4 メインカルチャーって。
糸井
この「カワイイモンスターカフェ」という店では
レストラン、というかたちの
「舞台」を作ったわけですよね。
増田
あ‥‥気づかれました? 早い。
そうなんです。
じつはぼくは、これから数ヶ月後くらいに
「そうか、この店って、
寺山修司の『天井桟敷』感だったんだ」
と言わせようと思ってたんですけど。
糸井
うん、そうですよね。
見事だと思いました。
増田
この店の成り立ちをお話しすると、
はじめにこの原宿の一等地に
この200坪の物件が空いていたんです。
だけど、1年ぐらい誰も入ってなかったのかな。
いい場所だけど、たぶん、
みんなここで運営できないんでしょうね。
それで、オーナー会社の
ダイヤモンドダイニングのかたが
「何も文句を言わないから、
セバスチャン、とにかくここで
思いっきりやってくれ」
と声をかけてくれて、作ったものなんです。
糸井
そっか。なるほどね。
増田
とはいえ会社ですから、普通はいわゆる
「パース」と呼ばれる
内装の設計図のようなものを提出するんです。
でもこの店、渡したらいろいろ言われると思って
「すいません、まだできません」とか
いろいろ言いながら作っていきました。
最後の最後まで完成図を見せなかったので、
それでよく通ったと思うんですけど。
糸井
そこは、作品を雇ったわけじゃなくて
人を雇ったわけだから、いいんじゃない?
ダイヤモンドダイニング自体もおもしろい会社だから、
ぼくはいい組み合わせだと思いましたよ。
増田
だけどほんとうに、よく作らせてもらいました。
糸井
お金、めちゃくちゃかかってるでしょう?
増田
それが‥‥かかってるんです(笑)。
ただ、ぼくは人より経験が多いので、
意外とうまく節約していたりもします。
糸井
そうなんですか。
増田
もちろん普通の店よりは、ずいぶんかかってます。
ただぼくは、劇団にいたとき、
食えなくて内装業者のアルバイトをしてたんです。
そのとき「これ、将来絶対使えるぞ」とか思いながら、
いろんなことをぜんぶ自分でやってました。
だから、そういう方面の知識があるんです。
なのでみんなが想像しているよりは、
安いんじゃないかと思います。
糸井
じゃあここは、ダイヤモンドダイニングの店で
アートディレクターが増田セバスチャン?
増田
そうですね。
ただ、フード選びから、メニューの名前から、
ぼくが監修はしてますけど。
いまは顧問のような感じですね。
糸井
いま、増田さんの活動のいちばんの中心は
この店になるんですか。
増田
日本で、アウトプットを
エンターテイメントに変えたものでは
この場所がメインです。
とはいえアーティストとしては、いま、
世界で展覧会をやっているので、
メッセージとしてはそちらが重要なんですけど。
とはいえどのプロジェクトについても、
核にあるものは一緒です。
自分の中で、メッセージ性が強いものや
ポップなものなどを、
ロックとフォークみたいに使い分けているんです。
糸井
そして、増田さんは、
「こういう表現をやりたい」と同時に、
考えの中に自然に
「食えなきゃ意味ないでしょう」がありますよね。
増田
そこは、そうですね。
ありますね。
糸井
そのお金についての感覚は、
きっとすごく増田さんを助けてますよね。
『家系図カッター』を読むと、
増田さんは若いときから、
ずいぶんいけない無駄遣いをしているみたいで、
「金なんてろくでもないものだ」
という思いがありますよね。
だからある意味、ほかの人よりも
お金を粗末に扱える。
増田
かもしれません。

糸井
そして同時に増田さんは
「ないと行動がかなり狭められる」という
お金の恐ろしさも知ってる。
増田
二十歳ぐらいのとき、
劇団仲間や現代美術仲間からは
「セバスチャンはメジャー志向だもんね」
って言われてたんです。
自分では「どこが悪いの?」って
思ってたんですけど。
糸井
その「メジャー志向だもんね」は
