ネパールでぼくらは。

#92旅の最後の夜だからといって、
ただただ、しんみりと、
つつがなく過ぎていくわけではない。
なにが起こるかわからないのが旅である。
みんなが自室へ帰った深夜、
ちょっとしたことが起こる。
今日のテキストはけっこう長いみたいです。

深夜、ホテルのカウンターで。

(永田泰大)

深夜にコーヒーが飲みたくなって、
フロントにお湯をもらいに行った。
真っ暗な1階のフロアーの突き当たりにある
カウンターの仄暗い灯りの中に
いかにも遅番という若いホテルマンがいて、
ぼくが近づくとスマホを置いて立ち上がり、
どうかしましたか、という表情をつくった。

お湯もらえる? と聞くと、
もちろん、と答えて彼は
カウンターの横の扉の鍵を開けてぼくを招き入れた。
隣の部屋には給湯器があった。

ネパールの電力は不安定だから、
この時間にフロアー全体が暗いのはふつうのことだ。
暗がりのなかでポットにコポコポとお湯を入れてもらう。
キャップを締めるあたりで彼が、
日本人だよね? と言った。
肯定すると、ちょっとお願いがある、と彼は言った。
ゆっくりしゃべってくれたから理解できた。

「ぼくは日本のお金を持っているんだけど、
ここじゃ使うことができないから、
ルピーかドルに替えてくれないか?」

そう言いながら彼が財布から取り出したのは、
たしかに日本のお札、一万円札だった。
数日ぶりに見たからか妙に懐かしく、
ちょっとおもちゃみたいに見えた。

そういえば荷物の中につかってないドル札がある。
どこかで使うかもしれないと思って
日本から持ってきたんだけど、
けっきょく手をつけてなかったのだ。

ドルならいくらかあるよ、とぼくは言った。
ああドルに換金してくれたらうれしい、と彼は言う。
一万円札を受け取り、たしかめる。
暗がりで話を持ちかけられたのと、
ちょっと彼がこそこそしてる感じだったので、
なんとなくすぐに応じちゃいけないような気がしたのだ。
念のため、ライトに透かしてみたりもした。
おなじみの福澤諭吉の肖像。
透かしも入っていて、問題なさそうだ。

ちょっと足りないかもしれない、とぼくが言うと、
少しくらいなら問題ない、と彼は言った。
なんだかそういうやり取りそのものが
ちょっとたのしくなってきた。
OK、待ってて、と言ってぼくは
お湯の入ったポットを持って一旦部屋に戻った。
荷物の中からドル札を取り出して数える。
やっぱり、1万円にはちょっと足りない。
ぼくは当日の日本円とドルのレートを調べて
彼のために簡単なメモをつくった。

フロントに戻ってレートの説明をすると、
彼は、大丈夫、この額でいいよ、と言った。
OK、じゃあ交換だ。
仄暗いホテルのカウンターでぼくらは
ドル札と一万円札を交換し、
ありがとう、おやすみ、と言って別れた。
外国でコミュニケーションを終えたとき特有の
軽い達成感をぼくは感じた。

部屋に戻り、もらったポットのお湯で
インスタントコーヒーをつくって飲んで、
ふと見るとさっきの一万円札が出しっぱなしだったので、
ぼくは荷物の中にそれをしまった。

しまうときに、なにか違和感があった。
すっと血のひくような、身体のどこかが
制御できなくなったような妙な感覚だった。

いま入れた一万円札を引っ張り出した。
そして、もともと持っていた
一万円札を出して横に並べてみる。
どういうことだ。

なんだ。なんだ、この違和感は。
いや、古さとしわで、そう見えるだけじゃないか?
違う違う、あきらかに違う。
どこが違うんだ。どう違うんだ。
どちらも一万円札で、
どちらも福澤諭吉だけど、なんだか違う。
色味が違うような気がする。
背景の模様も違うように思える。
いや、もっと、はっきり違うだろう。
よく見ろ。どこが違うんだ。よく見ろ。

あ。とぼくは思った。
印象ではなく、事実をぼくは見つけた。
左下にあるはずのシールがない。
きらきらと光る、ホログラムのシールがない。
つまり、ぼくは、それを認めなくてはならない。

やられた。

さっとひいた血が逆流してくるのをぼくは感じた。
これはニセ札なのだ。
どうりで、あんなにこそこそと、あいつ。
つまり、一万円分のドルをだまし取られたのか。
それで、足りなくてもいいなんて言ってたんだ。

そういうときは身体が先に動くので、
自分がどういう思考状態にあったかわからない。
いま冷静に考えれば危険を伴う行動だったことがわかる。
けれども、そのときのぼくは、
一万円札をひっつかんで部屋を飛び出していた。

急がなきゃ、とぼくは思ってた。
じっくり考えるのが嫌だったのかもしれない。
暗いエレベーターホールでぼくはボタンを連打した。
早く来い、とぼくは思っていた。
立ち止まっていろいろ考えたくなかったのだ。
開いた扉のすきまに滑り込んで
1階のボタンを素速く押す。
ぼくは、自分が、怒っているべきだと思った。
その場所で、自分は、怒っていなくてはならない。

1階に着いてエレベーターの古い鉄の扉が開くと、
やはりそこは少し前と変わらず真っ暗で、
突き当たりには仄暗いカウンターがある。

若い、いかにも遅番というホテルマンの彼は、
果たしてまだそこにいて、
ちょっと驚いたようにぼくを見た。
彼がスマホを置いて立ち上がるよりも
ぼくがカウンターに着くほうが早かった。

そして、ポケットからその一万円札を取り出し、
やや乱暴に投げるようにカウンターに置いた。
叩きつけるとまではいかないが、
すっと滑らせるような置き方だった。
そして彼をにらみ、言った。
感情とともに、ことばは自然に出た。

