
幡野広志さん。
(古賀史健)
ほんとうのことしか言わないひと。
今回の旅のなかで、
いつの間にかぼくらは幡野さんをそう呼んでいた。
幡野さんとシャラドには、ひとつの共通点がある。
本人がそう望んでいないにも関わらず、
聖人のように祭り上げられやすい立場にある、
という点だ。
シャラドは貧困国出身の社会事業家として。
そして幡野さんは、
すべてをカミングアウトした末期がん患者として。
当たり前のことを言い、
ほんとうのことだけを言っている彼らは、
その特殊な立場ゆえ、
「特別なひと」と見られてしまう。
スーパーマンに見られてしまう。
だけどふたりは、ふつうの30代の若者だ。
ふつうの夫であり、ふつうのパパであり、
ふつうに仕事を持つ、30代の若者だ。
幡野さんの病状がどういうものであれ、
ぼくはそこに余計なストーリーをつけたくないし、
安っぽい感動物語の目で彼を見たくはない。
コタンからカトマンズへと向かう車のなか、
幡野さんはふと、オートバイがほしいと言った。
「原チャリみたいなやつじゃなくて、
250ccとか400ccくらいの、
またがって乗るようなオートバイがほしいんです。
それで旅したいんです」
過去にオートバイで大事故に巻き込まれ、
生死の境をさまよった経験を持つ浅生鴨さんが、
ごくふつうのトーンで答えた。
「ぼくはおおきな事故で死にかけたから、
ほかのひとから相談されたら
いちおう止めるようにしてるんだけど、
幡野さんだったら、止める気はしないな。
やっぱりオートバイは気持ちいいし、
買ったほうがいいんじゃないですかね」
幡野さんと一緒にいると、
いっさいの「建前」がまどろっこしいものに思え、
いつの間にか本音だけでしゃべるようになる。
自分の欲望に、忠実になれる。
それは幡野さんが
重い病気を抱えているからではなく、
すぐれた写真家だから、そうなってしまうのだ。
ぼくらの建前を、削ぎ落としてしまうのだ。
今回の旅について、
幡野さんは「きてよかった」と言い、
短くひと言「おもしろかった」と振り返った。
そのことばが建前なんかじゃない
ほんとうの「ほんとう」であることは、
たぶん彼の撮影した写真が教えてくれるだろう。
幡野広志という写真家と一緒に旅ができて、
ほんとうによかった。