パトリック |
先週、私の関わっている「TED」というイベントの
オーディションのため、上海に行ってきたんですが、
興味深いことに、東京で「TED」に関わる人たちとは、
まったく雰囲気が違っていたんです。
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糸井 |
ああ、そうなんですか。
どういう違いが?
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パトリック |
いちばん印象的だったのは、
オーディションで出会った中国の人たちが、
自分たちの「イノベーティブ(革新的か)」や
「クリエイティブ(創造的か)」の部分について、
あまり自信を持ててないように見えたことです。
それは、いっしょに行った「TED」のスタッフたちも
同じように感じたらしくて。
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糸井 |
うん。
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パトリック |
いま、世界は「これからはアジアの時代だ」、
とりわけ「中国の時代だ」って
期待をかけているわけですよね。
ところが、中国の人たちは、
自分たちのこれからの
イノベーティブネスやクリエイティビティに
いまひとつ確信を持てないでいる‥‥。
これは、けっこう興味深い状況ですよね。
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糸井 |
あの、何年か前ですけど、ぼくも上海に行ったんです。
ちょうど、上海が急に発展して
ビルがどんどんできているときだったんだけど。
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パトリック |
はい。
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糸井 |
当時、ぼくは、その
「どんどん発展していく感じ」が
ちょっと気になっていたんですよ。
ビルがにょきにょきと建っていく感じって
どういうもんなんだろう、と。
自分では、なんとなくその感じには
しっくりこないところがあったんですが、
でも、実際にその様子を見たら、
「いいな」って憧れるかもしれない。
実は自分も心の底では、
「日本にこんなふうにビルを建てる力が
なくなったのは、寂しいことだなあ」
とか思ったりするのかな、って。
それで、上海に行ってみたんですが‥‥
やっぱり自分には、あまりピンとこなくて。
その、どんどんビルが建っていく、
という価値観は、自分が進みたい方向とは
どうも違うものなんだとわかったんです。 |
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パトリック |
ああ、なるほど。
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糸井 |
飛行機で、上海の街に下りるときに、
窓から下を見たら、たくさんのビルが
建ち並んでいるのが見えたんですね。
でも、その景色が、なんだかぼくには
「同じトーンの文がずっと並んでいる文章」
みたいに見えたんです。
つまり、一個のビルが一つの文字だとすると、
並び方が同じような言葉が、
ずっと並んでいるように思えた。
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パトリック |
ほーー。
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糸井 |
たとえばロンドンの
ヒースロー空港に下りるときには、
その並び方とか、色とか、高さ、低さ、
時間が経ってる具合とか、
上から見たときに
おもしろいテキスト(文章)に見えるんですよ。
ニューヨークはニューヨークで
そういうところがあるし。
前からあった、自然につくられて
発展していった街っていうのは、
上から見たときになんだか、
おもしろい文章みたいに見える。
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パトリック |
なるほど。
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糸井 |
東京は東京で、
まぁ、しょうがないなっていう部分もあるけど、
見下ろしたときの街並みとしては、
上海で見たビルの印象よりは、
ぼくがこれから進んでいきたい方向に、
まだ、近いような気がして。
もちろん、そのときの上海は
その日のぼくの印象でしかないので、
また行ったら違うかもしれないんですけれど。
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パトリック |
はい。
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糸井 |
ただ、ぼくはそのとき、上海の景色を見ながら、
「じゃあ、ぼくが本当に望んでいる方向って
どういうものなんだろう」って考えたんです。
それはもしかしたら「ぼく」だけじゃなくて、
「ぼくら」の望んでいる方向、
ということかもしれないんですけれど、
これから、何をすべきなんだろう、って。
そういうことを、しばらく、
頭の隅に置いて、ずーっと考えていたんです。
そしたら、去年、東日本大震災があって。
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パトリック |
ああ。
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糸井 |
何をすればいいか考えてるって言いながら、
ぼくももしかしたら
そのまま死んじゃってたかもしれない。
でもあの日、突然、震災が起こって、
何もなくなっちゃった人がいっぱい生まれて。
それで、ぼくは、その人たちが、
どうやって生きて行くのかっていうことの
手伝いをしたいなと思った。
そうしたら、これから何をすべきなのか、
ぼくらが望んでいる方向が何なのか、
本気で考えなきゃならなくなって。
それで、震災をきっかけに、
ぼくは東北によく行くようになったんです。
そして、新しい日本の文化だとか、
これからの生き方みたいなことを、
東北の人たちといっしょに考えてみたとき
見えてきたものっていうのが、たくさんあって。
それまで大事だと思ってたんだけど、
「本当はそんなのいらなかった」とか。
あるいは、みんながちょっと軽く見てた仕事とかを
「とっても大事なんじゃないか」と感じられたり。
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パトリック |
ええ。
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糸井 |
たとえば(机の上にある器を手に取りながら)
これは、ある人がつくった、漆の器なんですけど、
木を彫るところから、漆を塗るところまで、
全部の工程を一人の人がやってるんですね。
つまり、その全部の行程がないと、
この器はこの形で存在できないわけです。
たとえば、ここからここまでのこのカーブ
(器の側面にあたるカーブ)も、
その人が手でつくり出している。
このカーブをつくるのに、
いろんな種類の砥石をつかって、
こうやって、擦ってつくっていく。
(器のカーブに沿って手を動かす)
そうしないとこの形が出ないんです。
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パトリック |
はい。
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糸井 |
そういった、ひとつひとつの
カーブをつくるような仕事は、
今までは「低い」仕事だと思われてた
ところがあると思うんです。
「クリエイティブ」だって言われるのは、
この形のスケッチ、つまり設計図の部分だけで、
実際に彫ったり擦ったりカーブをつくっていくのは、
クリエイティブとは別の作業のように言われてた。
でも、一人の人が全部をやって、
この器が思ったようなカーブになるっていうのは
まったく「低い」仕事じゃないんですよね。
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パトリック |
ええ。
工業製品ですけど、iPhoneやiPodにも
ものすごくシンプルなデザインで、
この漆の器に通じるような「何か」がありますね。
他の会社の製品では、あまり見た事がないですが。
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糸井 |
ええ、あれも、
みんながつまんないものとしか
思っていなかった「直線」っていうのを、
「それだけじゃつまんなくなるから、
このカーブにしよう」と、
その直線の価値をあらためて見つめ直して、
すくいあげたものなんだと思うんですけれど。
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パトリック |
はい。
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糸井 |
「ある直線」を「ただの直線」だと思うと
そこで抜け落ちてしまうものがあるし、
そのデザインの設計図だけを見て、
「ああ、こういうものね」って思ってしまうと、
見逃されてしまうものが、ある。
だけど、やっぱり色々なものの「価値」って
ギューーーッと、いろんな場所に詰まっていて。
で、そういう、言葉にはなかなかしにくい
「価値」について、
日本人は忘れていたかもしれないなって、
ぼくは今、東北の人たちといっしょに
思い出しているところなんですよね。
そういう、まだ評価されていない
「見えない価値」の部分に
みんなが喜びを感じられるような
仕事の仕方ができるんじゃないかなって。
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パトリック |
ええ。 |
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(つづきます) |