18歳でデビューしてからというもの、
あの印象的なポカリスエットの広告、
サカナクションや
星野源さんや米津玄師さんのМV、
大河ドラマ『麒麟がくる』の
メインビジュアル‥‥などなどなど、
みなさんもきっと、
どこかで目にしているはずの作品を
次々と作ってきた奥山さん。
さぞ「撮影漬け」な日々なのかなと
思いきや‥‥。大切なのは、
シャッターを切ることよりむしろ、
一回の打ち合わせ、一通のメール、
ひとつひとつコミュニケーションだと。
その創作論、全5回でおとどけします。
担当は「ほぼ日」奥野です。

前へ目次ページへ次へ

第2回  わからない、に向き合えたら。

──
作品とは‥‥ギリギリまで時間をかけて
めいっぱいつくりこんで、
ようやく完成した時点はゴールじゃない。
それは、
作品が変化していくスタート地点だ、と。
奥山
漫然と撮っては出して‥‥
いくつか「いいね」をもらえたら、
表現者も
あるていど満足できる時代ですが、
それら点在している複数の作品から、
何か一貫したコンセプトを見出して、
物理的に
その試行錯誤を残しておかないと、
ぼくの感覚では、
スタートすら切れないと思うんです。
──
そして、スタートを切れなかったら、
作品は変わっていかない。
5年後とか10年後、
土の中から、掘り返してみたときに。
奥山
生涯かけて創作を楽しんでいきたいって、
ぼくは、思っているんです。
そのためには、自分自身が、
あとから学べるような作品でなかったら、
生涯、楽しみ続けられない。
──
生みの苦しみは楽しみ、って感じですか。
奥山
ひとりで徹夜でレイアウトを組んだり、
ああでもないこうでもないと考えたり、
編集者さんと話をしたり、
最後の最後の調整で印刷所に出向いたり。
必死に向き合った記憶や思い出を、
何年か後に、また必死に手繰り寄せて、
そこで
ようやく何かに気付けるというか。
──
なるほど。
奥山
過去の自分が死ぬ気でつくった
濃度の濃いものが物体として残っていれば、
それを、つくったときの自分じゃない、
数年後の自分が見ることで
はじめて何かに気付くことができるんです。
表現する人ってみんな、そうすることで、
かろうじて、
生涯創作を続けていけるんだと思います。

気仙沼漁師カレンダー(2019) 気仙沼漁師カレンダー(2019)

──
へんな質問かもしれませんけど、
自分のつくった作品に興味を失うことって、
奥山さんは、あったりしますか。
奥山
ああ‥‥。
──
つまり‥‥それだけの膨大な時間をかけて、
高いレベルで集中して、
試行錯誤してつくった創作物への興味を、
発表した瞬間、
ふっとなくしちゃう人って、いる気がして。
奥山
ええ。
──
実際のところは、
次へ興味が移っているってことなんだと
思うんですけど。
奥山
それは、わかります。
ぼくも、やっぱり興味をなくしますから。
──
あ、そうですか。
貪欲に新しいことをやっている人とかに、
比較的、多そうな気がします。
奥山
ぼくの場合は、発表した直後に、
どこかで意識的に距離を置いてる部分が、
あるかもしれない。
自然に興味をなくしてしまうというより。
それは、さっき話したように、
熱量を持ってつくっていた自分じゃない、
ある種、覚めた自分の目で、
客観的に
その作品を見てみたいと思っているから。
──
それって、どういう感覚なんですか。
過去の自分に向き合っているような感じ、
なんでしょうか。
奥山
そうですね‥‥すごく回りくどいんですが、
最終的には、過去の自分が、
現在の自分のつくっているものに対して、
刺激を与えてくれるんです。
そのときそのときでつくっているものって、
やっぱり
「わからない、わからない」と思いながら
取り組んでいるんです。
いつでも、考えれば考えるほど
「わからない」
が増えていくようなものばかり、
つくっている気がします。
──
わからないものに、食らいついている。
奥山
はい。で、そのまま、わからないまま、
時間的なリミットの中で出した「答え」を、
暫定的な「答え」として、
みなさんに見てもらっている感じです。
あの‥‥2017年に、
『As the Call, So the Echo』という本を、
赤々舎から出版したんです。
──
ええ。
奥山
その作品集を作っているときに、
2016年に出版した
『BACON ICE CREAM』をめくっていたら、
『As the Call, So the Echo』と
2年くらいしか差がないのに、
本のつくりかたが、
ぜんぜん違うことに気づいたんです。
──
へええ‥‥。
奥山
『BACON ICE CREAM』のときって、
写真という視覚表現を、極力、
言語化しないようにつくっていたんだな、
と気付いたんです。
人は何でも言葉に変換してしまう存在だと、
ぼくは、思っているんです。
未知の何かに出会っても、
ああ、このあたりに分類されますよねって
勝手にカテゴライズして、
どこかの引出しに入れてしまわなければ
安心できないのが、人間じゃないですか。
──
犯人の「動機」を知りたがるような心理、
ありますよね。たしかに。
奥山
ぼくが『BACON ICE CREAM』を
まとめていたときも、
「自分らしい写真とはこういうものです」
と、つい言葉を基準にして
まとめてしまいそうになる衝動を、
抑え込むようにしてつくっていたんです。

