- 糸井
- このお店の持つヤンキー性も
おもしろいですよね。
松戸、千代田線の、健康な野心みたいな。
- 増田
- それ、ちょっとあるかもしれない(笑)。
ぼくはいま45歳なのですが、
千葉県松戸市出身で、
80年代に千代田線で原宿に出てきて、
竹の子族とかを見ていました。
当時は10代の多感な時期で、
原宿からいろんな刺激を受けました。
ぼくはぜんぜんヤンキーになりきれない
半端ものでしたけど、当時はそういう半端ものが
たくさん原宿には出てきてたんです。
まさかいま、原宿でこういう活動をするとは
思ってなかったんですけど。
- 糸井
- ヤンキーにもいろんな人がいるんでしょうけど、
ぼくがかっこいいなと思うのは、
ヤンキーの人たちって「世のため人のため」みたいに
言わないことなんですよ。
そうじゃなくて「俺は、自分とお前らを守る」。
永ちゃん(矢沢永吉さん)がかっこいいのもそうで、
「俺は金が欲しい。俺はいい酒が飲みたい。
俺はいい車に乗りたい」って、
発言の主語がいつも自分なんです。
「金の金じゃないのよ」とかあとで説明はするんだけど。
そういう「自分発」の精神を
持ってるか持ってないかが、
ヤンキーの境目だと思うんです。
- 増田
- じゃあ、やっぱりぼく、半端ものでした。
- 糸井
- だけど、じゃあ、両方がわかるんじゃない?
増田さんがヤンキー側で半端だった人だとしたら、
ぼくは学生側で半端だった人なんです。
ぼくは大学に行ったほうですけど、
ヤンキーにあこがれがありましたから。
大学だとみんなが
「俺は」じゃない話しかたをしたりするんですよ。
- 増田
- そうか、半端ということでは
いっしょなんですね。
- 糸井
- そう、半端はいっしょ。
そしてぼくはやっぱり、
永ちゃんの影響をすごく受けてるんです。
じつはいまでも影響を受け続けていて、
「ここぞ」というときに飛び込むのは
永ちゃんなんです。
- 増田
- 矢沢永吉さんの『成りあがり』って
糸井さんがインタビューされたんですよね。
ぼくも、すごく興奮して読みました。
- 糸井
- 絶対読んでますよね。
- 増田
- はい、読みました。
- 糸井
- 当時のヤンキーは、ヤンキー候補生も含めて、
みんなあの本を読んでましたよね。
あと、レストラン業界の人も読んでる。
要するに
「頑張ればトップに行けるかもしれない」
という業界にいる人は、あれを読むんですよ。
- 増田
- なるほどね。やっぱり影響受けてます。
『成りあがり』は
漫画化されたものも読んでますから。
- 糸井
- ぼくは野球が好きなんだけど、
ここぞという場面では、テレビの音を消して
イヤホンで永ちゃんの曲を流しながら
中継を見るんです。
自分がめげないように。
- 増田
- ええ、すごいなあ。
- 糸井
- 自分自身のことで永ちゃんの曲をかけるのは、
やっぱり頼りすぎだと思うんです。
自分は自分だし、ぼくから永ちゃんに
あげられるものさえなきゃいけない、ぐらいの
気持ちがあるんで。
だけど野球は自分に何もできないんで、めげるんですよ。
そういうとき、永ちゃんをかけるんです。
昨日もヤクルトとの試合の球場に、
電車で永ちゃんを聞きながら向かいました。
- 増田
- へえー、そうやって発奮させてるんだ。
おもしろいですね。
やっぱり、いろいろあるんだなあ。
もう、糸井さんくらいになると、
そういう感情は
オン・オフできるのかと思ってました。
- 糸井
- できないです。
そこは、こどものままです。
- 増田
- (笑)‥‥うれしいです、何か。
- 糸井
- そして、年をとるにしたがって、
年とったなりの永ちゃんのありがたさを知るんですよ。
- 増田
- それもなにか、わかります。
‥‥ぼく、糸井さんって、
もうちょっとクールな立ち位置で
