日本の西洋美術館としては最古参、
このシリーズで
いつか訪問したいと思っていた
大原美術館に、ついに行ってきました!
倉敷の美観地区に建つ西洋建築に
一歩足を踏み入れれば、そこには
エル・グレコの《受胎告知》から
モネ、セザンヌ、ピカソ、マティス、
モディリアーニ、藤田、ポロック‥‥。
日本における
西洋美術との出会いの歴史でも
いちはやく収集され、
紹介されてきた
名だたる傑作がズラリと並びます!
学芸課長の
吉川あゆみさんにうかがいました。
担当は「ほぼ日」奥野です。
撮影:ERIC
- ──
- ああ、フォンタナ。
赤い作品は、はじめて生で見ました。 - 黒とか白もありますよね。
- 吉川
- はい。
- ──
- いやあ、こうして真っ正面に立って
まじまじ見ますと、
作品を切るって‥‥すごいことです。
- 吉川
- そうですね。キャンバスという、
長く西洋の絵画を支えてきたものを、
こんなふうに切ってしまう。 - その「ことの重大さ」を感じますね。
- ──
- 芸術そのものを支える「支持体」を、
芸術みずから、切り刻んでいる。
- 吉川
- そうやって、フォンタナは、
芸術を突破したかったんでしょうか。 - 伝統に乗っかるだけでは飽き足らず、
これからは
自分たちの時代なんだという表現を
追求したかったのではないかな、と。
その思いが、
西洋絵画の拠って立つ土台、
つまり「キャンバス」を切る行為に、
結びついたんだと思います。
- ──
- 赤く塗ったあとに切ってるんですか。
- 吉川
- そうですね。
- でも、衝動的に切ったわけじゃなく、
うしろ側に
きれいにあてられた黒が見えるよう、
計算されている作品なんです。
- ──
- この作品は、大岡信さんの岩波新書
『抽象絵画への招待』の口絵で、
たしか、はじめて見たと思うんです。 - そのときは「これは何だろう?」と、
わからなかったんですが、
実物を見ると、すさまじい迫力です。
切り口が生々しくて‥‥
生命あるものを切ってるかのような。
- 吉川
- この作品も同時代的に収集しました。
- 1960年代の倉敷で、
こんな作品を目にするという体験は、
さぞ衝撃的だったと思います。
現代美術の作品との出会いを
提供してきたことも、
当館の大きな役割だろうと思います。
- ──
- ちなみに、このフォンタナさんって、
大原さんで所蔵した当時、
すでに有名な芸術家だったんですか。
- 吉川
- いえ、一般的には。おそらく。
- ──
- じゃあ、まだ、
みんなが知らないうちに目をつけて、
お迎えした‥‥先見の明ですね。 - 絵の買い付けには誰が行くんですか。
- 吉川
- はい、總一郎の時代のコレクションを
語るうえで重要なのが、
その「ギャラリスト」の存在です。 - 東京画廊や南画廊などが、当時、
同時代の‥‥戦後ヨーロッパの美術や
アメリカの美術を、
日本へいち早く持って来ていたんです。
- ──
- どちらも、現代美術のパイオニア的な、
有名な画廊ですね。
- 吉川
- ただ、時代的に、
現代美術を買ってきたからと言っても、
買い手がつくとは限らなかった。
- ──
- でも、大原さんは、買った。
- 吉川
- ええ、新しい美術をいち早く紹介する
意欲的なギャラリストがいて、
それらを買った、大原美術館があって。 - そうやって、たがいがたがいの活動を
支え合っていたと言えます。
- ──
- チームのようにタッグを組んで、
当時の日本の人たちに、
世界の現代美術を、紹介してくれたと。
- 吉川
- 当時‥‥つまり1950年代ですけど、
そのころに東京国立近代美術館や、
ブリヂストン美術館ができたんですね。
- ──
- 日本で最初の公立の近代美術館である
神奈川県立近代美術館も。 - ブリヂストン美術館は
現在のアーティゾン美術館、ですよね。
- 吉川
- はい、その時代に、
すでに美術館としての歴史を有して
海外の同時代的な作品を買い、
展示する仕組みを持っていたことが、
まず、まれなことでした。 - となると、ギャラリストが紹介する
現代の西洋美術については、
個人のもとに収まるか、
大原美術館か‥‥ということになる。
- ──
- つまり、日本における
現代的な西洋美術の受容については、
大原美術館さんが、
ほぼ一手に引き受けていたんですか。 - はあ‥‥すごいことです。
- 吉川
- 当館館長を長く務めた藤田慎一郎が
タクシーに乗ったとき、
運転手さんが
「よくわかんないんだけど、
大原美術館にはいい絵があるんだよ」
「ああいう変な絵がおもしろいんだ」
と言うのを聞いて、
とっても、よろこんでいたそうです。
- ──
- 館長さんだとは知らずに(笑)。
- 吉川
- あるいはまた、岡山で活動していた
坂田一男という画家が、
抽象絵画と言っても
なかなかわかってもらえないけれど、
大原美術館にある作品が
抽象絵画なんですよと言えばわかる、
実際の作品で示せるのがうれしい、
と言っていたエピソードもあります。
- ──
- 大原さんに行けばわかりますよ、と。
現代美術とは何か‥‥ということが。
- 吉川
- 現代美術、抽象的な美術と出会う場。
- そういう空間が、
この倉敷の地にうまれていたんです。
- ──
- 松方幸次郎さんの国立西洋美術館や、
石橋正二郎さんの
アーティゾン美術館もそうですが、
美術館って、個人の意志や思いから、
