山口周さんと「会社って何だ?」を話したら。
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』
『ニュータイプの時代』などの著者で、
「美意識」や「アート」といった切り口から
これからの時代を豊かに生きていくための
思考・行動様式を研究し続けている
山口周(やまぐち・しゅう)さんが、
「会社」についての話を聞きに、
糸井重里のもとをたずねてこられました。

大切に思う部分が似ているふたり。
仕事はもちろん、生きていく上での
「数値化できない部分」の重要性を
あらためて確認するような時間になりました。
ふたりのおしゃべりを、全7回でご紹介します。
「日立EFO」のインタビューでの様子を、
ほぼ日編集バージョンでおとどけします。
03「書けない部分」に「豊かさ」がある。
山口
糸井さんは本のなかで
「ことばとはおそろしいものだ」とも
おっしゃられていて。



いま「物事を完全に2つに分けて考える」
ということへの疑問のお話がありましたが、
「2つに分ける」というのもまさに
ことばを使っておこなわれるもので。
糸井
そうですね。
山口
話が飛ぶようですけど、僕はこの間、
京都に行って陰陽師の話を聞いたんです。
そこでハッとさせられたのが
「呪いは必ずことばでかけるもの」
ということなんですね。



呪いをかけられたほうは自由が奪われて、
思考や行動が羽ばたけなくなるわけですけど、
要するに「概念の虜」になるんですね。
2つに分けたうちの片側しかない状態になる。
ことばにはそういう側面もあって。
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糸井
ああー。
山口
そしていま、ビジネスの世界ではよく
「パーパス(何のためにこの会社があるのか)」や
「ビジョン(目指すところや最高のあるべき姿)」
が大事だという話がされるわけです。



でもパーパスもビジョンも、
どちらもことばにするものなんですね。
だから、これもやっぱり気をつけないと
「呪い」になっちゃうところがあって。



ピクサーの創業者の方も、
「自分はビジョンは嫌いだ」と言うんです。
なぜかというと
「ビジョンを言うと、みんな考えなくなるから」と。
糸井
はい、はい。
山口
それで以前、(ほぼ日前CFOの)篠田さんに
糸井さんとの仕事について聞いたとき、
すごく面白いなと思った話があるんです。



なにかというと、篠田さんが
「糸井さんはなかなかことばにしてくれないんですよ」
とおっしゃるわけです。
「こういうことですか?」と篠田さんが聞くと、
糸井さんからだいたい
「近いんだけどちょっと違うんだよな」と言われると。



それでまたやりとりがあって、
篠田さんが新たにひらめいて
「こういうことですか?」と聞くと、
糸井さんから今度は
「前より近づいてきてるけど、でもちょっと違う」
と言われると。
糸井
いや、こう考えが散らかってるとね(笑)。
山口
その話を聞いたときに僕が思ったのが、
本質的に「ことば」って、
すごく目があらい道具だと思うんですよ。



だから「ことば」って、その組み合わせによって
どのくらい精密にコミュニケーションできるかが
変わりますけど、
「繊細なフランス料理を作りたいのに、
1リットルと150ミリリットルの
計量カップ2つしかありません」
みたいな感じのものだと思うんですね。



だから糸井さんは、ずっとことばの仕事をされてきたぶん、
そこにいかに過不足があるか気づいてしまう。
だからこそ、ことばになかなかできないし、
ことばにする怖さも
感じていらっしゃるのかなと思ったんですけど。
糸井
それ、おそらくそうだと思うんです。



「これぐらいでいいよね」という
言い方がありますけど、
そんなふうに思考を止めてしまったほうが
効率はよくなるんですよ。
でもそういうことって、
やっぱりあまりやりたくないんですね。
写真
山口
ああ。
糸井
だから、よそのチームと仕事をすると、
よく「人月・納期・予算」といった単位で
話を進めるわけです。