JADICT「Linda」(2013) JADICT「Linda」(2013)

──
「言葉」を「警戒」しながら。
奥山
だって言葉を頼るほうが「楽」ですから。
本の帯文に書けるような言葉をガイドに、
一冊まとめていくほうが断然、楽です。
でも、そうじゃないんだ、
何だかわからない、
言葉ではとらえられないんだけど、
でも「自分らしい写真」をまとめよう、
言語によって
カテゴライズされてしまうような写真は、
外していこう‥‥と、つくったんです。
──
なるほど。
奥山
でも、次の『As the Call‥‥』のときには、
気づいたら、
とにかく「言語にしようとしていた」。
──
写真を?
奥山
とか、本そのものを。
自分は、この写真を、
どうしてこの場所にレイアウトするのか。
そもそも自分は、
どうしてこの写真を撮ったのか‥‥って。
それくらいのところから、
写真を、
とにかく言葉に変換しようとしている。
作品のコンセプトも、
徹底的に言語化しようとしていたんです。
──
言葉で、現在地をたしかめるように。
奥山
その違いに、気づいたんです。
──
『BACON ICE CREAM』の、2年後に。
奥山
何が言いたいのかというと、
自分がそのときに向き合っている創作物に対して、
没頭して、深くのめり込むと、
どんどん「わからない」ことが増えていくんです。
でも、それは同時に、
いまを生きているみたいなことだったりするので、
その少し前に作ったものを客観的に見れて、
クリアに言語化しやすくなったりもするんです。
つまり「いまがわからなくなること」で、
過去を紐解くためのヒントを与えてもらえる‥‥
という感覚なんです。

「家族」第二号(2019) 「家族」第二号(2019)

──
ああ‥‥なんとなく理解できます。
奥山
過去からの刺激を受けることで、
何とか、いまも作れているんです。
現在の自分は、
過去の自分に生かされているんだなって、
強く感じています。
──
過去に学ぶということは、
過去を反面教師にする、というわけでは、
必ずしも‥‥。
奥山
ないんです。
それは、いいとか悪いとかではないし、
スキルの高い低いでもなくて、
過去の自分とは違う自分になったときに、
過去の自分のつくったものが、
はじめてわかるといいますか。
まったく「別物」に見えたときに、
わかること、学べることがあるというか。
──
おもしろいです。
奥山
その意味で、現在の自分は、
未来の自分のためにつくっているんです。
物的なかたちとして残るものに関しては、
とくにそういう感覚が強くありますね。
──
言葉への向き合いかたをはじめとして、
過去の自分のつくった作品を見て
何かしら気づく部分が、
過去から変わった部分なんでしょうね。
奥山
はい、そう思います。
そして、いまも気づいていない部分が、
たぶん未だに悩んでいたり、
いまでも「わからない」と思ってる部分です。
で、その「わからない」が、
ひとつもなくなっちゃうようなときがきて、
ぜんぶ「わかってしまった」としたら、
それはきっと、
創作をやめるときなんだろうと思うんです。

