- 糸井
- この「カワイイモンスターカフェ」という店では
レストラン、というかたちの
「舞台」を作ったわけですよね。
- 増田
- あ‥‥気づかれました? 早い。
そうなんです。
じつはぼくは、これから数ヶ月後くらいに
「そうか、この店って、
寺山修司の『天井桟敷』感だったんだ」
と言わせようと思ってたんですけど。
- 糸井
- うん、そうですよね。
見事だと思いました。
- 増田
- この店の成り立ちをお話しすると、
はじめにこの原宿の一等地に
この200坪の物件が空いていたんです。
だけど、1年ぐらい誰も入ってなかったのかな。
いい場所だけど、たぶん、
みんなここで運営できないんでしょうね。
それで、オーナー会社の
ダイヤモンドダイニングのかたが
「何も文句を言わないから、
セバスチャン、とにかくここで
思いっきりやってくれ」
と声をかけてくれて、作ったものなんです。
- 糸井
- そっか。なるほどね。
- 増田
- とはいえ会社ですから、普通はいわゆる
「パース」と呼ばれる
内装の設計図のようなものを提出するんです。
でもこの店、渡したらいろいろ言われると思って
「すいません、まだできません」とか
いろいろ言いながら作っていきました。
最後の最後まで完成図を見せなかったので、
それでよく通ったと思うんですけど。
- 糸井
- そこは、作品を雇ったわけじゃなくて
人を雇ったわけだから、いいんじゃない?
ダイヤモンドダイニング自体もおもしろい会社だから、
ぼくはいい組み合わせだと思いましたよ。
- 増田
- だけどほんとうに、よく作らせてもらいました。
- 糸井
- お金、めちゃくちゃかかってるでしょう?
- 増田
- それが‥‥かかってるんです(笑)。
ただ、ぼくは人より経験が多いので、
意外とうまく節約していたりもします。
- 糸井
- そうなんですか。
- 増田
- もちろん普通の店よりは、ずいぶんかかってます。
ただぼくは、劇団にいたとき、
食えなくて内装業者のアルバイトをしてたんです。
そのとき「これ、将来絶対使えるぞ」とか思いながら、
いろんなことをぜんぶ自分でやってました。
だから、そういう方面の知識があるんです。
なのでみんなが想像しているよりは、
安いんじゃないかと思います。
- 糸井
- じゃあここは、ダイヤモンドダイニングの店で
アートディレクターが増田セバスチャン?
- 増田
- そうですね。
ただ、フード選びから、メニューの名前から、
ぼくが監修はしてますけど。
いまは顧問のような感じですね。
- 糸井
- いま、増田さんの活動のいちばんの中心は
この店になるんですか。
- 増田
- 日本で、アウトプットを
エンターテイメントに変えたものでは
この場所がメインです。
とはいえアーティストとしては、いま、
世界で展覧会をやっているので、
メッセージとしてはそちらが重要なんですけど。
とはいえどのプロジェクトについても、
核にあるものは一緒です。
自分の中で、メッセージ性が強いものや
ポップなものなどを、
ロックとフォークみたいに使い分けているんです。
- 糸井
- そして、増田さんは、
「こういう表現をやりたい」と同時に、
考えの中に自然に
「食えなきゃ意味ないでしょう」がありますよね。
- 増田
- そこは、そうですね。
ありますね。
- 糸井
- そのお金についての感覚は、
きっとすごく増田さんを助けてますよね。
『家系図カッター』を読むと、
増田さんは若いときから、
ずいぶんいけない無駄遣いをしているみたいで、
「金なんてろくでもないものだ」
という思いがありますよね。
だからある意味、ほかの人よりも
お金を粗末に扱える。
- 増田
- かもしれません。
- 糸井
- そして同時に増田さんは
「ないと行動がかなり狭められる」という
お金の恐ろしさも知ってる。
- 増田
- 二十歳ぐらいのとき、
劇団仲間や現代美術仲間からは
「セバスチャンはメジャー志向だもんね」
って言われてたんです。
自分では「どこが悪いの?」って
思ってたんですけど。
- 糸井
- その「メジャー志向だもんね」は
