ネパールでぼくらは。

#74今日は、ある意味、前後編です。
まずは、そこが尋常ならざる
シチュエーションだったこと。
その状況だからこそ、おかしかったこと。
両方をセットでおたのしみください。

最恐の山坂道。

(古賀史健)

シャラドのお母さん、
そして親戚や友人のみなさんと別れ、
ふたたびジープに乗り込みホテルへ向かう。
学校からきた道とは違う、
ホテルへの近道を通ってジープは進む。

ネパールではけっきょく
20時間以上、もしかしたら24時間以上、
車に乗っていた計算になるのだけど、断言する。

今回のネパール旅のなかで、
もっとも危険だったのは、この夜道だ。

「落ちるっ!」
「えっ? いまのヤバくなかった?
 あと2センチで崖の下、落ちてなかった?」
「やめてやめてやめて!」

この旅ではなるべくたくさん
写真を撮るようにしていたけれど、
とてもとても写真どころの騒ぎではない、
尋常ならざる悪路だった。

はじめての夜道だったこと、
道がこれまで以上に険しかったこと、
なのに運転手・ナラヤンがやたら急いでいたこと、
ぎゃーぎゃー叫ぶぼくらがおもしろかったのか、
余計にスピードを上げたこと、
などなどいろんな理由が重なっていたのだけど、
こころがざくざくすり減っていった。

しかもこういうとき、幡野さんは
「もう、これ以上寿命を縮めないでよ~」
なんて困ったジョークを口にする。

「・・・・ああ、反応しづらいっ!」

そうツッコミを入れられる仲になれたことが、
とてもうれしい。

Hello, Mr. Kamo.

(古賀史健)

最恐の山坂道をのぼっていた道中、
ぼくの隣に座る鴨さんは、ひとり平然としていた。

いや、「ひとり」というのは不正確で、
正しくはシャラドの妹さんである
サテさん&スーニさんと、
なにやら熱く語り合っていた。

サテさんとスーニさんは、
このガッタンガッタン大揺れするジープ旅も、
もはや慣れっこである。
ぼくらのように騒ぐこともなく、
なんならすやすや熟睡したりしている。

そして道中、
なにかのきっかけで彼女らを起こし、
しゃべりはじめた鴨さんは、
やがてネパールという国が抱える諸問題について、
英語で議論しはじめた。

“But I think, but I think, Nepal is…”

英語でなにやらまじめに語り出す、浅生鴨。
不思議なもので、
英語になると鴨さんは、
ちょっとイケメンふうの声になり、話しかたになる。
なんだろう、
往年のゴジラ映画に出てくる外国人研究者みたいな、
クリス・ペプラーというよりは
E・H・エリックに近い、しゃべりかただ。

“Yeah, that is very difficult problem, but…”

最恐の夜道をぐらぐら揺れながら
命懸けで走っているそのシチュエーションと、
B級映画のパロディみたいな声色で
まじめな議題を話すミスター・カモのギャップがもう、
腹が引きちぎれるほどおかしい。

永田さんとふたり、
ゲラゲラ笑いながら「うわーっ」と崖におののき、
かと思えばまたダンディ英語にゲラゲラ笑い、
いつしかジープはホテルに到着した。

明日につづきます。

2019-09-16-MON

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