はちみつ探検隊 蜂名人の誠太さんに会う、の巻。 1万年以上前から人が食べていて、いまも変わらない食べかたで親しんでいるもの、それは、はちみつです。ある日、わたしたちはひと瓶の、花のかおりあふれるはちみつに出会いました。それは作家の塩野米松さんからいただいたものでした。日本の花と蜂がもたらすめぐみをもらう旅。はちみつ探検隊、一歩ずつ進みます。 はちみつ探検隊 蜂名人の誠太さんに会う、の巻。 1万年以上前から人が食べていて、いまも変わらない食べかたで親しんでいるもの、それは、はちみつです。ある日、わたしたちはひと瓶の、花のかおりあふれるはちみつに出会いました。それは作家の塩野米松さんからいただいたものでした。日本の花と蜂がもたらすめぐみをもらう旅。はちみつ探検隊、一歩ずつ進みます。
藤原誠太さん、1957年盛岡生まれ、明治34年創業、藤原養蜂場の3代目。東京農業大学客員教授。みつばち飼育の普及に努める。/はちみつ探検隊ほぼ日乗組員3人、S 蜂が好き、O 花が好き、T 酒が好き
第5回 忘れられた蜂。

養蜂場をまわりながら、誠太さんがどのようにして
日本みつばちにめぐりあったのか、
お話をうかがっています。
30年前に突然お店にやってきた人が、
日本みつばちの飼育の糸口を
少しつかんだたようで‥‥。

ほぼ日のはちみつ「日本の花」のお店は、
1月31日(水)午前11時にオープンします。
扱うはちみつは
「日本みつばちベアハンド」
「日本みつばちドロップ」
岩手県のアーク牧場のラベンダーから採れた
「いちのせきのラベンダー」
の、人気の3つです。
▲日本みつばち。
探検隊S
研ぎ師さんが素人ながらに飼いはじめた
日本みつばちを見て、
誠太さんはどうしたんですか?
誠太
まず、日本みつばちが順調に
巣箱で育っているのを見て、
ぼくはたいへんにショックを受けたんです。

日本みつばちは、
ずっとこの日本で暮らしていたにもかかわらず、
明治時代に飼育を諦められ、忘れられた。
そしてそのまま大正、昭和と来てしまった。
我々は養蜂家として、
こんな大事なことを見過ごしてきたんだな、
と思いました。
▲ふたたびかわいい日本みつばちとふれあう私たち。
▲ちょっぴり緊張するけど、でももう怖くない。
誠太
研ぎ師さんの日本みつばちを見て、
ひとりだけで特別な飼育技術を
開発したり広めたりするのは無理だろう、
という判断をして、
そこから8人ほどのメンバーを集めて
保護や研究の会を作ることになりました。
昭和天皇が崩御した直後の、
平成元年からのスタートでした。
さまざまなメディアでもとりあげてもらって、
仲間がどんどん増えていきました。

しかしやっぱり手探り状態で、
うまく飼えるまでにいろんなことがありました。
たとえば冬の越し方なんかも、
ぜんぜんわからなかったからね。
ぼくたちは不明だった日本みつばちの生態を
次々と理解するために
この30年をついやしてきました。
探検隊O
死んでしまったり脱走したりしないように。
誠太
うん、そうですね。

日本みつばちは野生のいきものです。
ぼくらの住んでいるような自然の豊かなところでは、
植物や小さな虫の命は、軽くなっちゃうんです。
巣全体をそのまま殺してはちみつを採集する養蜂も、
大昔から続いていました。

