- 糸井
- 増田さんは、海外の人たちとも
すごく自然につながってますよね。
- 増田
- ぼくは20代から海外に出てたんですが、
海外ではずっとみんなが
「セバスチャンおもしろい、おもしろい」
って言ってくれてたんです。
ただ、当時は何を評価されているのか
わからなかったんです。
でもずいぶん経ったあと、
「そうか、オリジナルということか!」
ということに気づきました。
海外の人たちは、オリジナルに対しての
リスペクトがあるんです。
- 糸井
- 「よそにないものが、ここにはある」というのが、
ほんとはいちばん強いんですよね。
とはいえ「よそにない」というのは
自信を持てないことと隣り合わせで
恐いんですけど。
- 増田
- ぼくがはっきりと
「海外の人たちに伝わるんだ」という
確信を持てたのは、
きゃりーぱみゅぱみゅのデビュー曲の
『PONPONPON』のミュージックビデオでした。
YouTubeを通じて、世界中で視聴されたんです。
- 増田
- じつはあの映像のセットには、
外国のお菓子やおもちゃを大量に使ったんです。
もともとミュージックビデオが
YouTubeで世界に拡散されるのは知っていたので、
外国の人たちがわかるもので構成しようと思いました。
あれが「きのこの山」とか「コアラのマーチ」とか
日本のお菓子だったら、
いまほど拡散されなかったと思うんです。
もちろん、きゃりーのために作ったんですが、
「ビジュアル」という道具を使うと
海外の子たちにもメッセージを伝えられるというのは、
やっぱりちょっと計算しましたね。
- 糸井
- それは、任天堂の宮本茂さんの作るゲームが
世界の人に支持されたのと似てますね。
宮本さんが手がけた『ゼルダの伝説』というRPGは、
ことばで理解する必要がないんです。
あのゲームにおける経験値は
「動きが上手になること」。
自分の身体に経験値がたまっていくんです。
そのしくみは、世界共通なわけですよ。
そして、そういうゲーム作りを
突き詰めていった宮本さんは、
のちに、フランスやスペインから
勲章をもらう人になるわけですけど。
増田さんも、そういう道を作っちゃいましたね。
- 増田
- そうなのかもしれません。
ただ、もともと世界へのアプローチについて
ぼくはそこまで計算してなくて、
自分では
「支持してくれたのが、たまたま世界の人だった」
くらいの認識なんです。
- 糸井
- そうなんだ。
- 増田
- 応援してくれる人も中にはいましたけど、
やっぱり日本だと、どうしても、
いつでもバカにされている感じがあったんです。
よく言われたのは
「ああ、原宿の、シノラー?」みたいな反応。
篠原ともえちゃんはアイコンのひとりだし、
きゃりーもアイコンのひとり。
だけど、ぼくはぼくでまた、
「自分にしかできないものがある」という思いで、
また別のことをやっているので。
そうやって真剣にやっているのに、
日本の人たちは表面だけ見て、
評価を下すような印象がありました。
だけど外国の人たちは、
そういうことではなく見てくれますから。
- 糸井
- つまり、居心地の悪い場所にいて
声を出しているよりは、
メガホンを使って遠くの良いお客さんたちに
呼びかけるほうがいいということですよね。
- 増田
- そうなのかもしれません。
ちょうどSNSの広がりもあって、
自然とつながりが増えたのもあって。
- 糸井
- そういえば、いま、宮本さんから聞いた話を
ひとつ思い出しました。
なにかというと大勢に支持されるゲームには、
「肉体感みたいなものがある」んだそうです。
そこがないゲームは、
評論家みたいな人には支持されても
実際に遊んでくれる人たちに
届かないそうなんです。
- 増田
- それって、
「若い人向けに作品を作ろうとすると、
絶対若い人に届かない」
というのと一緒ですかね。
- 糸井
- そうなんですか。
- 増田
- ええ、届かないです。
- 糸井
- じゃあ、増田さんは、
どういう人向けに作ってるんですか。
- 増田
- ぼくは「ついてこれるならついてこい」
と思って作ってるので。
- 糸井
- はぁー(笑)。
それはやっぱり、遠くの人に
メガホン使って呼びかけてますね。
- 増田
- だけど遠くの人でも、ちゃんと届くと、
おもしろい展開がはじまったりもするんです。
『6%DOKIDOKI』では、2009年から
世界をまわるツアーをおこなっているんですが、
最初はフランスからのメールだったんです。
「こういうカルチャーはフランスにはないから、
ぜひ自分たちの国に来てほしい」
って。
だけど、そんなこと言われても、
ぼくらにはお金がないし、渡航費もだせない。
そんなふうに返事をしたら、
「じゃあ『6%DOKIDOKI』の商品を
スーツケースにいっぱい持ってきて。
そうしたら、みんなで手分けして買うから。
それが旅費の足しになるでしょう?」
なんて言われて。
といってもぼくら、フランス語だってしゃべれないし、
泊まるところもないんですけど。
- 糸井
- だけど、それほど何もなかったのに、
行ったんですよね?