──
逆に言えば、創作というものは、
「わからない」にドライブされている、と。
奥山
ちょっと観念的な話になっちゃいますけど、
ぼくたち人間にとって、
普遍的な「わからない」が、ある気がして。
──
普遍的な?
奥山
ええ‥‥これ、うまく伝わるかどうか‥‥。
つまり、どんな言語を使っていても、
どんな仕事をしてる人でも共通して感じる、
でも、うまく説明できない、
そういう、
最後まで残る「わからない」があると思う。
──
人生とか宇宙みたいなものに対する
根源的な「わからない」の感情、みたいな?
奥山
だぶん、その「わからない」の正体は
「人間」ということだと、
ぼくは、思っているんですけれど、
その根源的な「わからない」に
向き合い続けることができてさえいるなら、
創作を続けていけると信じています。
──
創作とは「わからない」に挑むこと。
奥山
逆に根源的な「わからない」に向き合わずして
つくってしまったものって、
伝わるもの、残るものにはならないと思う。
見ている人も噛み締めがいがない、
その作品について何かを考える余地がないので。
──
いや‥‥おもしろいですね。
取材してると、そういう人、たまにいます。
で、そういう人、だいたいおもしろいです。
奥山
あ、本当ですか。
──
平出和也さんという、
登山界におけるノーベル賞みたいな賞に
3回も輝いた登山家が、
「自分は『問い』を探しに山へ行ってる」
とおっしゃってたんです。
つまり「答えを、探しに」じゃなくって。
奥山
なるほど。
──
いま、「山」って簡単に言いましたけど、
平出さんが行くのは、
それまで、誰ひとり登ったことのない、
山の名前を言われても知らないような、
ヒマラヤの
7000メートル級の未踏峰ばかりです。
人間が簡単に死んでしまうような山々に、
「答え」じゃなくて、
わざわざ「問い」つまり
「わからない」を探しに行ってるんです。
奥山
ああ‥‥探しに行く。そういう感じです。
ぼくにとっての「わからない」も。
──
自分の人生に関わる「わからない」なんて、
とくに、そうですよね。
わざわざ「探しに行く」必要があると思う。
たとえば、奥山さんにとって
「どうして写真を撮ってるんだろう」とか、
究極の問いだろうと思うんですけど、
それってきっと、
一生わからなくてもおかしくないですよね。
奥山
そうですね。前へ進むための「問い」を
いかに探せるか‥‥だなとぼくも思います。
漫然と生きていても、
自分にとって、大切な問いは見つからない。
それは「探し」に行かなければ、
見つからないものだろうなと思っています。

「VOGUE」(2019) 「VOGUE」(2019)

(つづきます)

2022-02-08-TUE

前へ目次ページへ次へ
  • 奥山さん、デビューから12年間の クライアントワークの集大成!

    2010年のデビュー以来、
    奥山さんが、これまでの12年間に撮った
    広告、雑誌、映画、アパレルブランド、
    大河ドラマのメインビジュアル、
    俳優やミュージシャンのポートレイト‥‥。
    作品制作と並行して
    撮影してきた写真が1冊にまとまりました。
    あ、これも? ええー、これも!!
    そんな写真集です。
    何より、この物体としての存在感、強さ。
    インタビューでも語られていますが、
    この本の分厚さや重量は、
    奥山さんが、たくさんの人々と結んできた
    コミュニケーションの集積なんだと思うと、
    「何という30歳だろう!」
    と、あらためておどろき、あこがれます。
    そして、この「12年間」が、
    奥山さんにはあと何回あるのか思うと‥‥。
    ぜひ、手にとってみてください。
    この厚みと重みを、感じてみてください。

    Amazonでのおもとめは、こちら

    特集 写真家が向き合っているもの。

    001 浅田政志/家族

    002 兼子裕代/歌う人

    003 山内悠/見えない世界

    004 竹沢うるま/COVID-19

    005 大森克己/ピント

    006 田附勝+石内都/時間

    007 森山大道/荒野

    008  藤井保+瀧本幹也/師と弟子。

    009 奥山由之/わからない/気持ち。

    特集 写真家が向き合っているもの。

    001 浅田政志/家族

    002 兼子裕代/歌う人

    003 山内悠/見えない世界

    004 竹沢うるま/COVID-19

    005 大森克己/ピント

    006 田附勝+石内都/時間

    007 森山大道/荒野

    008  藤井保+瀧本幹也/師と弟子。

    009 奥山由之/わからない/気持ち。