3世界的産地でうまれる生地、
尾州毛織物
愛知県一宮市を中心とした一帯には、
毛織物の産地が広がっています。
ここは、イタリアのビエラ地方と並んで、
世界の二大毛織物産地と呼ばれるところ。
木曽川、長良川、揖斐川からなる木曽三川は、
この地域に豊かな恵みをもたらしました。
明治時代から広まった尾州の毛織物について、
中伝毛織の清水嘉一さんにお話を聞きました。
▲原糸・企画・生産管理部部長の清水さん
- ――
- 尾州毛織物って、
要はウール、羊毛でできた
織物ということですよね?
- 清水
- おっしゃるとおりです。
愛知県一宮市、稲沢市、津島市、江南市、
それから岐阜県羽島市のあたりでは、
もともと、綿織物が盛んだったんです。
明治時代には綿糸の生産量が日本一だったそうです。
その頃から毛織物の生産体制をつくっていたのですが、
第一次世界大戦をきっかけに毛織物の需要が
爆発的に増えて、全国的な産地となりました。
現在はこの地方にテキスタイル販売のメーカーが
90社ほど集まっています。
中伝毛織はことしで57年目になりますが、
これは尾州では比較的歴史が浅いほうです。
明治時代から100年越えている会社もたくさんあります。
- ――
- なぜ、尾州で毛織物が発達したのでしょう?
- 清水
- 木曽三川といって、木曽川、長良川、揖斐川という
水源に恵まれていることがいちばん大きいですね。
それから、尾張地区の蒸し暑さも重要でした。
ウールの糸に非常に適した、
約60%の湿度を年中保つことができる。
それで、毛織物がこの地域で次第に発展したんです。
- ――
- なるほど。
水に恵まれているから織物産業が発展し、
湿度がウールを扱うのに合っていたために
毛織物も発展していったというわけですね。
- 清水
- はい。
毛織物には工程がたくさんあります。
その工程ごとに、専門の会社や工場があるんです。
糸をよる「撚糸工場」だけでも、
大手で30社、お父さんとお母さんだけでやっているような
小さな工場も含めると200社くらいでしょうか。
- ――
- それは、全国でですか?
- 清水
- いや、尾州地区だけで。
- ――
- そんなに!
- 清水
- それでもだいぶ減りました。
できあがった糸を織る「織り工場」は、
30年ほど前、昭和の終わりから平成の頭にかけては
この地区に6000軒ほどありました。
- ――
- 6000軒!
- 清水
- 今日、ここまでいらっしゃるときに、
ノコギリ型の建物を見ませんでしたか?
- ――
- ああ、ありました!
特徴的な、ギザギザの屋根の建物。
▲一宮の町で見かけるギザギザ屋根。朝の光が入るように、
すべて北を向いているそう。
- 清水
- あれが織り工場、機屋さんですね。
朝10時から11時くらいの光が
色を合わせるのにいいという昔からの知恵で、
朝の光がしっかり入るように、
機屋さんは、すべて北を向いているんです。
だいたいが家庭規模のちいさな工場です。
お父ちゃん、お母ちゃん、
おばあちゃんの3人で営んでいるから
「三ちゃん機屋」なんて呼ばれていました。
その三ちゃん機屋も、いまは350社くらい。
30年で20分の1程度になりました。
- ――
- それはかなり急速な減少ですね……。
- 清水
- そうですね。それでも国内の毛織物の大半は
いまも尾州で生み出されているんですよ。
いまなお国内の毛織物生産量の8割を占めるという
統計もあります。
余談ですが、一宮地区というのは
日本一喫茶店の多い地域なんです。
- ――
- 喫茶店。
- 清水
- むかし6000軒ほどの機屋さんがあったと
言いましたが、
三ちゃん機屋のお父ちゃんは、
だいたい朝6時頃に起きて、
織機に糸をかける仕事をやるんです。
その糸を織るのがお母ちゃんの仕事。
ですからお母ちゃんが仕事をはじめると、
お父ちゃんは一服するために喫茶店に行くんです。
お母ちゃんには朝ごはんを作る余裕はない。
そこで、お父ちゃんが喫茶店のマスターに
「なんかないの?」って言う。
それが東海地方にいまもたくさんある、
モーニングのはじまりです。
コーヒーにパンをつけて、サラダをつけて、
果物をつけて、値段はコーヒー1杯のまま。
赤字にならないの? と思いますが、
このお父ちゃんというのはだいたいサボるのが好きで、
1日に3回も4回も喫茶店に行く(笑)。
それで成り立っているという話です。
- ――
- おもしろいです(笑)。
織り工場のお父ちゃんたちのニーズに応えて
喫茶店も発展していったんですね。
- 清水
- 少し話が逸れましたが、
織る工程だけでも、それだけの軒数があったという話です。
うちの会社は織り機と、編み物、
