大学に入ってから働きたいと
思っていたとおっしゃっていましたが、
最初からコピーライターになりたかったんですか。
「コピーライターになるって決めたのは
大学3年生のとき。
ものをつくることには意識があったけれど、
完全に決めきれないことがあって。
僕は大学1年の頃に、
橋本治さんと出会ったんです。
漫画の評論誌に押しかけていって、
お金をもらえるわけじゃないけれど
働かせてもらったりして。
そういう、僕みたいな人間が
集まっている雑誌だったんですよね。」
大学時代にいい人と出会って、
自分のやりたいことに
近いお仕事をされていたんですね。
「大学2年の終わりか3年のはじめに、
その漫画評論誌で知り合った女の子から、
『広告批評』の糸井さんの特集号を薦められて、
『ああ、これはすごいや!』と思ったんです。
その衝撃を経て大学3年生の時に、
『ああ、俺はコピーライターになれる』
という確信を持つようになったんです。
僕はすごく現実的な人間で、
この仕事は『できる!』と思っちゃったんですよね。
糸井さんや仲畑貴志さんにはなれないけれど、
その次のクラスにいる人にはなれると思っていて。
王や長嶋にはなれないけれど、
オールスターに出られるような選手には
なれるんじゃないかって(笑)。
だから、博報堂に入った頃なんて、
ずいぶん生意気なヤツが入ってきたと思われて。」
自信があるのに、すこし謙虚なところが
ちょっとおもしろいですね(笑)
思っていたとおっしゃっていましたが、
最初からコピーライターになりたかったんですか。
「コピーライターになるって決めたのは
大学3年生のとき。
ものをつくることには意識があったけれど、
完全に決めきれないことがあって。
僕は大学1年の頃に、
橋本治さんと出会ったんです。
漫画の評論誌に押しかけていって、
お金をもらえるわけじゃないけれど
働かせてもらったりして。
そういう、僕みたいな人間が
集まっている雑誌だったんですよね。」
大学時代にいい人と出会って、
自分のやりたいことに
近いお仕事をされていたんですね。
「大学2年の終わりか3年のはじめに、
その漫画評論誌で知り合った女の子から、
『広告批評』の糸井さんの特集号を薦められて、
『ああ、これはすごいや!』と思ったんです。
その衝撃を経て大学3年生の時に、
『ああ、俺はコピーライターになれる』
という確信を持つようになったんです。
僕はすごく現実的な人間で、
この仕事は『できる!』と思っちゃったんですよね。
糸井さんや仲畑貴志さんにはなれないけれど、
その次のクラスにいる人にはなれると思っていて。
王や長嶋にはなれないけれど、
オールスターに出られるような選手には
なれるんじゃないかって(笑)。
だから、博報堂に入った頃なんて、
ずいぶん生意気なヤツが入ってきたと思われて。」
自信があるのに、すこし謙虚なところが
ちょっとおもしろいですね(笑)