『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』『ニュータイプの時代』などの著者で、
「美意識」や「アート」といった切り口から
これからの時代を豊かに生きていくための
思考・行動様式を研究し続けている
山口周(やまぐち・しゅう)さんが、
「会社」についての話を聞きに、
糸井重里のもとをたずねてこられました。
大切に思う部分が似ているふたり。
仕事はもちろん、生きていく上での
「数値化できない部分」の重要性を
あらためて確認するような時間になりました。
ふたりのおしゃべりを、全7回でご紹介します。
- 山口
- 糸井さんは本のなかで
「ことばとはおそろしいものだ」とも
おっしゃられていて。
いま「物事を完全に2つに分けて考える」
ということへの疑問のお話がありましたが、
「2つに分ける」というのもまさに
ことばを使っておこなわれるもので。
- 糸井
- そうですね。
- 山口
- 話が飛ぶようですけど、僕はこの間、
京都に行って陰陽師の話を聞いたんです。
そこでハッとさせられたのが
「呪いは必ずことばでかけるもの」
ということなんですね。
呪いをかけられたほうは自由が奪われて、
思考や行動が羽ばたけなくなるわけですけど、
要するに「概念の虜」になるんですね。
2つに分けたうちの片側しかない状態になる。
ことばにはそういう側面もあって。
- 糸井
- ああー。
- 山口
- そしていま、ビジネスの世界ではよく
「パーパス(何のためにこの会社があるのか)」や
「ビジョン(目指すところや最高のあるべき姿)」
が大事だという話がされるわけです。
でもパーパスもビジョンも、
どちらもことばにするものなんですね。
だから、これもやっぱり気をつけないと
「呪い」になっちゃうところがあって。
ピクサーの創業者の方も、
「自分はビジョンは嫌いだ」と言うんです。
なぜかというと
「ビジョンを言うと、みんな考えなくなるから」と。
- 糸井
- はい、はい。
- 山口
- それで以前、(ほぼ日前CFOの)篠田さんに
糸井さんとの仕事について聞いたとき、
すごく面白いなと思った話があるんです。
なにかというと、篠田さんが
「糸井さんはなかなかことばにしてくれないんですよ」
とおっしゃるわけです。
「こういうことですか?」と篠田さんが聞くと、
糸井さんからだいたい
「近いんだけどちょっと違うんだよな」と言われると。
それでまたやりとりがあって、
篠田さんが新たにひらめいて
「こういうことですか?」と聞くと、
糸井さんから今度は
「前より近づいてきてるけど、でもちょっと違う」
と言われると。
- 糸井
- いや、こう考えが散らかってるとね(笑)。
- 山口
- その話を聞いたときに僕が思ったのが、
本質的に「ことば」って、
すごく目があらい道具だと思うんですよ。
だから「ことば」って、その組み合わせによって
どのくらい精密にコミュニケーションできるかが
変わりますけど、
「繊細なフランス料理を作りたいのに、
1リットルと150ミリリットルの
計量カップ2つしかありません」
みたいな感じのものだと思うんですね。
だから糸井さんは、ずっとことばの仕事をされてきたぶん、
そこにいかに過不足があるか気づいてしまう。
だからこそ、ことばになかなかできないし、
ことばにする怖さも
感じていらっしゃるのかなと思ったんですけど。
- 糸井
- それ、おそらくそうだと思うんです。
「これぐらいでいいよね」という
言い方がありますけど、
そんなふうに思考を止めてしまったほうが
効率はよくなるんですよ。
でもそういうことって、
やっぱりあまりやりたくないんですね。
- 山口
- ああ。
- 糸井
- だから、よそのチームと仕事をすると、
よく「人月・納期・予算」といった単位で
話を進めるわけです。
それって現実を数字という部品に直して、
「その部品を合体して、万全にやればできますよね」
という発想。
そのやりかたって、答えが決まっているものを
そのとおりにやりたいときには良いし、
成長とかもそのなかであるんだけど、
