震災がきっかけとなりはじまった
「ほぼ日」と気仙沼のつながりも、11年め。
気仙沼自体、見どころがどんどん増えて、
その魅力がどんどん増えています。
ほぼ日が毎年お邪魔している3月の気仙沼、
ことしは編集部全員で訪れて、
仕事をしながら過ごすことにしました
(このタイミングで立川志の輔師匠の
「おかえり寄席 気仙沼」もありますし!)。
あちこち出かけたり、いろんな人に会ったり、
本部で作業したりしている様子を
4日間のテキスト中継でお届けします。
ちょこちょこ、最新の観光情報も紹介します。
ぜひ、いまの気仙沼を感じてください。
気仙沼にゆかりのあるみなさん、
住んでいる方だけでなく、仕事や旅行などで
1度でも気仙沼を訪れたことのあるみなさん、
「おかえりモネ」にハマったみなさん、
行ったことはないけれど
ちょっと気になっているみなさん、
よければぜひ、気仙沼へのあなたの思いを
メールで教えてください。
おいしい食べものやお店情報、
好きな場所、訪れたときのエピソード、
あなたが気になるスポットなども大歓迎!
中継のなかで紹介させていただきます。
宛先:postman@1101.com
メールタイトル:気仙沼おすすめ情報やエピソード
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ありがとうございました。
2022/03/13 18:25
気仙沼においでよ
2022/03/13 18:15
あの日から11年が経った気仙沼でしたが、
10年の節目だった去年よりも、
なんだか今年のほうが
あたらしい結び目を感じた気がしました。
今年、東京から気仙沼に向かうとき、
ぼくらは「あれから何年経ったね」
というようなことはとくに話さず、
「なんか暖かいみたいですね」とか、
「お昼は、まるきですか」とか、
「○○さんも来てるみたいですよ」とか、
そういう当たり前のことを言い合ってました。
なんでもない日が来るといいな、
とずっと思ってましたが、
なんでもない日がほんとに来ると、
ちっとも気づかないのですね、
なんでもない日は。
もちろん、大切な日です。
忘れるわけがありません。
たとえば午後2時46分を
どこで過ごすだろうというようなことは、
今回の旅に関わった全員が
意識したことだと思います。
それでも、ずいぶん当たり前になりました。
ふつうの旅みたいでした。
たとえば、じぶんたちが更新してきた
この4日間の長いテキスト中継を読み返すと、
主役は「気仙沼」という場所です。
当たり前じゃん、と思うでしょ?
ところがね、何年か前は、
どうやっても主役は「3月11日」になったんです。
それを真ん中からすこしでも
ずらすことができなかった。
あれから11年が過ぎて、
ようやく「3月11日」ではなく、
「この日の気仙沼」をふつうに
主役にすることができたような気がします。
その「ふつう」や「当たり前」を、
ここまでの日々をよく知っている人ほど
しみじみかみしめるのではないでしょうか。
大げさにいえば、
こんな日が来るなんて思えなかったんです。
今年はほぼ日の編集部全員で
気仙沼にやってきました。
いろんな人がいろんなことをレポートして
なんだかわちゃわちゃしてました。
昔からいる乗組員のなかに
こないだから入った新しい乗組員がいたり、
お客さんがいたり、おなじみの人がいたり、
知り合いがいたり、元乗組員がいたり、
話は平気であちこちに飛びました。
ラーメン食べている人のすぐあとに
伝承館の見学レポートが載っていたり、
市長の話と同列に
バッティングセンターの写真があったり、
なにがなんやらでした。
こんなこと、震災の数年後には、
できなかったと思います。
もっともっとみんなで気を遣い合っていた。
こんなふつうのことを書いていいのかな、
みたいにしょっちゅう確認し合ってました。
でも、今年は、ご覧のようににぎやかでした。
わちゃわちゃしてました。
みんなで気にせずあれこれ言い合えた、
今年の気仙沼をうれしく思います。
思い出すことも、思い出さないことも、
久しぶりのことも、はじめましてのことも、
悲しいことも、うれしいことも、
特別なことも、ありふれたことも、
まとめてそのまま表現できた、
