ネパールでぼくらは。

#90ものと人と色と音があふれる、
夜のカトマンズ、タメル地区。
最後の夜にあじわった混沌を
ぼくらはきっと憶えていくだろう。
永田が感じたのは、こんなことだった。

カトマンズの夜。

(永田泰大)※コラム内の写真も撮影

夜のカトマンズを見ておくべきだ、
と言ったのは泰延さんだ。
あの混沌こそアジアであり、
たとえ数分でも体験する価値がある。
陽が落ちてからの数時間だけ
道路に急にマーケットができるあの光景を
ぜひ見たほうがいいと彼は言う。

そして夜のカトマンズへ踏み出すとき、
先頭を行くのは鴨さんだ。
彼は外国の街を日本の街のように歩く。
どんどん話しかけて、
ときどきiPhoneから生中継して、
ネパールの笛が欲しいなといって
唐突に楽器屋に入って、
もっとこういうのはないのかとか言ったりする。

また、歩きながら写真を撮り、
あとからきちんと原稿にできるように
メモ帳やiPhoneなどに
いろんな固有名詞をきちんと
記録しているのは古賀さんである。
そしてもちろん路地に犬の影あらば、
かならず近寄ってのどなどを撫で
うじゃうじゃと謎のことばで話しかける。

ぼくらは彼らの背中を見ながら
列のいちばん後ろを歩く。
ひとりじゃ来られなかったかもしれない。
来ようとさえしなかったかもしれない。
頼もしい仲間をありがたく思う。

カトマンズの街は、たしかにカオスだ。
もっとも驚くのは行き来するオートバイだ。
多くが原付の二人乗りで、
日本なら歩行者天国になっていそうな賑わった通りを
さほど減速することなくびゅんびゅん走る。
人がすれ違うのもやっとくらいの狭い路地にも、
鉢合わせ上等、という感じでどんどん入り込む。

とくに区画されている様子もなく
あちこちにシートが広げられ、
色とりどりの果物や雑貨や古着が売られている。
まばゆいばかりの金色の仏具を
ぎっしりと並べているお店がある。
カシミアのショール、お茶の葉、ナイフ専門店、
看板にリアルな絵を描いている人、
スパイシーな匂い、笛、インド風の音楽、
観光客、子ども、崩れたレンガ、
Supremeのロゴがついた
Supremeらしからぬ値段のTシャツ、
ぬいぐるみ、お坊さん、欠けた月。

夜のカトマンズの混沌と喧噪とともに
ネパールでのさまざまな経験や思念が
渦となってぼくの中に流れ込んでくる。
オートバイが行き来する。
友だちはぼくの前を歩いている。

これまで何をしていたんだろうとぼくは思う。
ときどき旅をしたつもりでいた。
けれども、それはちっとも旅じゃなかったかもしれない。
何も知らないぼくが、夜のカトマンズを歩いて行く。

呼び込みの声、ぶらさがっている布、クラクション。
ここはどこだろう。ホテルはどっちだろう。
カトマンズの夜。ネパールでの最後の夜。

ああ、たとえば二十歳の頃に、
この旅を経験しておけばよかったとぼくは思う。
そしてすぐにその考えを打ち消す。
いや、間に合ってよかったのだ。
旅に遅すぎることはない。

ダルバール広場に着いた。
2015年の大地震で崩れたままの寺院を見る。
写真を撮る。友だちと話す。憶えておく。
どうも、はじめての旅のような気がする。

明日につづきます。

2019-10-08-TUE

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