hobo nikkan itoi shinbun

志ん朝さんのきれいな落語。糸井重里が語る、古今亭志ん朝師匠の話。

第二回 あとは年を取るだけで

糸井
逗子での演芸会が終わってから、
パルト小石さんにご挨拶しようと楽屋を伺ったんです。
すると、楽屋には志ん朝さんもいらっしゃって、
すっかり帰り支度ができたところでした。
ハンチングをかぶって、コートを着て、
ちょっとした荷物を持っています。
ほんとうに自然な態度で、僕が目に入ると
「あ、お見えになってたんですか」と、丁寧語でした。
その時の丁寧語は想像どおりでもあり、
ちょっと身に余る気持ちにもなりました。
「ずっと高座を拝見したかったんですけど、
 やっと見られました」
と僕が言ったら、
「そうですか。いつでも来てください」
というようなことを軽い感じで言われたから、
もう嬉しくて、しょうがないんですね。
「はいっ!」て、子どもみたいになっちゃった。
とにかく自然で、ていねいで、過剰じゃなくて。
志ん朝さんの落語そのものですよね。

「じゃあ、お先に失礼します」と
お帰りになる姿も見ていたのですが、
志ん朝さんは誰に対しても丁寧で、
座長の責任感みたいなものを感じましたね。
小石さんと「かっこいいー!」と感激しました。
志ん朝さんのなにが格好いいって、
高座に上がるときにはサビが磨かれて
後光が差すほどピカピカ輝いていた人が、
帰るときには、わざとサビをつけているような
生活に対する丁寧さを感じたんです。
きっと、ピカピカしたまま帰れないんでしょうね。
タレントさんなんかだと
ピカピカしたまま日常に出て行ける人もいて、
それはそれでいいんですけど、
志ん朝さんの場合は、
あれだけサビさせて、汚しをかけて、
それでいて、身ぎれいなんですよ。
そのセンスが僕の憧れる落語であり、
人としての憧れのあり方です。
僕がどれほどいつもの志ん朝さんを
知っているのかといえば、知らないですよ。
知らないんですけど、その1日だけで
「ああ、やっぱりこの人は1番だ」っていうふうに、
太鼓判が押されちゃった出来事でした。
和田
糸井さんのお話をうかがって興味深かったのが、
興奮することを禁じられているような
ある種スタティックな芸だっていうのが、
僕もすごくよくわかるんです。
いまウケる芸って、興奮させるような芸で
「一緒にエキサイトしてください」というものですが、
志ん朝さんの落語はそうではなくて、
そこのブレーキがすごかった気がするんですよね。
糸井
そう、志ん朝さんは共感芸じゃないんですよね。
だけど、明らかに共振はしているんです。
その人のほうに連れて行かれてるっていう
気持ちのよさがあるんです。
真逆の場所に林家三平さんみたいな芸風もあって、
これはこれで否定するものではありません。
かと言って、文楽さんのように
「勉強し直してまいります」っていうようなことが
まったくないんですよね。
志ん朝さんが失敗するってことが、
ちょっと僕は、考えられない。
この間、名古屋の大須演芸場のCDブック
変わったマクラを聴けましたが、
「あっ、こんな志ん朝さんもいるんだ」と思って、
自分の気持ちが、ちょっと柔らかくなったんですけど、
ああいったマクラなら失敗してもいいし、
むしろ、大いに失敗してほしいとも思うんですけど、
本番の落語に入ってから間違う可能性が考えられない。