世の中を見てる人かと思ってました。
ぼくからしたら
早くそういう糸井さんの世界に行きたかったのに、
こんなに時間かかっちゃったよ、
という気分だったんです。
- 糸井
- とんでもないです。
その自分の感情みたいなのをつぶしたら、
やってる意味がなくなるんです。
もちろんクールじゃないと勝てないし、
よりおもしろいものを作れない。
だけど、そっちの
「感情がウワーッとなってる部分」がないと、
生きてる意味がなくなりますから。
パッション、ないとだめですよね。
- 増田
- ああ。今日はうれしいな。
糸井さんのそういう部分って、
ぼくの立場だと、なかなか見えなかったんです。
- 糸井
- わかんなかったですか。
- 増田
- はい、わからなかったです。
- 糸井
- そっか、もっと言おうかな。
だってぼくは必要性を感じて、
勉強してクールになったんだもん。
- 増田
- ぼく、コンプレックスがあったんですよ。
千葉県松戸の、
いわゆる「ワルい地域」出身で。
- 糸井
- コンプレックス、ないとだめでしょう。
- 増田
- しかもぼくは大学とかも行ってない、
雑草みたいなもので。
広告代理店出身とかでもないのに、
ここまでぜんぶ、横入りで来てるんです。
- 糸井
- ぼくもそうですよ。
だってぼく、最初に原宿の会社へ勤めましたけど、
当時の原宿の広告会社なんて
下請けに決まってるじゃないですか。
カメラマンとアートディレクターが
バタバタ撮ってきた写真を「頼むな」って渡されて、
広告にしなきゃならなかったんです。
それ、写真ってだけで、広告になってないんです。
そこをなんとかしないと‥‥っていうのが、
ぼくのデビューですから。
- 増田
- やっぱりなにか「編集能力」なのかな。
大事なのって。
- 糸井
- いや、そういう技術よりも
‥‥なんとかするちから?
- 増田
- ああ、そうか。
そうですね。
- 糸井
- さきほどの増田さんの
ヨーロッパ行きもそうですよね。
なんとかするちから。
- 増田
- そこはほんとに大切ですよね。
サバイバルしていくためには。
- 糸井
- うん、そのことが、
次のおもしろいものにつながるんじゃないかな。
ぼくがミュージシャンの人たちと交流できたり、
広告のコピー以外の仕事をはじめたきっかけも、
だいたいそういうものです。
『成りあがり』だって、もともとぼくは
キャロルと何のつながりもないから。
- 増田
- 最初って、そういうものですよね。
- 糸井
- そうですよ。
『成りあがり』については
もともと当時出てきたばかりの
「ダウンタウンブギウギバンド」のことを
おもしろいなと思ったんです。
そして、この人たちのインタビューを
書きたいなと思って、スケジュール調べて、
ツテもなにもないなか、
とにかく彼らがコンサートをするという
沖縄に行ったんです。
ホテルの場所を聞き回って、スケジュールを調べて、
同じホテルに部屋を取って。
フロントの人に、彼らの部屋の鍵がある場所に
「取材させてください。
『ローリングストーンズ』誌で来ました。」
という置き手紙を入れてもらって、
どうなるかわからないながらも、部屋で待っていました。
そしたらボーカルの宇崎さんが来てくれた。
それがぼくのデビューです。
原稿料はただで、ぜんぶ持ち出し。
でも、やりたかったから。
- 増田
- そこですよね。
- 糸井
- そして、それを読んだ小学館の編集者が
「この人が矢沢永吉について書くと
いいんじゃないか」と連絡してくれて、
『成りあがり』になりました。
それもぜんぶ、原宿での物語です。
もう覚えてないけど、
たぶんぼくは貯金通帳の中のお金、
その都度ゼロにしてたんです。
- 増田
- そうなんですね。
ぼくはいまもなお、そんな感じです。
(つづきます。)
2015-12-28-MON