“ Hey, This is a Fake. ”

さて、緊張感を持って書き進めてきたが、
ぼくがここで書きたかったのは、
カトマンズのホテルで起こった
ニセ札事件そのもののことではない。

いえ、それはたしかに起こった。
事実としてそういうことはあったのだが、
書きたかったのはその顛末ではない。

じゃあ何が書きたかったかというと、
じつは、この文章のテーマは「英会話」なのだ。
なんじゃそれとずっこける読者をそのままに、
ぼくは言いたいことを言うことにする。

多くの人と同じようにぼくも
学校で英語は学んだけれどちっともしゃべれなくて、
少しはしゃべれたらいいなと思って、
ときどき思い出したように
英会話のアプリをダウンロードしてみたりする。
半年ほど英会話スクールに通ったこともあったけど、
やっぱりそれは身につかなかった。

単語を憶えて、例文を理解して、レッスンとして、
外国人の講師と英語でしゃべることはできる。
けれども、それはそこでの会話が
ひとつのサンプルとして成り立つだけで、
本当の意味で英語でしゃべれているわけではない。

薄々、ぼくにもわかっていた。
こういうことをしていても壁は越えられないのだと。
なんのためにそれを英語で言うのか、
という動機や必然が身体の中心のところで
どくどくと脈打っていないと、
どれだけ講師の言い方をまねたとしても
ほとんど意味はないのだと。

つまり、「言いたいことがあるのか」ということだ。
伝えたいことが、表現したいことが、
心や気持ちが、お前にはほんとにあるのか、ということだ。

カウンターの上に怪しげな一万円札を滑らせ、
ぼんやりしている彼をにらみつけながら口を開いたとき、
ぼくには本当に言いたいことがあった。
あきらかに伝えたいことが、
どうしようもなく込み上げてくる熱い気持ちがあった。
そのとき、ぼくのことばは、魂だった。

なめるなよ、と思いながら、
お金を取り返さなきゃと焦りながら、
でも、彼は何も知らない可能性があるぞ、
とちょっとだけ気にしながら、
とにかく伝えなきゃいけないと思って、
カウンターに例のそれを滑らせたら、
ことばが身体の中心からぐわっとせり上がって来た。
ぼくは言った。発音も文法もまったく気にしなかった。
でも、100パーセント伝わったという手応えがあった。

“ Hey, This is a Fake. ”

こういうふうに、
ことばを身につけていけばいいんだろうなとぼくは思う。
ことばに限らず、ほんとうになにかを学ぶというのは、
そういうことなのだろう。

さて、さきほど述べたように、
この、カトマンズのホテルの
仄暗いカウンターでのやり取りは、
まったくもって事実なのだが、
顛末としては、すみません、しょうもないオチがある。

彼はぼくの指摘を受けて、
「そうなの?」と驚いていた。
悪事が露見したという感じではまったくなく、
「これ、ニセ札なの?」という好奇心に満ちた反応だった。
2枚のお札を並べてシールの有無を説明したところ、
うわあ、ほんとだ、とちょっと盛り上がって、
スマホで写真を撮りはじめた。
つられてぼくも写真を撮った。

彼は、そうかごめんね、とお金を返して、
いや、こっちもごめん、みたいにぼくも苦笑いで言った。
このあたりのやり取りは、
言いたいことも伝えたい気持ちもなんだか曖昧なので、
英会話としては非常にふにゃふにゃした、
魂とかまったく感じられないものである。

ともあれ、彼とのやり取りを終え、
自分の部屋で気になって
ニセ札情報についてネットで調べていたら、
ぼくはとんでもない事実を知った。

みなさん知ってましたか。

2004年に日本のお札は新しくなりました。
千円札は、夏目漱石から野口英世に、
五千円札は、新渡戸稲造から樋口一葉になりました。
ところがね、一万円札はね、
2004年以前の旧札も、2004年以後の新札も、
「どっちも福澤諭吉」なんですよ。

つまり、ぼくが違和感を感じて、
ホログラムのシールがないぞと気づいて
ニセ札扱いしてカウンターに滑らせたあの一万円札は、
「旧札」だったんです。
いまは製造も流通もしてないけど、
つかおうと思えばちゃんとつかえる、
一万円分の価値がある一万円札だったわけです。

もちろん、それに気づいたぼくは
部屋を飛び出して1階まで行った。
いったい何度部屋を飛び出すのかと呆れるけど、
部屋を飛び出してエレベーターのボタンを連打した。
それを告白するのは非常にばつが悪かったけど、
そんなこと気にしてる場合じゃないと思った。

“ Hey, This is a Fake. ”じゃねっつーの。

しかし、カウンター係は別の若者に代わっていた。
なにか用ですか、と新しいカウンター係は言ったけど、
さすがにその夜の顛末をきちんと説明するには
ぼくの英語力はお粗末すぎた。

ぼくは部屋に帰り、翻訳ソフトをつかって、
できるだけ丁寧な英文の手紙をつくり、
それをカウンター係に託した。

「ごめんなさい、ぼくのミスだった。
 キミの持ってる日本のお札は
 フェイクじゃなくてリアルだよ。
 それは日本の古いお札だったんだ。
 誤解してしまって本当にごめんなさい」

いま、彼は、あの古い一万円札をどうしてるだろうか。
もう両替しちゃったかな。

せめて、深夜に慌てふためきながら、
エレベーターでの昇ったり降りたりしていた
おかしな日本人とセットで、
一万円札のことを憶えていてくれるといいんだけど。

撮影:永田泰大

そのとき撮った写真。いや、これ、びっくりするでしょ?

明日につづきます。

2019-10-10-THU

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