学生の発想なんですよね。
「メジャー志向=悪いもの」みたいに
物事を2項対立でしか考えられてない。
実際はそんなに簡単に割り切れるものじゃない。
そして、きっといまも「メジャー志向」って
良いイメージじゃないんですよね。
- 増田
- たしかにいま、原宿という枠にとどまらず
いろんな活動をしてますけど
やっぱり原宿の人の中には
「セバスチャン、ちょっと変わったよね」
みたいなことを言う人もいます。
- 糸井
- 「友達だし、悪く言いたくないんだけど‥‥」
とかね。
そういうことはたぶん、
みうらじゅんも言われてきてるね(笑)。
そっか、増田さんとみうら君は
ちょっと似てるのかな。
- 増田
- そうなんでしょうか。
- 糸井
- みうらもやっぱり「メジャー/マイナー」
「サブ/メイン」みたいな発想をしないんです。
みうらはあくまで、
自分のやってるのはサブカルじゃなくて
メインカルチャーだと言い張ってますから(笑)。
それ、たぶん増田さんもそうですよね。
そこがひっくり返ると思っているわけで。
- 増田
- それで言うと、
90年代の原宿のこのあたりって
メンズカルチャーのイメージがあると思うんです。
NIGOさんとか、UNDERCOVERとか。
だけど、じつは当時、その傍らには
篠原ともえちゃんとかも含めたガールズ中心の、
ぼくたちのカルチャーがあったんです。
だけど、当時はブログもなかったから、
ぼくらのカルチャーはなかったことにされていて、
ずっと悔しかったんです。
あのとき、自分なりに汗かいて、
けっこう苦しみながらやってたんですけど。
- 糸井
- 女の子が支えてた部分もあったのに、
年表に女の子は書かれてなかったんだ。
- 増田
- そうなんです、ぼくたちは存在してたのに。
ただ、じつはいま「原宿ファッション」って、
ひるがえって、
こういうカラフルなファッションのことを
言うようになってるんです。
- 糸井
- あ、そうなんだ。
- 増田
- ええ。だから、当時のぼくらは
「サブカル」だったかもしれないけど、
いまは逆に「メインカルチャー」と呼ばれてて。
いつか自分たちがメインに躍り出ようなんて
思ってなかったですけど、
そしたら急に「メインカルチャー」とか
呼ばれるようになって、
「あれ?」という感じなんですよね。
- 糸井
- 増田さんはいま「メイン」と呼ばれながらも、
きっと旅の途中なんですよね。
いま以上に自分が行きたい場所を見つけたら、
「この場所、そのまま譲りますよ」
ぐらいの気持ちがあるんじゃない?
- 増田
- そうかもしれないです。
- 糸井
- あと、これからのことを思うと
増田さんはもともと
チームプレーをけっこうやってきてるから、
そこも強いですね。
ぼくはずっとひとりでやってきてたけど、
いまの増田さんくらいの年のときに
チームプレーの必要性を感じて
勉強しはじめたんだもん。大変でしたよ。
- 増田
- いや、だけど今日は相手が糸井さんだから
話せてますけど、
ぼくもチームプレー、得意なほうじゃないんです。
やっぱりなかなか難しくて、
携帯にも番号が40件くらいしかないですし。
- 糸井
- じゃあ、増田さんもじつは
必要があってチームプレーをやれてきた、
というだけなんだ。
- 増田
- そうですね‥‥とはいえ、
ひとりでやったこと、あまりないですけど。
- 糸井
- それは、劇団にいたのがポイントなのかな。
あれこそ一人じゃできないものだから。
- 増田
- そうですね。
ぼくが劇団に入ったのは1990年でしたけど、
当時の劇団って、みんなで安い喫茶店に入って、
コーヒーを飲みながら、
朝まで演劇論を話したりしてたんです。
19、20歳のときは、その感じがいやでいやで
しょうがなかったんですけど、
年をとると、そういうのがけっこう
生きてくる感じはありますね。
- 糸井
- もしかしたらそういった
ちょっと不毛にも見える時間に、
完全に同化するわけじゃなく付き合う、
みたいなことが勉強なのかな。
- 増田
- そうかもしれないです。
(つづきます。)
2015-12-24-THU