今年の気仙沼をうれしく思います。
たとえば、ぼくはこんなことを思いました。
ああ、3月11日が過ぎるともう春なんだな、と。
この日を新しい季節へ向かう節目に感じるなんて、
悲しい気持ちでいるときには
思いつきさえしませんでした。
3月11日や2時46分という数字は、忘れません。
それは特別なものとしてしっかりと刻んだまま、
その日を過ごすこと自体は、
どんどんふつうの毎日になっていけばいい。
そんなふうにいま思います。
今年も気仙沼で過ごしました。
たのしかったよ! と大きな声で言います。
そして、みんなも、気仙沼においでよ。
おかえり寄席気仙沼
2022/03/13 18:13
来る人を「おかえり」と迎え、
行く人を「行ってらっしゃい」と送る。
おかえり寄席気仙沼
志の輔独演会、無事終了。
きっとまた。ぜひまた。
来てくださったみなさん、
ありがとうございました。
関係者のみなさん、
ありがとうございました。
最後のメール紹介。
2022/03/13 18:10
メールのご紹介も、
こちらで最後となります。
たくさんのメールを
ありがとうございました。
すべてをご紹介できず、申し訳ありません。
私の地元 気仙沼、
海と魚がずっと前から自慢の地域です。
小さい頃からそこで育ってきましたが、
気仙沼には素敵な価値を秘めていることを
頭の片隅に置いときながら、
いずれはこの場所とも離れて、
どこか知らない大人になっていくものだと
思っていました。
その中で、私が小学生の頃に
気仙沼が震災に見舞われました。
色んなものを失う様を、
1から振り出しになり
元には戻らない景色を目にしました。
身近に起こっているのに、
それでも湧かない実感を
胸に秘めながらでしたが‥‥。
大学に進学して気仙沼を離れてから数年、
何をしたいかもはっきりしないまま、
のろのろと社会に出る準備をしていました。
どこで何をしようかと
ふと新聞やネットを見れば、
知らぬ間に気仙沼は、
気仙沼にいらっしゃる方は
沢山のものを取り戻したり、
創り出したりしていることに気が付きました。
これが10年以上の積み重ねにして、
自分の見向きもできなかった
勇気ある足取りなのだと。
今までの己を恥じ、
自分の進みたい道を改めて考えた時、
自然と地元に戻ることを考えていました。
気がつけばもう地元に戻ることが決まり、
新たに気仙沼で働くこととなりましたが、
沢山の方々が残し作り上げてきた思いを、
私も向き合って生きていこうと思います。
(来年度から地元に勤める新社会人)
地元を自慢の場所と言うこと、
まずはそこで社会人をはじめるということ、
かんたんなようでいて、
それぞれの道筋があり、
すぐにできるものではないと思います。
新社会人、おめでとうございます。
遠い親戚のように、これからもどうぞ
「ほぼ日」とおつきあいくださいね。
見えなくなるまで
2022/03/13 18:05
震災のあと、いつごろからか、
糸井重里と気仙沼の人たちではじめた、
別れ際のお約束。
それは、相手が見えなくなるまで、
しつこくしつこく手を振ること。
「まだ振れ!」
「こっちも振れ!」
「振り負けるな!」
「またねー!」
「まだ振れー!」
この日も師匠の車が見えなくなるまで、
みんなで手や旗を振ります。
最終日のメール紹介(2)
2022/03/13 18:00
震災から三年前まで、
夫は仕事で気仙沼の復興に
関わらせてもらっていました。
更地でなんにもないんだ。
と話していた時期から、
徐々に復興に向かって工場が完成したり、
漁船の竣工式があるんだ。
といきいきと気仙沼の方から
パワーを貰って仕事をしていました。
震災から5年後、
東京で暮らす夫の両親と
小さな娘2人も連れて気仙沼を訪れました。
まだまだ更地と
大型トラックが行き交う街でしたが、
町並みからは
『がんばっぺ』が聞こえてきました。
その時、お邪魔したのが「福よし」でした。
びっくりするくらい美味しくて
また行きたいけどなかなか予約が取れない‥‥。
あの日、気仙沼を
まるで俺の町! ばりに案内してくれた夫の
仕事をする姿と父としての姿は、
忘れられません。
復興を一緒に歩ませてくれた気仙沼のみんな、
ありがとう!