それだと「そこで初めて考えること」とか
「はじめて生むもの」はないんですよ。
でも仕事をするとき、本当に期待してたり、
面白かったりするのは、急な問題だとか
突発的ないいことが出てきた場合の
「じゃあどうする?」という態度だったりするわけです。
そのときに
「いまそれをもらっても困ります」
みたいに言うと
「下請け仕事」になっちゃうんですね。
しかも、いまは下請けに出す側のほうの人たちも、
そういう仕事をしていることがわりにあって。
- 山口
- そうですね。
- 糸井
- だけど自分がそういう
誰かから言われた仕事をそのままするような
「労働力」になってしまったら、
仕事ってつまんなくなるなと思うんです。
やりたいのは、まさしく山口さんが
おっしゃるところの「アート」というか。
「アート」はそういうことはないわけで。
- 山口
- 「アート」は非予定調和的ですからね。
- 糸井
- そこで予定調和をやってちゃダメなわけですから。
もちろんアートのなかでの道具としての
「ここはコンピュータで線を引こう」
みたいなことについては、
どんどん使えばいいと思うんですけど。
だから、ほぼ日でやっている仕事って
「ことばにしない」のもありますけど、
それ以上に
「僕もわからないことを一緒にやりましょう」
という感じなんですね。
- 山口
- これはよくあるアナロジーですけど、
オーケストラの楽譜って、パート譜まですべて書かれていて、
作曲者が全部こまかく決めているわけです。
それぞれの演奏者は、それをそのまま弾くわけですね。
だからそこで個人が大胆な創造性を介入させて、
表現が大きく変わったり、
全然ダメになったりすることはない。
そのぶん「このときの演奏はすごかった」みたいに
大きく上ブレする可能性もあまりない。
実際にはそこまで単純化できないとは思いますけど、
そういう考え方が、ひとつあるわけです。
一方でジャズの演奏って、
それぞれがかなり自由にやるわけです。
そうすると奏者のクリエイティビティとか、
当日の気分とか、環境の雰囲気で、
演奏が大化けすることがある。
逆に言うと全然ダメな日もあるけど、
それは忘れればいいんで。
上澄みだけ残せば、すごくいいものができる。
なんだか僕は糸井さんの運営されている
ほぼ日って、そちらに近い感じがしているんです。
突発的なものを大事にして、
ジャズ的に運営されているのかなっていう。
- 糸井
- ああ、できたらいいなと思うんですけど。
つまり一緒に演奏することで、
それぞれがプレーヤーとして持っているものが足されて、
想像を超えたものが生まれる同士になる。
そういうことができたら素晴らしいですよね。
- 山口
- じゃあ、そこはすごく自覚的に
やってきたわけでもなく。
- 糸井
- はい。傾向はあるかもしれないんですけど、
そこはもう僕の体質でしょうね。
そういう体質が、会社の推進力になってきたというのは、
すごくありがたいことでもあるんですけど。
あと、いまのオーケストラの楽譜の話で
面白いなと思ったのが、
その楽譜に書いてあることって、
さきほどの「ことば」の話ととっても似てて。
- 山口
- ああ、ことば。
- 糸井
- オーケストラの演奏って、
上ブレしないのかもしれないけど、
その楽譜を見て全員が
同じ音を出せるわけではないですよね。
アマチュアの人たちだと
「曲というのはすべて譜面に書けるものだ」
と考えているかもしれないけど、
プロの人たちはそこで
「そこなぁ、教えられないんだよな」
と言い合ってる。
その、譜面やことばにできない部分の豊かさって、
すばらしいものがありますよね。
- 山口
- そうですね。
それを思うと五線譜って、
絶妙なゆらぎを持つシステムなんですよね。
そのネジがより精密になっていたら
個性の出しようもないけれど、
実際にはいい具合にゆるさがあって、
いろんな可能性を孕んでいるというか。
- 糸井
- うん、そのあたりに
「良い楽器を使うこと」の意味もあるわけですし。
(つづきます)
2023-04-22-SAT
(C) HOBONICHI