「ミヒャエル・ゾーヴァの世界」の おすそわけ
一枚の絵をきっかけに 糸井重里が「すっかりやられちゃいました」と、 折に触れ絶賛しているドイツ人画家、 ミヒャエル・ゾーヴァさん。  先日、東京で開かれた展覧会で 原画を見ることができただけでも 大興奮だったのですが、 来日したゾーヴァさんと 対談まで実現してしまいました。  ゾーヴァさんならではの 一瞬をとらえる絵は どうやって生まれてきたのか。 通訳の方をはさんで たくさん話したいのに話しきれないという対談でしたが、 そんなもどかしさも含めて どうぞお楽しみください。

ミヒャエル・ゾーヴァさんのプロフィール
第一回 ふたつの時間が同居する絵
糸井 ぼくが最初に
ゾーヴァさんの絵を観たのが
雑誌に小さく載っていた
この絵だったんですよ。
 

『ちいさなちいさな王様』より
 (画像をクリックすると絵を拡大します。)
ゾーヴァ これは日本でぼくの絵が最初に
翻訳出版された本に入っている作品ですね。
(※編集部註
  この絵が収載されている本は『ちいさなちいさな王様』です)
糸井 もうねー、
なんて言っていいかわからなくて
「こんなの描いている人が
 どっかにいるんだー」って
とにかくびっくりしたんです。
ゾーヴァ この絵はあっていないところが
あるんですよね。
前の角砂糖が入って、
波を打っているのにもかかわらず
もう次の角砂糖を手に持つなんて
不可能なことなのに‥‥。
糸井 そうです、そうです。
ふたつの時間がこの絵の中に入っているんです。
それは、熊がしゃべるのと同じことですから。
ありえないことがあるのが
うれしいと思ったんです。
ゾーヴァ ええ、ええ、そうですね。
ぱっと観たときに、
この絵がおかしいと
ケチをつけられないといいなと
願うばかりです。
糸井 これ(角砂糖の入った跡)がなかったら
この魅力は減ると思う(笑)。
ゾーヴァ そのとおりですね。

糸井 ゾーヴァさんの絵の中にはいつも
二つの世界が自然にとけ込んでますよね。
それが非常に日本人の仏教的感覚に
合っているような気がするんです。
ひとつの神様じゃなくて
どこにでも神様がいて
それぞれが親しいんだっていう関係。
ゾーヴァ それはうれしいなぁ。
糸井 だからこれは日本人はみんな好きになるぞと
思ったんですね。
神様がひとつの国の人の発想と
沢山いる国の人たちの発想とは
違うんだと思うんですけど
ゾーヴァさんの中では
ふたつの発想が仲良くなっているという
構造なので興味はつきないですね。
ゾーヴァ そちらの方向のテーマを
考えたこともありませんでした!
糸井 自然に描いてしまうんですかね。
必ず両方はいっているんですよ。
すごいなと思って。
ぼくらが好きになる理由は
とっても見つけやすい。
ゾーヴァ 日本でこんなに広く知られて
熱狂的なファンがいるという状況は
もしかしたらそういうことなのかもしれないです。
ドイツは敬虔なクリスチャンの国という
イメージがあるみたいですけれども
そんなに宗教的ではなくなってきていますね。
特に東独との統一の後は
東独はそれほど宗教的ではなかったので
宗教色は薄まったような気がします。
(つづきます)
【通訳】
ゾーヴァさんと糸井重里の対談は
ゾーヴァさんの本を何冊も翻訳されている
木本栄さんに通訳をお願いしました。
2006-02-02-THU



「ミヒャエル・ゾーヴァの世界」の おすそわけ

ゾーヴァの箱舟
 (画像をクリックすると絵を拡大します。)
 展覧会の会場でこの絵を前に
 二人が語り合ったことを
 こちらからお楽しみください。