はじまってるケースがありますよね。 - 私人が私財を投じて、
苦労して集めてきた作品をベースに、
公共的な美術館が、うまれた。
それらの作品を、ぼくたち
たくさんの人々が見ることができる。
- 吉川
- ええ。
- ──
- そのことに、じつに感動するんです。
ありがたいのはもちろんですが、
その気持ちを超えて、じーんとする。 - 大原孫三郎さん、總一郎さんは、
その中でも、先駆的な方々ですよね。
- 吉川
- ありがとうございます。
- 錚々たるみなさんと
並び称していただけるというのは
うれしいですし、
創設者とそのコレクションに、
それぞれ、カラーがあるところも、
おもしろいですよね。
- ──
- 個性をすごく感じます、みなさん。
- 吉川
- たとえば松方コレクションと言えば、
大規模で、構想も大きくて、
費やしたお金も巨額で、期間も長い。
- ──
- 頓挫してしまいましたが、
東京に独自の美術館を建てる計画も、
あったみたいですよね。
- 吉川
- それに対して、大原美術館の場合は、
比較的コンパクトで、場所も地方。
東京に美術館を建てる計画も
あったんですが、
最終的には、倉敷の地を選びました。 - そして、そのことが
大原美術館の運命を決めたんですね。
- ──
- あ、戦火にさらされなかった‥‥。
- 吉川
- はい、松方コレクションは、
戦争で大変な目に遭いましたが、
大原コレクションは、
なんとか戦災をのがれています。
- ──
- ロンドンでは保管倉庫で火事にあったり、
戦後、フランスに
ゴッホの《アルルの寝室》をはじめ、
超重要な作品を
引き渡してもらえなかったり‥‥とかも。
- 吉川
- わたしたちの大原コレクションの場合は、
運の良さもありますが、
地方でコンパクトにやってきたからこそ、
生き延びられた面もあります。 - それと、松方コレクションって、
関東大震災によって、
収集した作品の関税が高くなって
国内に持ち込めなくなり、
ヨーロッパに
留め置かれてしまった‥‥という、
波乱の運命もあったんです。
- ──
- あ、それは知りませんでした。
- 吉川
- 10割関税と言って、
作品を国内に持ち込む際にかかる税金が、
100%になってしまって。
- ──
- つまり‥‥買った額と同じ金額の関税が、
かかっちゃったってことですか。
- 吉川
- 大原コレクションは、
震災の年に
虎次郎の収集がコンプリートして、
関税が上がる前に持ってきていますので、
タッチの差ですね。
- ──
- おお‥‥。
- 当時、孫三郎さんと松方さんって、
コレクター同士、
面識なども、あったんでしょうか。
- 吉川
- わたしが確認しているかぎりですけど、
虎次郎が
大阪で自分の個展を開いたときに、
松方さんがいらした記録があるんです。
ですから、少なくとも、
虎次郎とは面識があったかと思います。
- ──
- おもしろいですねえ。
- 孫三郎さんや虎次郎さんと
松方さんが芸術談義をやってる場面を、
想像したりすると。
- 吉川
- そうですね(笑)。
- ──
- いま、大原美術館には、
どれくらいの作品を所蔵していますか。
- 吉川
- およそ「3000点」です。
- ──
- アマン=ジャンの《髪》という
最初の1点からはじまって、3000点。
はあ‥‥。 - こちらにかかっている、大きな作品は?
- 吉川
- 虎次郎が勉強をしていたベルギーの作家で、
レオン・フレデリックの作品。
- ──
- 《万有は死に帰す、
されど神の愛は万有をして蘇らしめん》
‥‥絶句って感じ。 - すごいですね、描かれている人間の数。
表現が適切かわかりませんが、
人間の業みたいなものを感じてしまう。
- 吉川
- 虎次郎の3度目の渡欧のさいには、
お金をしっかり預かり、
フランス以外の国々にもまわって、
作品を購入しているんです。 - そのときに
ベルギーの作品も何点か含まれていて。
- ──
- そのうちのひとつが、この大作。
- 吉川
- そうですね。そして、ごらんのように、
この作品を展示するために、
この建物は、設計されているんです。
- ──
- ほんとだ、壁の横幅が完全にピッタリ。
- それほど、
虎次郎さんにとって重要な作品だった。
宗教画ですよね、見るからに。
- 吉川
- 最後の審判によって
人々が滅亡させられ、
やがて、復活するという場面の絵です。
- ──
- これだけの人間を描き上げる精神力が、
まずは、すごいと思います。 - これ、何万人とか‥‥いそうですよね。
何年かかったんだろう‥‥。
- 吉川
- 1893年から1918年‥‥ですね。
- ──
- えっ、そんなに! 20年以上!
- 吉川
- ちなみに、1918年って、
第一次世界大戦が終わった年ですよね。 - この‥‥右から2枚めの絵の手前に、
5人の女の子がいますが、
真ん中の少女が画家の娘らしいです。
- ──
- フレデリックさんの。
- 吉川
- 第一次大戦の爆撃で亡くなってるんです。
- ──
- ああ‥‥。
抱きかかえられているようにも見えます。
- 吉川
- だから‥‥単なる宗教画としてではなく、
作家の体験や、我が子への思い、
亡くなった娘に対して
幸せな世界で安らか暮らしてほしい、
そういう思いをも、
ひしひしと感じさせる作品だと思います。
(つづきます)
2022-02-18-FRI