学生の発想なんですよね。
「メジャー志向=悪いもの」みたいに
物事を2項対立でしか考えられてない。
実際はそんなに簡単に割り切れるものじゃない。
そして、きっといまも「メジャー志向」って
良いイメージじゃないんですよね。
増田
たしかにいま、原宿という枠にとどまらず
いろんな活動をしてますけど
やっぱり原宿の人の中には
「セバスチャン、ちょっと変わったよね」
みたいなことを言う人もいます。
糸井
「友達だし、悪く言いたくないんだけど‥‥」
とかね。
そういうことはたぶん、
みうらじゅんも言われてきてるね(笑)。
そっか、増田さんとみうら君は
ちょっと似てるのかな。
増田
そうなんでしょうか。
糸井
みうらもやっぱり「メジャー/マイナー」
「サブ/メイン」みたいな発想をしないんです。
みうらはあくまで、
自分のやってるのはサブカルじゃなくて
メインカルチャーだと言い張ってますから(笑)。
それ、たぶん増田さんもそうですよね。
そこがひっくり返ると思っているわけで。
増田
それで言うと、
90年代の原宿のこのあたりって
メンズカルチャーのイメージがあると思うんです。
NIGOさんとか、UNDERCOVERとか。
だけど、じつは当時、その傍らには
篠原ともえちゃんとかも含めたガールズ中心の、
ぼくたちのカルチャーがあったんです。
だけど、当時はブログもなかったから、
ぼくらのカルチャーはなかったことにされていて、
ずっと悔しかったんです。
あのとき、自分なりに汗かいて、
けっこう苦しみながらやってたんですけど。
糸井
女の子が支えてた部分もあったのに、
年表に女の子は書かれてなかったんだ。
増田
そうなんです、ぼくたちは存在してたのに。
ただ、じつはいま「原宿ファッション」って、
ひるがえって、
こういうカラフルなファッションのことを
言うようになってるんです。
糸井
あ、そうなんだ。
増田
ええ。だから、当時のぼくらは
「サブカル」だったかもしれないけど、
いまは逆に「メインカルチャー」と呼ばれてて。
いつか自分たちがメインに躍り出ようなんて
思ってなかったですけど、
そしたら急に「メインカルチャー」とか
呼ばれるようになって、
「あれ?」という感じなんですよね。
糸井
増田さんはいま「メイン」と呼ばれながらも、
きっと旅の途中なんですよね。
いま以上に自分が行きたい場所を見つけたら、
「この場所、そのまま譲りますよ」
ぐらいの気持ちがあるんじゃない?
増田
そうかもしれないです。
糸井
あと、これからのことを思うと
増田さんはもともと
チームプレーをけっこうやってきてるから、
そこも強いですね。
ぼくはずっとひとりでやってきてたけど、
いまの増田さんくらいの年のときに
チームプレーの必要性を感じて
勉強しはじめたんだもん。大変でしたよ。
増田
いや、だけど今日は相手が糸井さんだから
話せてますけど、
ぼくもチームプレー、得意なほうじゃないんです。
やっぱりなかなか難しくて、
携帯にも番号が40件くらいしかないですし。
糸井
じゃあ、増田さんもじつは
必要があってチームプレーをやれてきた、
というだけなんだ。
増田
そうですね‥‥とはいえ、
ひとりでやったこと、あまりないですけど。
糸井
それは、劇団にいたのがポイントなのかな。
あれこそ一人じゃできないものだから。
増田
そうですね。
ぼくが劇団に入ったのは1990年でしたけど、
当時の劇団って、みんなで安い喫茶店に入って、
コーヒーを飲みながら、
朝まで演劇論を話したりしてたんです。
19、20歳のときは、その感じがいやでいやで
しょうがなかったんですけど、
年をとると、そういうのがけっこう
生きてくる感じはありますね。
糸井
もしかしたらそういった
ちょっと不毛にも見える時間に、
完全に同化するわけじゃなく付き合う、
みたいなことが勉強なのかな。
増田
そうかもしれないです。
(つづきます。)

2015-12-24-THU