だけど、ぼくらはもう、日本みつばちは
「自然に戻ってくる」種ではないと知っています。
数も減っていたから。
だから、日本みつばちの命を
軽く見ない養蜂のしかたを
とにかく開発しようと思ったんです。
▲日本みつばちの、巣枠を使っていない巣。
自然の巣の形です。
探検隊S
誠太さんは、生まれたお家が養蜂家で、
ずっとみつばちといっしょの生活だったと思いますが、
はちみつの味はお好きですか?
誠太
はちみつは大好きです。
年間1斗缶(24kg)ぐらいは食べるんじゃないかな? 
そのせいで、あまさに慣れちゃったからか、
羊羹の早食い大会に飛び入り参加して
優勝したこともあるよ。
ようかん1本を1分で食ったから、
みんな唖然としてました。
▲豪快な誠太さんは、
養蜂場にいたオオスズメバチを
生きたまま捕獲するのに成功。大きい!
▲これは、くまが壊した巣箱。
巣ごとはちみつを食べていった。
探検隊T
蜂じたいは好きですか?
誠太
もちろん好きだし尊敬もしています。
なぜかやっぱり、西洋みつばちより
日本みつばちのほうにいっそう愛着が湧きます。
西洋みつばちもすごく大事な存在なんですが、
そんなに感情移入はしてないの。
なんでだろうね、
日本みつばちの数が少ないというのも
ひとつの要因だと思います。

西洋みつばちは、
採蜜のために改良されてきた性質なので、
大事なビジネスパートナーというつきあいなんです。
いっしょに歩んでいる、戦友みたいな感じかな。

けれども、日本みつばちは在来種で、
思った通りにはなりにくいし、いやなら逃げていく。
犬と猫ぐらいちがいます。
よき隣人とか、きまぐれな友人という感覚が
どうしてもあります。
神様から預かっているんだ、という気持ちで
接しています。
探検隊O
養蜂家は、そんな蜂たちとふれあって蜜をもらう、
というお仕事なんですね。
誠太
うん。
養蜂はたのしいですよ。
みつばちは、
人間がどんなに逆立ちしてもできないことを
担ってくれて、
無から有を生む存在だと思います。
そしてまた、つきあっていくとわかるけど、
妙に人間っぽいところもあるんです。
▲「枠なしの巣」のかけら。
誠太
この、日本みつばちの巣、食べてみますか?
探検隊T
巣を食べるんですか?
探検隊S
私は西洋みつばちの巣を食べたことがあります。
「巣入りのはちみつ」って売ってますよね。
誠太
そうそう、その「日本みつばち」バージョンです。
蜂が見てないとこで食べましょう。
探検隊O
私、巣を食べるのははじめて。
どきどきします。
▲蜂の巣。
▲フリーズしたまま食べる隊員O。
探検隊O
あ、おいしい。あまい。
探検隊S
うわっ。やわらかい。
日本みつばちの巣って‥‥やわらかいですね。
誠太
でしょ?
はちみつのなかの最高級品です。
やわらかいから、すっと飲み込めます。
西洋みつばちの巣とはまたちがうでしょ。
探検隊S
花粉のかおりもほんのりして‥‥おいしい!
探検隊T
ぼくはなんだか、
ミルクっぽい味がしましたよ。
誠太
あ、それはあれだ。
ハチノコがいたんだ。
探検隊T
えっ。
探検隊S
うん‥‥Tの食べてる巣に
白いのがついてるな、と思って見てました。
誠太
どうでした?
探検隊T
ものすごくおいしかったです。
みつばち牛乳、って感じだった。
(つづきます!)
おしえてBEEKEEPER!
日本の養蜂はいつはじまったの?

スペインには、紀元前6000年ごろの
はちみつ採取のようすが描かれた
洞窟の壁画があります。
日本でも古くからはちみつは
食べられてきましたが、
国内のはちみつが献上品として文献に登場するのは
平安時代です。
西洋みつばちが日本に輸入されはじめたのは
明治に入ってから。
平安時代に献上されたはちみつはもちろん、
日本みつばちのものでしょう。

江戸時代に入るまでは、はちみつを採る際に
みつばちの巣全体を殺してしまう採蜜方法が
中心でした。
しかし江戸時代に日本みつばちの飼育技術が発達。
科学的な観察や研究が行われました。

しかし、明治に西洋式の養蜂技術が伝わり、
養蜂は西洋みつばちが主役となりました。
日本みつばちは臆病で逃亡しやすく、
巣房の大きさも扱いも異なるため、
西洋の養蜂技術だけでは補い切れない部分が
たくさんあったからです。

しかし、ここ数十年で
日本みつばちの養蜂技術は画期的に進歩し、
日本みつばちのはちみつを
流通できるまでになりました。

(こたえ:藤原養蜂場 藤原誠太さん)

2018-01-30-TUE