仏教が浸透していない人たちに
親鸞がまじり込むようにしていった足跡が
茨城県にもうひとつあります。
それは「親鸞聖人御田植御旧跡」です。
ここで親鸞は、
自作の田植え歌を歌って、
農民とともに田植えをしたのだそうです。
「布教といっても、
親鸞聖人の念仏の話は誰も聞いてくれません。
だから田植えの歌を作って
親鸞聖人のほうから民衆に近づいていきました」
そう教えてくださったのは、
この田植えの旧跡の近くにある
真仏寺のご住職でした。
「歌を歌うと仕事がはかどるらしいから、
そんなら教えてもらいましょう、といって
民衆は親鸞聖人を受け入れました。
そして、その歌のいわれを聞いていったわけです」
水戸市の、大きく広がる田園の真ん中に、
親鸞の田植え歌の碑は、立っています。
「ほんとうをいえば、親鸞聖人が書かれている
『教行信証』という本があります。
あれが親鸞聖人のお考えのまとめなわけですが、
実際は、一般にはなかなかわからない、
むずかしい内容でしょう。
ですから、かんたんにわかりやすく
お念仏をとなえてみましょう、
というところから入っていかれたんだと思います。
念仏とはつまり、
『南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)』です。
南無阿弥陀仏の意味ですか?
ひらたく言えば、自分の計らいを捨てて、
阿弥陀さまにおまかせします、ということです。
それが『他力』の教えです。
計らいを捨てて、一度でも
念仏をとなえれば、誰もが救われるのです。
ご自身では『教行信証』で、
すごいところまで突き詰めていらっしゃいました。
そこを『南無阿弥陀仏』という念仏にして、
かんたんに伝えていらっしゃった‥‥だからつまり、
浄土真宗というのは
やさしいようなむずかしいような、
そういう教えだと思います」
阿弥陀如来とは、
西方極楽浄土の主で、浄土真宗のご本尊です。
時間と空間を超えて、生きとし生けるものを救う仏。
何をしようとも思わずただ阿弥陀さまにゆだねる、
そのことは簡単なように思えて
とてもむずかしい行いです。
真仏寺のご住職は
つづけてこう話してくださいました。
「一度念仏をとなえれば、
たとえ悪いことをしていても救われるのです。
しかしこれは、ともすれば、
誤解されるような内容です。
だから、お弟子さんの唯円(ゆいえん)さんが
『歎異抄』のような書物を
書かなくてはいけなくなりました。
つまり、親鸞聖人の教えを間違って解釈し
弟子たちが勝手なことをやりはじめたので、
唯円さんがまずいと思われて
著されたのが『歎異抄』なのです。
しかし、その『歎異抄』も、長いこと
禁書になってしまいました。
やはり、そこにも
悪いことをしても救われる、と書いてあるからです。
それを名目に悪事を働く輩がでてきました。
『歎異抄』は、ようやく明治になってから公開され、
人に知られるようになりました。
そしていまでは、親鸞聖人の語録としては
もっとも多く読まれているものになっています」
『歎異抄』が禁書となってしまった原因の
「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
という一節について、
吉本さんはこのように解説しています。
善い行いをする人は、
自分が善い行いをしているというふうに、
どうしても考えやすい。
善い行いが無意識に出ているならいいが、
自分ですすんでやろうという場合は
それは自分の考えた行動だから、
阿弥陀さまによる「他力」ではなく
「自力」の行いである。
だから信仰からは遠くなる、と
吉本さんは言っています。
自分の煩悩を見つめ、
一般の人びとの暮らしを見つめ、
教えを広めていった親鸞が
最もゆるがせにできなかった問題、
それが「善悪にかかわること」だったのかもしれません。
まず、阿弥陀如来の教えは
もともと煩悩具足の凡夫のため、
あるいは悪人成仏のためにある、ということ。
そして、親鸞が言う
「すべての人」「誰でも」というのは
悪人までも含めますよ、
そのくらいの「すべて」ですよ、という表現。
それから、自分の考えや計らいを
捨てるということは、つまり
いいことをしようとしない、ということに直結する。
それらの考えが織られていって、
「いいことをしようなんて思っていたら
天国には行けない」
ということにつながっていくのかもしれません。
糸井重里は先日、親鸞について
このように語っていました。
「親鸞の時代、ふつうに生きている人びとが
そこまで肯定されるということは、
もしかしたらなかったのではないでしょうか。
いまも同じかもしれませんが、
苦しい時代というのは
こうだから君は駄目なんだ、とか、
こうしないと駄目じゃないか、とか
批判されることだらけだと思います。
そこを親鸞は、
悪いことをしていても、それでいい、と
言い切ったのです。
これほど力強いことはないでしょう。
吉本隆明さんは、これまで何度も
親鸞について語ってきました。
ぼくはそれを見たり聞いたりしてきましたが、
年を取るにつれて、
自分は親鸞を好きなんだ、とわかってきました。
吉本さんと同じく、実家が浄土真宗だったことも
影響しているのかもしれませんが、
自分の考えていることのおおもとは
この人だったんだな、と
思うことが多くなってきました。
親鸞が語ってきたのは、
ふつうの、なんでもない人のための宗教です。
吉本さんのおっしゃるとおり、
勉強で近づくわけじゃなく、
『そのまんま』で近づいていける人、
それが親鸞だったのです。
だから、いま、さぼっているあなた、
あなたがいちばん好きになる人が親鸞なんですよ、
と言いたくなってきています」
新潟にいても、茨城でも京都でも、ゆらがずに
「ふつうの人びと」に向けて語ってきた、親鸞。
本日1月16日は、新暦になおすと
親鸞聖人750回目の命日(大遠忌)です
(旧暦では11月28日)。
ほぼ日ストアでは
『吉本隆明が語る親鸞』の本を販売開始しています。
ぜひ、お手にとって
そのまんまで、
吉本隆明さんが見つめた親鸞に
近づいてみてください。
(近いうちにまた、つづきます) |