ネパールでぼくらは。

#105古賀さんが語る幡野さんのこと。
旅の途中で、ふと幡野さんが語った、
「いまほしいもの」とは。
ひとりの思いが語られると、
ほかの人も思いを語る。
そういうのも、旅のいいところだ。

幡野広志さん。

(古賀史健)

ほんとうのことしか言わないひと。
今回の旅のなかで、
いつの間にかぼくらは幡野さんをそう呼んでいた。

幡野さんとシャラドには、ひとつの共通点がある。
本人がそう望んでいないにも関わらず、
聖人のように祭り上げられやすい立場にある、
という点だ。

シャラドは貧困国出身の社会事業家として。
そして幡野さんは、
すべてをカミングアウトした末期がん患者として。
当たり前のことを言い、
ほんとうのことだけを言っている彼らは、
その特殊な立場ゆえ、
「特別なひと」と見られてしまう。
スーパーマンに見られてしまう。

だけどふたりは、ふつうの30代の若者だ。
ふつうの夫であり、ふつうのパパであり、
ふつうに仕事を持つ、30代の若者だ。
幡野さんの病状がどういうものであれ、
ぼくはそこに余計なストーリーをつけたくないし、
安っぽい感動物語の目で彼を見たくはない。

コタンからカトマンズへと向かう車のなか、
幡野さんはふと、オートバイがほしいと言った。

「原チャリみたいなやつじゃなくて、
250ccとか400ccくらいの、
またがって乗るようなオートバイがほしいんです。
それで旅したいんです」

過去にオートバイで大事故に巻き込まれ、
生死の境をさまよった経験を持つ浅生鴨さんが、
ごくふつうのトーンで答えた。

「ぼくはおおきな事故で死にかけたから、
ほかのひとから相談されたら
いちおう止めるようにしてるんだけど、
幡野さんだったら、止める気はしないな。
やっぱりオートバイは気持ちいいし、
買ったほうがいいんじゃないですかね」

幡野さんと一緒にいると、
いっさいの「建前」がまどろっこしいものに思え、
いつの間にか本音だけでしゃべるようになる。
自分の欲望に、忠実になれる。

それは幡野さんが
重い病気を抱えているからではなく、
すぐれた写真家だから、そうなってしまうのだ。
ぼくらの建前を、削ぎ落としてしまうのだ。

今回の旅について、
幡野さんは「きてよかった」と言い、
短くひと言「おもしろかった」と振り返った。

そのことばが建前なんかじゃない
ほんとうの「ほんとう」であることは、
たぶん彼の撮影した写真が教えてくれるだろう。
幡野広志という写真家と一緒に旅ができて、
ほんとうによかった。

明日につづきます。

2019-10-29-TUE

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