それって現実を数字という部品に直して、
「その部品を合体して、万全にやればできますよね」
という発想。



そのやりかたって、答えが決まっているものを
そのとおりにやりたいときには良いし、
成長とかもそのなかであるんだけど、
それだと「そこで初めて考えること」とか
「はじめて生むもの」はないんですよ。



でも仕事をするとき、本当に期待してたり、
面白かったりするのは、急な問題だとか
突発的ないいことが出てきた場合の
「じゃあどうする?」という態度だったりするわけです。



そのときに
「いまそれをもらっても困ります」
みたいに言うと
「下請け仕事」になっちゃうんですね。
しかも、いまは下請けに出す側のほうの人たちも、
そういう仕事をしていることがわりにあって。
山口
そうですね。
糸井
だけど自分がそういう
誰かから言われた仕事をそのままするような
「労働力」になってしまったら、
仕事ってつまんなくなるなと思うんです。



やりたいのは、まさしく山口さんが
おっしゃるところの「アート」というか。
「アート」はそういうことはないわけで。
山口
「アート」は非予定調和的ですからね。
糸井
そこで予定調和をやってちゃダメなわけですから。



もちろんアートのなかでの道具としての
「ここはコンピュータで線を引こう」
みたいなことについては、
どんどん使えばいいと思うんですけど。



だから、ほぼ日でやっている仕事って
「ことばにしない」のもありますけど、
それ以上に
「僕もわからないことを一緒にやりましょう」
という感じなんですね。
山口
これはよくあるアナロジーですけど、
オーケストラの楽譜って、パート譜まですべて書かれていて、
作曲者が全部こまかく決めているわけです。
それぞれの演奏者は、それをそのまま弾くわけですね。
だからそこで個人が大胆な創造性を介入させて、
表現が大きく変わったり、
全然ダメになったりすることはない。
そのぶん「このときの演奏はすごかった」みたいに
大きく上ブレする可能性もあまりない。



実際にはそこまで単純化できないとは思いますけど、
そういう考え方が、ひとつあるわけです。



一方でジャズの演奏って、
それぞれがかなり自由にやるわけです。
そうすると奏者のクリエイティビティとか、
当日の気分とか、環境の雰囲気で、
演奏が大化けすることがある。
逆に言うと全然ダメな日もあるけど、
それは忘れればいいんで。
上澄みだけ残せば、すごくいいものができる。



なんだか僕は糸井さんの運営されている
ほぼ日って、そちらに近い感じがしているんです。
突発的なものを大事にして、
ジャズ的に運営されているのかなっていう。
写真
糸井
ああ、できたらいいなと思うんですけど。
つまり一緒に演奏することで、
それぞれがプレーヤーとして持っているものが足されて、
想像を超えたものが生まれる同士になる。
そういうことができたら素晴らしいですよね。
山口
じゃあ、そこはすごく自覚的に
やってきたわけでもなく。
糸井
はい。傾向はあるかもしれないんですけど、
そこはもう僕の体質でしょうね。
そういう体質が、会社の推進力になってきたというのは、
すごくありがたいことでもあるんですけど。



あと、いまのオーケストラの楽譜の話で
面白いなと思ったのが、
その楽譜に書いてあることって、
さきほどの「ことば」の話ととっても似てて。
山口
ああ、ことば。
糸井
オーケストラの演奏って、
上ブレしないのかもしれないけど、
その楽譜を見て全員が
同じ音を出せるわけではないですよね。



アマチュアの人たちだと
「曲というのはすべて譜面に書けるものだ」
と考えているかもしれないけど、
プロの人たちはそこで
「そこなぁ、教えられないんだよな」
と言い合ってる。
その、譜面やことばにできない部分の豊かさって、
すばらしいものがありますよね。
山口
そうですね。



それを思うと五線譜って、
絶妙なゆらぎを持つシステムなんですよね。
そのネジがより精密になっていたら
個性の出しようもないけれど、
実際にはいい具合にゆるさがあって、
いろんな可能性を孕んでいるというか。
糸井
うん、そのあたりに
「良い楽器を使うこと」の意味もあるわけですし。
(つづきます)
2023-04-22-SAT