養蜂場をまわりながら、誠太さんがどのようにして
日本みつばちにめぐりあったのか、
お話をうかがっています。
30年前に突然お店にやってきた人が、
日本みつばちの飼育の糸口を
少しつかんだたようで‥‥。
スペインには、紀元前6000年ごろの
はちみつ採取のようすが描かれた
洞窟の壁画があります。
日本でも古くからはちみつは
食べられてきましたが、
国内のはちみつが献上品として文献に登場するのは
平安時代です。
西洋みつばちが日本に輸入されはじめたのは
明治に入ってから。
平安時代に献上されたはちみつはもちろん、
日本みつばちのものでしょう。
江戸時代に入るまでは、はちみつを採る際に
みつばちの巣全体を殺してしまう採蜜方法が
中心でした。
しかし江戸時代に日本みつばちの飼育技術が発達。
科学的な観察や研究が行われました。
しかし、明治に西洋式の養蜂技術が伝わり、
養蜂は西洋みつばちが主役となりました。
日本みつばちは臆病で逃亡しやすく、
巣房の大きさも扱いも異なるため、
西洋の養蜂技術だけでは補い切れない部分が
たくさんあったからです。
しかし、ここ数十年で
日本みつばちの養蜂技術は画期的に進歩し、
日本みつばちのはちみつを
流通できるまでになりました。
(こたえ:藤原養蜂場 藤原誠太さん)