糸井
それで、大須演芸場のCDを聴いて思ったのは、
志ん朝さんはまだ、「完成型じゃない」ということ。
志ん朝さんの落語は端正で、
かと言って緊張を強いるようなものではないですが、
僕は、年齢だけが足りないと思ったんです。
たとえば、尾形光琳の絵だって、
古びることで、同じ絵でも違う味になりますよね。
古くなったことそのものが
落語の中では大きな芸になるはずで、
あとは年齢だけが足りないと思ったんです。
このまま稽古をせずに年を取ってもいい、
ぐらいに思っていたら、ポンと亡くなっちゃった。
あっ、言っていて思い出しました。
僕ね、志ん朝さんのお墓参りに行ったんです。
和田
はい。「ほぼ日」の記事を拝見しました。
糸井
僕がお墓参りに行きたくなったのはきっと、
志ん朝さんがあまりに早く亡くなったからですね。
あとは年を取るだけでいいと思っていったから、
もったいないなという気持ちがあったんです。
本当に悲しかったんですよね。
調べればすぐにお墓の場所はわかるんで、
お花だけ買って、車でポンと行きました。
和田
仮に、志ん朝さんがそのまま年を取っていたら、
志ん生さんのように
融通無碍なところまで行かれたと思いますか。
糸井
僕は行けたと思うんですよね。
柳家小三治さんが志ん生さんについて
寄稿していた文章のなかで、
志ん生・志ん朝親子のやりとりにも触れていたんです。
もっと若い頃の志ん朝さんが志ん生さんに、
「お父ちゃん、落語はおもしろくするには
 どうしたらいいんだい?」って質問をしたら、
父親である志ん生さんは、
「おもしろくしねえことだ」と答えたそうです。
まったく、その通りだと思いましたね。
「おもしろくしねえことだ」の向こう側には、
「うまくやらねえことだ」もあって、
一切の意図的なものをなくしていくことだと思うんです。
年を取るといつのまにか基本的な記憶力が衰えたり、
言葉が出なくなったりっていうことがありますから、
そのハンディーを背負った語り部になると思うんです。
それをぜひ、志ん朝さんにやってほしかった。
演じてそうなるわけには、いきませんからね。
志ん生さんの自在さにまで志ん朝さんが行けたら、
見てはいけないものを見たぐらいの、
すごいことになるんじゃないかなと
楽しみにしていたんですよね。

和田
たしかに、志ん朝さんの落語は言葉が多いんです。
志ん朝さんと文楽さんは
『船徳』や『明烏』『愛宕山』
ネタがかなりかぶっていて、
噺の筋はまったく一緒なんですけど
志ん朝さんの方が時間も長いんです。
たとえば『船徳』に関して言うと、
文楽さんの『船徳』が25分ぐらいなのに対して、
志ん朝さんは、10分以上も長いんです。
糸井
ああ、そうでしたか!
じゃあ、僕が逗子で『船徳』を聴いて
長く感じたのって、正しかったんだ!
和田
そうなんです。
きめが詰まっているという感じですね。
年を取るとだんだん言葉が減ってくるので、
僕もその次が見られたらなという気はしました。
糸井
落語は、年を取ると短くなりますよね。
たぶん、我慢する必要がなくなるんでしょうね。
年寄りって、そういう意味でラジカルなんですよ。
お客に気を遣う必要がなければ、
台詞が飛んじゃってもいいんだから。
それをこの間、ビートたけしさんが
鶴瓶さんの落語会の前座に出て演じていました。
別の落語をごちゃ混ぜにして、
覚えていることだけをつなげたような噺をやったんです。
『寝床』が、「夢になるといけねえ」で終わったりね。
きっと、たけしさんは落語家が年を取ることへの
憧れを演じていたんだと思うんですよね。
その意図は僕もわかるし、
たけしさんのボケ味はものすごく上手でしたけど、
上手じゃダメなんです。
ボケ味は、本当にボケないとできないんで(笑)。

和田
そうです、そうなんですよ。
(続きます)

2015-12-01-TUE

高座に咲いた江戸の華、ふたたび

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    「大工調べ」,「幾代餅」,
     イントロコメント「大山詣り」について,「大山詣り」

  • ■ DVD 3 収録時間 1:21:10

    「元犬」,「居残り佐平次」,
     イントロコメント「火焔太鼓」について,「火焔太鼓」

  • ■ DVD 4 収録時間 1:19:10

    「品川心中」,「唐茄子屋政談」,
    「四段目」

  • ■ DVD 5 収録時間 1:41:30

    「刀屋」,「付き馬」,
    「抜け雀」

  • ■ DVD 6 収録時間 1:14:10

    「坊主の遊び」,「愛宕山」,
    「風呂敷」

  • ■ DVD 7 収録時間 1:25:45

    「井戸の茶碗」,「宿屋の富」,「首提灯」
     コメント「首提灯」について

  • ■ DVD 8 収録時間 0:59:00

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  • ■ CD 1 収録時間 1:13:06

    「替り目」,「干物箱」,
    「お化け長屋」

  • ■ CD 2 収録時間 0:56:51

    「船徳」,「明烏」

  • ■ CD 3 収録時間 1:16:38

    「あくび指南」,「花見の仇討」,
    「鰻の幇間」

  • ■ CD 4 収録時間 1:04:05

    「品川心中」,「大工調べ」

  • ■ CD 5 収録時間 0:42:48

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    (インタビュー付き)

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