糸井 |
日本の人の持っている価値観の良さには
こういったこともある、ということで、
今、思い浮かんだ話がふたつあって。
どちらも、手間とか、手仕事などに対する
視点の話なんですけれども。
|
|
パトリック |
ええ。
|
糸井 |
ひとつはイタリア人の友達に聞いた話なんだけど、
最近、イタリアの人たちがどんどん
料理をしなくなっているらしいんですね。
レストランで食べる料理は変わらずおいしいし、
イタリア料理はおいしいよねっていうのは
イタリアでもみんなが思ってることなんだけど、
「その料理を家でつくろう」って考える人が、
どんどん少なくなってるらしいんです。
料理人の友達なんかに聞いても、
習いたいってやってくるお弟子さんが来ないんだって。
でも日本では、たとえば料理教室を開いても、
普通の奥さんとかがちゃんと、
料理を習いたいってやって来る。
おそらく、日本の人たちは、
自分たちでつくりたいし、それを学びたいんですよね。
|
パトリック |
ええ。
|
糸井 |
もうひとつは、ぼく、今度、
アイルランドの島に行くんですね。
アラン島っていう、セーターで有名な、
人口が数百人とかのちいさな島に行くんですけど、
3つの島があって、それぞれ住んでる人が
200人、300人、800人だったかな、
そういう島に行くんですね。
|
パトリック |
ええ。
|
糸井 |
セーターの取材で行くんですけど、
かつて、アラン島のセーターは世界中の人に
「アランセーター」という名前で、
その良さとともに知られていたんですね。
でも、もう編む人もいなくなって、
みんなどんどん年をとっちゃって、
昔はみんな手編みだったセーターが、
今は機械編みの工場でつくられている。
どうしてそうなっちゃったかと言ったら、
時代も良くなかったと思うんだけど、
手で編む、ということの価値を
きちんとわかってくれる市場を
アランセーターが持てなかったというのが
一番の理由だと思うんですよね。
|
パトリック |
ああ。
|
|
糸井 |
手で編んだものと、機械編みのものって
実はまったく違うもののはずなんだけど、
実際の手間とかに比べて、
その価値がものすごく低くなってしまったら、
やっぱり機械編みで大量につくるほうに
いっちゃうんじゃないかと。
|
パトリック |
はい。
|
糸井 |
でも、今ぼくらは日本で、
手で編むことの価値とかをわかっているし、
感謝の気持ちとかを、
つくっている人に対して持てている。
|
パトリック |
実はそこに、見えないエネルギーのやりとりが
あるんですよね。
モノのやりとりとか、お金のやりとりとか
そういうことだけではなくて。
|
糸井 |
そう。
で、それは、つくった人と買った人の間に
心の話としてあって、
そして今、手編みのものを買うっていうのは
大切につくられたものを
お金で買ってもいいですかって、
お願いして買うみたいなことでもある。
|
パトリック |
日本人はそういったことを
大事に思う気持ちを持っていますよね。
同じアジアでも、ほかの国の人々は
もしかしたら、そういった部分よりも、
機械をつかってたくさんの量をつくることのほうを、
優先するのかもしれないけれど。
|
糸井 |
そうなんですよね。
でも、日本の人たちは、
手間や時間のかかることを重んじるし、
自分たちがそれをつくるときも
手間や時間をかけること自体を楽しむっていう。
|
|
パトリック |
ええ。
|
糸井 |
そういった時間のつかい方とか
喜びの味わい方って、
これは誰にも教わってないんだけど
日本の人はみんな、持っているように見える。
先にお金があるんじゃなくて、
仕事すること自体や、その喜びが先にある。
嫌なことをしてお金をもらうんじゃなくて、
好きなことをしてお金にもなるっていう。
この考えは、ぼくら(「ほぼ日」)の普段の仕事にも
ちょっと通じるところがあるんですけど。
|
パトリック |
なるほど。
|
糸井 |
たとえばパトリックさんでも、
お金になるから仕事をしてるわけじゃなくて、
どこか喜ばれたいとか、自分が気持ちがいいとか、
そういうことでやってますよね。
|
パトリック |
ええ、そうですね。
|
糸井 |
お金が先にあるんじゃなくて、
仕事自体の喜びのほうが先にある。
これは、西洋の人たちにもわかってもらえる
日本の良さだと思うんですが。
|
パトリック |
はい。
今、糸井さんのお話をうかがっていて、
私も思い出したことがあります。
それは、自分の根っこにある
信念みたいなことなんですけれど。
|
糸井 |
ええ。
|
パトリック |
ひとつは、この世界は
すべてはエネルギーのやりとりだということ。
この木のテーブルだって、
今はテーブルの形をしているけれど、
いつかは土に還るエネルギーの流れだし、
そういった、たくさんのエネルギーの流れが
この世界をつくっています。
とどまっているかのように見えるものもあるけど、
実は、流れていないものなんて、ない。
さきほどの料理や編み物のことだって、
見えるにしろ、見えないにしろ、
エネルギーのやりとりの話でもありますよね?