ずーっと共に歩んでくれているほぼ日のみなさん、
ありがとう!
宮城っこの私は、胸がいっぱいです。
私のできる事は、少ないけれど
震災を忘れない事子ども達に伝える事を
続けていきます。
ぼち、ぼちがんばっぺ!
(a)
「がんばっぺ!」
気仙沼のみなさんから
こちらがパワーをいただいている、という事実。
ほんとう〜に、よくわかります。
(写真はメールと関係なく、今回わたしたちが
たいへんお世話になった、気仙沼プラザホテルです。)
師匠をみんなで
2022/03/13 17:55
最後に師匠をみんなでお見送りします。
このイベントのぜんぶは、
立川志の輔さんが
真ん中にいてくださるからこそ、
成り立つもの。
師匠、ほんとうに
ありがとうございましたー。
さあ、みんなで、手を振れ、旗を振れ!
「行ってらっしゃいー!」
最終日のメール紹介(1)
2022/03/13 17:50
私の父は、北洋漁業の漁師でした。
二百海里付近まで行き
サケマスやサンマなどをとって、
気仙沼港に水揚げに入っていました。
気仙沼に入った父へ、家族みんなで
会いに行った思い出があります。
水揚げが終わると、
またすぐ出港してしまうので
ほんの数時間の再会でした。
170トン近くある大きな船から、
ボサボサヘアのワイルドな姿で
父が降りてきてくれました。
普段はクラシック音楽や、本が大好きな
父なので、ギャップがすごくて‥‥
なんだかかっこよかったです。笑
父は、港のそばにあった海鮮のお店に
連れて行ってくれました。
そこでいただいた生カツオが、
ものすごく美味しかったのです。
漁師の父が太鼓判を押すほど、
新鮮でぬめっとしていました。
(とろみのあるカツオって
伝わるでしょうか‥‥)
そのあとすぐに父を見送るので
淋しいなぁ‥‥という気持ちと、
お刺身が美味しかった‥‥という記憶が
セットで残っています。
震災でそのお店が流されてしまい、
その後、復活したのかわからないままです。
カツオが出回る季節になると、
お父さんに会いに行ったね、
カツオ美味しかったね、
また行きたいね‥‥
と家族でおしゃべりします。
いつかまた、美味しいカツオをいただきに
うかがいたいです。
(裕美子)
お父さまとご家族の思い出を
ありがとうございます。
気仙沼漁港は漁師さんに人気がある、
おもてなしの気持ちにあふれているから‥‥、
というお話を「ほぼ日」で以前
ご紹介したことがありました。
その場所で、
楽しい時間を過ごされたのだろうなあと
想像しました。
それに、気仙沼のカツオ、
ほんとにおいしいですよね!
「ほぼ日」のみんなも、大ファンです。
三本締め!
2022/03/13 17:36
最後は和枝さんの音頭で、
三本締め!
おつかれさまでした!
志の輔師匠のご挨拶
2022/03/13 17:34
立川志の輔師匠から、
ひとこといただきました。
「ほんとうに感謝感謝で、
たいへんよい2日間でした。
関わったみなさまの
いろんな気遣いや思いを
あちこちに感じました。
なにも言うことはありませんが、
ただひとつだけ、
言わせていただくのであれば‥‥
菅原市長は、
ぜひ紹介してあげてください」
一同 (爆笑)
そう、初日のはじまりの挨拶のとき、
気仙沼市長が緞帳の前で
ご挨拶してくださったのですが、
「気仙沼市長のご挨拶です」みたいな
紹介もまったくなく市長が急に出てきて
「いや、紹介があるのかなと思ったら、
そんなものはありませんから、
市長、自分で出ていってください、
と言われたんです」とおっしゃったんです。
いやあ、ほんとうに
忘れられないイベントになりました!
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