こんにちは、「ほぼ日」の奥野です。
大学時代の恩師、
ベトナム研究の坪井善明先生に
取材させていただきました。
先生はこの春、退任されるのですが、
その最終講義に感動したんです。
テーマは、ちょっと大きく、
「なぜ学ぶのか、何を学ぶのか」。
これから学びの季節へ向かう、
若い人に届いたらいいなと思います。
ちなみに時折、やりとりが
やや垂直的(上→下)ですが(笑)、
そこのところ、心配ご無用です。
ぼくの先生ですので。
写真提供:Mai Hoai Giang、 Doan Quang
坪井善明(つぼいよしはる)
1948年、埼玉県生まれ。
1972年、東京大学法学部政治学科卒業。
1982年、パリ大学社会科学高等研究院課程博士。
1988年、渋澤・クローデル賞受賞。
1995年、アジア・太平洋特別賞受賞。
1997年、早稲田大学政治経済学部教授に就任。
現在は早稲田大学政治経済学術院教授、
2019年3月退任、46年超の研究生活を終える。
専攻はベトナム政治・社会史、
国際関係学、国際開発論。
ベトナムにかんする入門的な著作に、以下など。
『ヴェトナム 「豊かさ」への夜明け』
『ヴェトナム新時代 「豊かさ」への模索』(ともに岩波書店)
- ──
- 先生はいま、ベトナム関連では、
どんなお仕事をされているんですか。
- 坪井
- 2017年に、天皇皇后両陛下が
来てくださったんです、ベトナムに。
- ──
- はい、ニュースにもなってましたが、
先生も関わってらしたんですか。
- 坪井
- 天皇陛下は85歳、
皇后陛下は84歳でらっしゃるけど、
そのご高齢を押して、
ベトナムへ来てくださったんです。
- ──
- はい。
- 坪井
- ベトナム大使の梅田邦夫さんと一緒に
その準備をしたんだけど、
そのとき、残留日本兵の妻や子どもに、
両陛下に会っていただいたの。
- ──
- 残留日本兵?
- 坪井
- 1945年、
第二次世界大戦が終結したときに、
日本は「仏印進駐」といって、
フランス領インドシナ、
つまり、
いまのベトナムやカンボジアあたりに
軍を進駐させていたんです。
- ──
- ええ。
- 坪井
- 終戦後、彼らは順次、
日本へ引き揚げていくわけだけれども、
2000人くらい、
ベトナムの独立運動を助けるんだって、
残った日本人がいたんです。
- ──
- 独立‥‥フランスからの独立を。
- 坪井
- そう、一般の兵士だけじゃなくて、
佐官級も5人、
少尉、中尉、大尉も30人くらい。
- ──
- そうだったんですか。
- 坪井
- あのとき、大東亜共栄圏といって、
当時の日本には
欧米から植民地を解放するという
大義名分があって、
それは、実際には、
ご存知の通り侵略だったわけだけど、
でも底辺の若い兵士の中には、
本当にベトナムの独立を助けたいと、
残った人たちがいたんです。
- ──
- 知らなかったです。
- 坪井
- ベトナムは、フランスとの戦いでは
ゲリラ戦をやってるから、
ちゃんとした武器や兵器もなければ、
農民から兵士になってるんで、
行進なんかもできなかったんだよね。 - 弾の撃ち方がわからなかったりとか。
- ──
- つまり、そういうことを。
- 坪井
- そう、日本兵が教えたらしい。
- だから、日本兵に残ってほしいから、
当時の「ベトミン」つまり
ベトナム独立同盟会という組織も、
彼ら残留日本兵と
ベトナム人女性との結婚を、
積極的に、奨励したというんだよね。
- ──
- じゃ、ベトナムで一生を終える‥‥。
- 坪井
- もちろんね、一生を終えるつもりで
一緒になったんだろうけど、
1954年に、
ベトナムがフランスに勝ったときに、
日本人は帰国することになった。 - やはり軍国主義だった日本の助けで
フランスに勝ったとなると、
独立に傷がついてしまうってことで、
中国経由で、
中国から帰国する人たちにまぎれて。
- ──
- そうなんですか。
- 坪井
- そのときに、奥さんや子どもたちは、
連れていけなかった。残ったの。 - そういうわけで、日本兵と結婚して、
子どもまでもうけながら、
ベトナムに留まった女性というのが、
たくさんいるんです。
- ──
- じゃあ、そのまま生き別れになって。
- 坪井
- はたらきざかりの父親をとられてね、
残った人たちは、本当に苦労した。 - そういう女性や子どもたちに、
天皇皇后両陛下が会ってくださって、
いろいろご苦労もあったでしょうと、
ねぎらってくださったんです。
- ──
- そうなんですか‥‥。
- 坪井
- ベトちゃんドクちゃんって覚えてる?