すべては変化する、流れるエネルギーのやりとり。
日本人はその、見えないエネルギーのやりとりを
とても大事にしていますよね?
|
|
糸井 |
ああ、そういう言い方も
できるかもしれませんね。
|
パトリック |
もうひとつは、人としての欲求のこと。
昔から、人には根っこのところに
「2種類の大事な欲求」があるんだ、と
私は思っているんですけれど、
ひとつめの欲求は
「学びたい、成長したい
(to grow or to learn)」という気持ち。
もうひとつの欲求が
「分けたい、共有したい
(to give or to share)」という気持ち。
‥‥この2種類の欲求が、
人にはあると思うんですけれど、
日本では、このどちらともが、
すべての人のなかにとても大事なものとして
きちんと認識されていると思うんですね。
|
糸井 |
ええ。
|
パトリック |
でも、世界全体だと、
「学んだり、成長したり」することに
時間をちゃんと使っている人は
あまりいないと思うんです。
そして「人にあげたい、共有したい」
っていうのも、全般的にはやっぱり
みんながそのために
充分な時間をつかってるようには、思えない。
ですが、日本のすごいところは、みんなが、
「学んだり成長したり」することにも、
「人にあげたり、シェア(共有)する」ことにも
とても心を砕いてるように見えるんです。
|
糸井 |
‥‥良い日本人に会ってきたんですね(笑)。
|
パトリック |
あ、そう(笑)?
|
|
糸井 |
というよりも、たぶん、パトリックさん自身が、
よい「つき合い方」をなさる方なんでしょうね。
つまり、日本の人がそういった、
学ぶことやシェアすることを大事にするといっても、
パトリックさん自体が、
そういう面を見せるようなつき合い方をしないと、
日本人もやっぱり、その面を見せないわけで。
それはだから、たぶんパトリックさんが
人々に、そういう面を引き出させるような
「会い方」をしてるんだと思いますね。
|
パトリック |
だと、いいんですが(笑)。
あと、日本だと、たくさんの人が
「品がある」って言います。
|
糸井 |
うん。
|
パトリック |
そういう国ってあんまり多くはありません。
そして、日本って本当に「品」がある。
日本みたいな国はほかにありません。
|
糸井 |
「品」かぁ‥‥。
やっぱり、それはパトリックさんが
日本の人たちとその「品のよさ」の価値観を
共有できるつき合い方をしてるんですよね、きっと。
|
パトリック |
そして日本の「品のよさ」の話は、
「縁」ということと、強く関わっていますよね。
|
糸井 |
ええ、「縁」の考え方、ありますね。
|
パトリック |
ただ、私がすこし気になっているのが、
昔から自然や環境との「縁」を
とても大事にして暮らしてきたはずの日本人が、
今、あまりそういった「縁」を
重視してないように思えるんですよね。
今の人々は、まず「モノ」がほしい、でしょう?
今の日本人が、昔の日本人の「縁」の精神を
受け継いでいるといっても、
今のそれは「モノとの縁がほしい」という
側面が強かったり。
|
糸井 |
あーー。
|
パトリック |
今の人々がほしがっている「縁」が、
たとえばブランド品との「縁」だけだとしたら、
それは、本当の意味での「縁」というものとは
違うんじゃないか‥‥って思うんです。
今、他のアジアの国でも、
ブランド品がものすごく欲しがられたりするけど、
それは、あまりビューティフルじゃない。
日本がこれからどういうふうになっていくか。
日本のすぐれた価値観である
「品」とか「縁」といったことを
どんなふうに考えて、世界に広めていくかは、
私にはとても大事なことのように思えます。
|
糸井 |
ええ。 |
|
(つづきます) |