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8/16 9日目
昨夜おそくにNさん宅の配置図を描いた。
まず、目を開けて、
自分が見て正しいと思えるように。
次に、目をつぶって。
その2つが一致している‥‥。
<8/15 21:17 Nさん家>
・私のねるへやにて、家の方を向いて
きちんと手もとを見てかきました。
・目をつぶってかきました。
1日目にかいた配置図は目を開けて、
見ながらかいたもの。
2日目にかいたものは目をつぶり、
鏡にうつして、確かめながらかいたもの。
その2つは一致していなかったと思う。
私の体の感覚と、見えている世界が
一致してきている、ということか‥‥。
車で埼玉に向う。
ナビゲーションらしきものをする。
地図を必死に見て、
「下宿という所あたりで曲がる。」と言う。
先生「上宿って出て来たけど。」
‥‥読みまちがえました。
私「道にぶつかった所で右に曲がる。
あれ? 左かな?
左のような気もする‥‥。」
先生「あてにしてません。」
ナビは無理でした。
車と道路を見ていると、
左右反転しているというのに、
左側を走っているようにも見える。
体を意識すると左側。
見ている視界だけを見ると
右側通行のようにも感じる。
家につく。車をおりる。
いつも見なれた門、玄関、庭。
あれ? 裏返っている。うわー。
うまく説明できないけど、
裏返っているという言葉が私にはしっくりくる。
ちょっと衝撃的。
家の中に入る。
リビング、ダイニング、台所。
見慣れたものばかりなのに見慣れない。
これは何かに似ている。
思い出した。
夜、電車にのると,車内の景色が窓に映る。
それを見ると、私はいつも、
あっち側に行けそうだと思っていた。
その窓に映った景色に似ている。
鏡だ。鏡の中だ。
私は鏡の中に入り込んでしまったのだ。
近所のジャスコに行く。
人はある程度いるけれど、
通路が広いので、歩くのも、
人やものをよけるのもスムーズにできる。
左の手すりが変だ。
右の手すりに右手をのせても、
自分の体とスムーズにイメージがつながる。
でも左だと、手すりと左手、
自分の体がつながらない。
使いにくい。
回転ズシに入る。
注文して流れてきた2皿を、一度に取る。
右手で1皿目、流れにそってうまく取れる。
次の左手がひょこっと変な所から出て来た。
でもすぐに補正して、すんなり取ることができた。
駐車場の車止めのでっぱりを、じっと見て、
へこませてみる。
へっこんだ。
ペコッと、2面を切りとった箱のようになってきた。
気を抜くとすぐでっぱるけど。
姉の子供3人と、家で遊ぶ。
おフロ用のメガネをのぞかせてあげると、
真中の女の子が左手(右手かも?)を
目の前でひらひらさせて、
「あれ? どうしてこっちに2本あるの?」という。
両手とも同じ側にあるように感じたのかな。
子供たちとカルタをする。
目の前をとびかう手と足。
たび重なる、子供独自のルール変更。
カルタを取ろうとして、
小ちゃい子のうでをたたく私。
目まぐるしくて、ちょっとついて行けない。
手あそびの、アルプス一万尺は、手と手が合いづらい
母が作ってくれた夕食を食べる。おいしい。
特に、子供たちといっしょに、お行儀を気にせずに
のびのびと食べれるのがうれしい。
自分のすぐとなりにいる人の右左を
まだよく間違える。
子供が左から寄って来ても
右を向いてしまったりとか。
食事中に、頭を右の棚にぶつけた。
少したってからその事を思い出した時、
いたみが頭の左側にあるように感じてしまった。
すぐ右どなりの棚は、左にあるように見えたから。
感覚も結構いいかげんなものだ。
2階の自分の部屋へ行く。
階段上がってすぐ右の部屋。
なのに左の納戸に入りかけてしまった。
こんなことがあるなんて思わなかった。
自分の見慣れたはずの部屋は、
はじめ家具の配置換えをしたのかと勘違いしたほど、
印象が違っていた。
自宅から持ってきた大きいスーツケースを
どこにおいて整理しようかと考える。
いろいろ考えるけど、結局、
どこにおいていいか分からない。
ふと、窓を見ると、部屋が鏡映しになっている。
鏡映しの部屋を見ながら
カバンの置くスペースを考える。
歩くじゃまにならない所。
クローゼットの戸や、イスのじゃまにならない所。
考えがまとまってスンナリ決まる。
リビングも、ダイニングも、自分の部屋も、
夜の窓に映っている方が、
見慣れた、懐かしい風景だ。
ついにあっち側に来てしまったのかと、
つくづく思う。
予定どおり、埼玉のご実家に移動された、川辺さん。
今度は、見なれたはずのものの配置を考え直すという
むずかしさがあるそうです。
電車の車窓に映る「あっち側」の風景のなかで、
生活していらっしゃいます。