- ──
- はい、もちろんです。
- 下半身がつながった結合双生児で、
ベトナム戦争のときに
米軍が散布した枯葉剤の影響だと、
言われていました。
- 坪井
- ベトちゃんは、残念ながら
すでに亡くなってしまってるけど、
ドクちゃんは健在で、
結婚もして、子どもも2人いてね。
- ──
- そうなんですか、お子さんも。
よく考えたら、もう大人ですものね。
じゃ、もう、ドクさん。
- 坪井
- そう、ドクさん。
- ちいさいころに会ったことがあって、
そのときは
「将来はお医者さんになって、
ぼくらみたいな子どもを助けたい」
って言ってたんです、彼。
- ──
- いまは、お仕事は‥‥。
- 坪井
- 病院で職員をやってます。
枯葉剤で困った子どもたちの看護人。 - 医者にはなれなかったみたいだけど、
子どもを助けたいという、
その夢は、見事に叶えてるんだよね。
- ──
- 本当ですね、すごい。
- 坪井
- 両陛下は、そのドクさんにも
会ってくださって、
はげましのお言葉をくださった。
- ──
- そういうお仕事をなさっていたとは、
申しわけございません、
ぜんぜん、存じ上げませんでした。
- 坪井
- もうひとつ大切にやっていることで、
皇后美智子さまが、
絵本の普及をなさっているんですよ。
- ──
- はい。
- 坪井
- ベトナムって、絵本がないんだよ。
そもそも図書館もあまりない。
- ──
- 絵本作家のような人も‥‥。
- 坪井
- そう、いない。戦争で失われている。
- 絵本をつくる作家もそうだし、
単純に、いい紙もない、設備もない。
- ──
- なるほど。
- 坪井
- でも、ベトナムという国の将来を、
真剣に考えるならば、
絶対に、本や絵本は必要でしょう。 - そこで、日本の絵本、たとえば
『ぐりとぐら』や『そらいろのたね』、
五味太郎さんの作品とか、
コツコツと、もう200冊くらい、
ベトナム語に翻訳したり、
読み聞かせ活動を続けている女性が、
いるんです。
- ──
- ええ。
- 坪井
- ヒエンさんというベトナム人だけど、
そのヒエンさんにも、
美智子さま、会ってくださいました。
- ──
- おお。
- 坪井
- ベトナム大使の梅田邦夫さん夫妻が、
美智子さまにお会いしたさい、
そういう人がいるんですが、
会っていただけますかとうかがったら、
よろこんで、と。 - 美智子さまは、文藝春秋から、
『橋をかける』って本を出されてます。
- ──
- すみません、読んでいません。
- 坪井
- その本はね、ぜひ、読んでほしいです。
講演録なんだけど、副題が
「子供時代の読書の思い出」なんだよ。 - 美智子さまは、幼いころに、疎開先で
さまざまな本を
お読みになったそうです。
寂しさを紛らすように、
お父さまのくださった本を、たくさん。
- ──
- そうなんですね。
- 坪井
- そして、そのときのことを思うと、
本を読むということは、
人間に根っこを生やし、
翼をつけるものですと、
そんなふうにおっしゃっているんです。
- ──
- 根っこと翼、ですか。
- 坪井
- うん。
- ──
- 本を読むということの素晴らしさが、
ものすごく的確に表現されていますね。
- 坪井
- 人間の喜びや悲しみを理解するための、
「根っこ」を生やす。
そして、想像力を育む「翼」をつける。 - そのお言葉に、ヒエンさんも感動して、
ベトナム人にも紹介したいと、
ベトナム語に翻訳して出版したんです。
- ──
- へえ‥‥。
- 坪井
- 昨年の10月20日、ハノイで。
美智子さまの、84歳のお誕生日に。
(つづきます)
2019-03-23-SAT