か、そんなふうに感じたんですね。
──
ええ。
矢本
だから、わたしは、
結果として最後の映画になったんですが、
チャトウィンで終わることを、
決して「閉じている」わけじゃなくて、
どこか
「開かれたもの」として受け止めてるんです。
──
開かれたもの。
田澤
岩波ホールが閉まること‥‥も?
矢本
うん。

(続きます)

2022-07-20-WED

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  • 『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』閉館する岩波ホールで、7月29日まで

    『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』閉館する岩波ホールで、7月29日まで

    1968年に開館した神保町の岩波ホールは
    2022年7月29日に、
    多くのファンに惜しまれつつ幕を下ろします。
    最後の上映作品は、
    ヴェルナー・ヘルツォーク監督が
    親交を結んでいたイギリスの作家・
    ブルース・チャトウィンのドキュメンタリー。
    チャトウィンの「放浪」のあとを、
    さまざな関係者のインタビューによって、
    立体的に追いかけてゆきます。
    岩波ホールで映画を観ると、
    豊かにときを過ごしたなあと感じます。
    閉館となる前に、
    ぜひ、岩波ホールの雰囲気を味わってみては、
    いかがでしょうか。
    詳しいことは、映画の公式サイトで。