
山村に響く子どもたちの声。
(古賀史健)
朝礼が終わると子どもたちは教室に戻り、
ほどなく授業がはじまる。
その様子に、じっとカメラを回す幡野さん。
教科書を読み上げる先生の声を、
歌うように復唱する子どもたち。
その声が、なにもない山村に響きわたる。
ぼくのいる場所からは、
その姿はすべて逆光越しの影となって映し出され、
ただひたすらにまぶしい。
澄んだ声とは、こういう声のことを言うのだろう。
#49ネパールの山奥の学校で、
今日の授業がはじまる。
歌うように教科書を読む子どもたち。
その声を聴きながら、
古賀史健が思ったこと。
朝礼が終わると子どもたちは教室に戻り、
ほどなく授業がはじまる。
その様子に、じっとカメラを回す幡野さん。
教科書を読み上げる先生の声を、
歌うように復唱する子どもたち。
その声が、なにもない山村に響きわたる。
ぼくのいる場所からは、
その姿はすべて逆光越しの影となって映し出され、
ただひたすらにまぶしい。
澄んだ声とは、こういう声のことを言うのだろう。
子どもたちの声を聞きながらぼくは、
また泣きはじめた。
たっぷり土埃をかぶった目尻を潤すように、
じわりじわりと涙がにじんだ。
子どもたちの純真さにではなく、
シャラド・ライという男の成したことに、
ぼくの涙は止まってくれなかった。
たとえば、
「途上国に学校を!」と呼びかけるプロジェクトは、
日本にいてもたくさん目にする。
しかし、ぼくがそれらのプロジェクトのすべてを
こころから応援しているかというと、
かならずしもそうではない。
糸井さんがしばしば引用する、
吉本隆明さんのことばを思い出す。
「なにか『善いこと』をしているときには、
ちょっと『悪いこと』をしている、
と思うくらいがちょうどいい」
自分の目でYouMeスクールを見て、
赤い帽子の子どもたちを見て、
その歌声を聴いて、
ぼくはようやく理解できた。
シャラドは「善いこと」をしようとしてるんじゃない。
ただ「必要なこと」をしているだけなんだ。
そこにある切実さが
シャラドの誠実であり、
この学校の継続、発展、継承を生んでいるのだ。
明日につづきます。
2019-08-12-MON
長い連載を読んでいただき、ありがとうございました。
せっかくですから、感想などお寄せいただけますと、
このページに関わった人たちがよろこびます。
メールでの感想は postman@1101.com
「件名:ネパールでぼくらは。」まで。
Twitterでの感想は「#ネパールでぼくらは」でどうぞ。