

最高のタイミング
(浅生鴨)
田中さんからは例によって渋滞に巻き込まれ、
待ち合わせの時間には
まにあわないかもしれないという連絡が届いた。
僕がまにあったのは、乗ったタクシーが
反対車線を逆走して来たからであって、
あの渋滞ではしかたがない。
とりあえず空港の到着口で幡野さんたちを待つことにして、
僕はバッグから小型のビデオカメラを取り出し、
マイクを取りつけてから一脚に乗せた。
三脚だと大げさすぎるので、
こういうところでゲリラ撮影するのなら一脚が便利なのだ。
ぱっと見た感じは、単なる長くて太い棒だから、
旅行客がよく持っている自撮り棒と
勘違いしてくれるとありがたい。
ところが、到着口を出たすぐ前にある
コンコースへ入ろうとしたら、
警備のおじさんに止められてしまった。
「友人を迎えに来たのです」
「ダメです。あちらの待機所で待つように」
首を伸ばして中を覗いて見れば、たった今、
到着口から出て来た旅客たちも
コンコースに長くいることはできず、
すぐに外へ追い出されている。
基本的に到着口の前には誰もいられないのだ。
その代わりに、到着口の反対側には
ガラス板で仕切られた待機所があって、
家族や友人を迎えに来た人たちでごった返している。
「私は、彼が来るところを、これで撮るのが仕事です。
だから中に入る必要があります。なぜならば仕事ですから」
僕は仕事なのだと強調してみた。
まるで、ちゃんと許可を得ているように
堂々と振舞ってみせれば、意外に折れてくれるかもしれない。
どこかでそんな期待をしていた。
もちろん撮影禁止だと言われる可能性もあるけれど、
うまくいけばラッキーだ。
「ダメです。あの待機所から撮ってください」
やっぱりダメだったか。それでも待機所から撮っていいと
いう言質を得たことで僕は内心ホッとしていた。
ゲリラから正規軍へ昇進したのだ。
それならばと、僕はバッグから
一回り大きいカメラを取り出して一脚に載せ替えた。
マイクも遠いところの音を拾えるものに交換する。
待機所の中は身動きが取れないほどの人ごみだし、
ガラス板の前には、来客を待つ人が
張りつくように並んでいるので、
あそここから撮影するのはなかなか難しそうだけれども、
このセットならば何とかなりそうだ。
僕は目の前から人がいなくなるたびに少しずつ足を進めて、
どうにかガラス板の前に立ち、
カメラの電源を入れると到着口にピントを合わせた。
たくさんの人がべったりと貼りつくものだから、
ガラス板は吐息や油でかなり汚れていて、
向こう側をきれいに撮ることができない。
僕はしかたなくペットボトルの水でタオルを濡らし、
ガラス板をしっかりと拭き始めた。
コツコツ。急に誰かが向こう側からガラス板を叩いた。
勝手に拭くなということなのだろうか。
思わず顔を上げると田中さんが僕に手を振っていた。
入っちゃダメな場所なのに
旅客だって長くいられない場所なのに、
田中さんは、どうやって入り込んだのか。
いったい何と言ったのか。
呆気にとられている僕を尻目に
田中さんはスルスルっと到着口の前まで進み、
大きな一眼レフを構え始めた。
僕だってあそこに行きたかったのに。何だろうこの差は。
ともかく、あとは幡野さんたちからの連絡を待つだけだ。
もうそろそろ到着するはずなのだ。
何とか出迎えの場所をとろうと、
後ろから激しく押してくる人たちを背中で押し返しながら、
僕はガラス前のポジションを守り続けていた。
ピン。スマホが鳴った。
「着きました。まもなく出ます」
チャットが届く。
「他の人が先頭だと、
幡野さんをうまく撮れないかもしれないので、
幡野さんを先頭にして出て来てください」
チャットでそう返信してから、
僕はもういちどカメラのファインダーを覗き込み、
アングルとピントを確認した。
いきなり後ろから肩を強く叩かれた。
このタイミングでいったい何なんだ。
今はこの場所を譲るわけにはいかない。
僕は叩いた人を睨みつけてやろうと後ろを振り返った。
警官だった。
警官が三人、険しい表情をして立っている。
「ノー、フォト」一人がそう言った。
「許可はもらいました」
待機所で待つようにと言ったおじさんを僕は指差す。
「ノー、フォト。カモン」
警官は無表情のままだ。
「カモン」
そう言って警官は、二人で僕の腕を掴み、
もう一人が僕の手からカメラの乗った一脚を奪う。
待って、待ってください。ちょっとだけ待ってくださいよ。
今から幡野さんたちが出てくるんです。
僕はこれを撮影するために、
わざわざ数日早くネパールに来たんです。
日本語でそうまくし立てるものの、
もちろん警官たちに伝わるはずもなく、
僕は警察官に腕を掴まれ、
そのまま待機所から外へ連れ出されてしまった。
「警察に捕まりました。田中さん撮影お願いします」
とりあえず必死でそれだけを送信する。
連れて行かれたのは、空港警察の事務所だった。
「なぜあそこで撮影していたのだ」
もしもここで本当のことを言うと、
幡野さんに迷惑がかかってしまうかもしれない。
それだけは避けたい。
もうこうなると何があるかわからない。
適当なことを言ってごまかすのだ。
ここで僕が何と言ったかはちょっと書けないけれども、
とにかく警官たちは僕の話を聞いて、
少しばかり僕に同情してくれたようだった。
「オーケー、行っていい」
「ダンニャバード」
「しかし、ノーフォトだ」
「わかりました」
ノーフォトなんて話を聞くつもりはなかった。
もう一度捕まっても構わないから、
怒られてもいいから、とにかく撮るんだ。
撮ってさえいれば、あとは何とでもなるのだ。
空港警察を出た僕は到着口へと急いだ。
もちろん間に合うはずはなかった。
幡野さんたちは、とっくに到着口を出て、
迎えの車に向かっていた。
ようやくみんなに追いついた僕は思わず笑ってしまった。
僕はわりといろいろなできごとが
降りかかってくるほうではあるけれども、
まさかギリギリのタイミングで
これを撮り損なうとは思いもよらなかった。
見かたを変えれば、最高のタイミングで僕は捕まったのだ。
いやあ、そういうこともあるんだなあ。もう笑うほかない。
僕はどこか呆然としながら、みんながお互いに挨拶するのを
一歩離れたところから眺めていた。
そうして、ゆっくりとカメラを構えたのだった。