- 増田
- はい、自費でとにかく行きました。
彼らの熱意がすごくて、
会ってみたくなったんです。
行ったら行ったで、宿は彼らが
大学の寮や教会などを紹介してくれて。
- 糸井
- そっか。
- 増田
- あと、そしたら「パリに行く」と言った瞬間に、
ロンドンの子が
「2時間で来れるから、うちにもきて」って。
さらにベルリンの子たちも
「うちにも!」って声をかけてくれて。
それで、こんなにいろんな国から声がかかるなら
「じゃあもう、ワールドツアーとか言って
ぜんぶ回っちゃおう」
みたいにして始まったんです。
- 糸井
- それ、無手勝流に近いよね。
- 増田
- そのときは完全にお金も持ち出しで、
商品をいっぱいに詰めた20キロのスーツケースを、
お店のショップガールたちといっしょに
みんなで担ぎながら行きました。
詰めていった商品を向こうで買ってもらって
旅費の足しにして、
みんなで狭い部屋に雑魚寝しながら。
- 糸井
- ええ。
- 増田
- でも、それで終わりじゃなかったんです。
その後、そのときぼくらを強烈に支持してくれた
ヨーロッパの女の子たちが、
「これはわたしたちのカルチャーだ」
と残ってくれて、
そこから文化の布教がはじまっていったんです。
自分たちはそんな展開、予想もしてなかったんですが。
- 糸井
- それ、もしスポンサーを探して
「旅費出してください」ってやってたら、
絶対そうなってないですよね。
- 増田
- だと思います。
- 糸井
- なんでしょう。
向こうも増田さんたちも、
「やりたいことが先にある」というすごさ。
- 増田
- ある意味きゃりーもそうだったんです。
デビューのときも、大人たちはぼくが参加することに、
基本的には大反対だったと思います。
増田セバスチャンという人は、
いままで経歴もないし、受賞歴もない。
それこそ広告代理店も勤めたことない。
「こんなに誰かわかんない人を入れて、
メジャー業界で売れんの?」
みたいなことを思われても、当然な状況。
だけど、きゃりーは
「いや、わたしが大好きな世界観を作ってる人だから、
絶対いっしょにやりたい」
みたいに言ってくれて。
実際に動き出しても、いろんな場所で
「こいつ何できんの?」みたいな目で
見てた人もいたんじゃないかな。
だけど実は自分はバイト経験が多くて、
テレビ局や広告業界で、大道具さんとしての仕事を
たくさんしてきてました。
だから、スキルはぜんぶあって、
「こうすればできそうだな」はわかってた。
そうやって現場で信頼されるようになって、
だんだん大人たちも認めてくれたんだと思います。
- 糸井
- 大道具さんもしてたんだ。
それも、いい仕事ですね。
- 増田
- 単純に、食えなかったんです。
原宿で『6%DOKIDOKI』のお店を朝からやって、
店を閉めたあとの時間からバイトできるのは、
テレビ局だったんですよ。
お店からちょうどNHKも近かったし、
大河ドラマのセットを作ったりしていました。
そして、ぼくはなんでも一生懸命なので、
そのうちデザイン設計まで任されたりして。
そのとき培った技術があるので、
いまは本気で
「ワンルームの内装から、
東京ドームのコンサートまで作れます」
って言ってるんですけど。
- 糸井
- はぁー。
- 増田
- あと、プロモーションビデオの製作についても、
過去に現場の下っ端として経験していたから、
ある程度は進め方がわかってたんです。
それで「PONPONPON」のときは
きゃりーを盛り上げるために、
実際に必要な量の倍のセットを作って、
トラック一台分ほどのお菓子やおもちゃ、
アクセサリーを持ってきて、飾りつけたんですよね。
なぜかというと、きゃりーが新人で、大人たちが
「この女の子、どうやったら売れるかな?」
みたいな空気の中で、
ぼくときゃりーは共通の好きなものがあって、
自分だけは勘所がわかる。
そこを徹底的にやることで
周りのスタッフがビビる‥‥
というかビックリするんじゃないかと思って。
- 糸井
- いや、わかる。
そういうの、大事なんですよね。
- 増田
- そのときのやりかたは、じつは藤子不二雄さんの
『まんが道』がヒントになってるんです。
まんがの中で手塚治虫さんが
『火の鳥』を1000ページ描きながら
200ページしか使わなかった、
みたいな逸話があるんです。
それを「ここでやってみよう」とやりました。
- 糸井
- うん、みんな、そういうことを
やってきてるんですよね。
それは「子どもっぽいいたずら心」でもあるし、
「負けられない」というケンカの方法でもあるし。
そういえば永ちゃん(矢沢永吉さん)からも、
若いときのそういう話をたくさん聞きました。
(つづきます。)
2015-12-25-FRI