つまりニットがつくれる丸編み機の
両方がありますが、
そういう会社は非常に珍しいです。
- ――
- 基本的には、
それぞれの工程について
専門の技術をもった方たちの集まり。
- 清水
- そうですね。
さらに、補修工場というのがあります。
反物を織っているときに糸が切れたり、汚れたりしたものを、
補修する専門の工場です。
織られたばかりの反物を「生機」というんですが、
これを補修工場さんにもっていって、
糸が切れたところを縫い合わせたり、
汚れを落としたり。次の工程である整理工場で
生地を洗ったりもんだりして整えるんですが、
その検査段階でほつれが見つかれば、
補修工場に戻る。
お客様に届いたあとに何か見つかった場合も、
補修工場で直します。
この補修という工程は、
ほかの地区にはあまりありません。
なぜかというと、ほかの産地は糸が切れないから。
ウールの糸は他の天然繊維や合成繊維に比べると、
織っている途中に切れる頻度が高いんです。
さらに、糸の値段が自体が綿などに比べると高いですから、
失敗した生地の再利用をすることもある。
そういうために、補修工場があるんですね。
- ――
- 尾州独自の工程というわけですね。
- 清水
- 整理工場も尾州独自の工程と
言えるかもしれません。
ウールは縮みます。
だから全体で20%以上ウールが入ったものだと、
他産地ではなかなか最終仕上げが難しくなります。
その技術も毛織物産地ならではなんです。
いまは尾州に10社ないくらいですが、
工場によってメンズ、レディース、ニットなど
それぞれ得意分野が分かれているので、
うちの会社でもすべての整理工場さんと
お付き合いがあります。
そんなわけで、
工程ごとにたくさんの人が関わって
一大産地になっているんです。
- ――
- はー‥‥、すごい規模です。
- 清水
-
糸染めをしているところだけでも
見て回れば半日かかるほど、いろんな仕事があります。
整理工場に至っては機械の種類が30、40種類もあります。
ものによって機械を使い分けているんです。
だから織られたばかりの布からは想像もつかないような
変化を見せることもある。先代の頃はやんちゃをやってた子は糸染め工場、
勉強がまあまあの子は織り工場、
いちばん勉強ができる優秀な子は整理工場に行く、
と言われていました。
それだけ整理工場は薬品も機械も活用して
さまざまなことができる。
それが、ある時から立場が逆転した。
勉強がまあまあでも小狡い織り工場のほうが
整理工場が下請けのような立場になったんですね。
それがまた、最近になって
整理工場が減ってきたことで
再び整理工場の価値があがってきた、なんて話もあります。
ちょっと蛇足になってしまいましたが。
- ――
- 長年続いている大きな産地ならではの話、
という感じがします(笑)。
あの、ウールというと、
やはり秋冬に身につけるものというイメージが
強くありますが、
季節によって忙しさが違うということは
あるんでしょうか?
- 清水
-
おっしゃるとおり、
毛織物は秋冬に着られるものが多いですね。
そこで春夏ものにも取り入れてもらおうと、
化合繊織物、要はポリエステルやナイロン、
レーヨンといった素材を混ぜた生地も
つくるようになっていきました。
もともと綿織物をやっていましたから、
織物に関する基本的な技術はありますからね。羊自体も、
十数年前までは2億頭ほどいましたが、
いまは7500万頭まで減っています。
そしてすべての繊維のなかで、
ウールの占める割合は1.2%しかありません。
状況は厳しくないといえば嘘になります。
そんななかで、
日本最大の産地である尾州ならではのものをつくりたい。
いまはただ編み上げたものをそのまま完成させるのではなく、
整理工場の力を借りて、あえて複雑な加工をすることで
新たな生地をつくることにも挑戦しています。
新しい価値をもった生地を生み出せたらと思っています。
▲整理工場で複雑な加工をほどこしたニット生地。
▲整経の工程。かなり機械化が進んでいるこの工場でも、オートメーション化できないのがこの工程だそう。人の手によって糸が結ばれる。
▲整経の第二段階。糸を巻きつける。整経がうまくいけば、織るのもほぼうまくいくというほど大事な工程だそう。
▲糸の張り方を一定にするアキュームレーター。ウールやポリエステルなど、さまざまな糸の張り具合を一定にできる機械。導入時は日本に繊維博物館を含めて3台しかなかったほど希少なものだそう。
▲織り機の並ぶ風景。織る工程はほぼ自動化されている。
▲丸編み機。ここでニット製品がつくられる。
▲生地のショールーム。新たな生地の開発のほか、
産地全体で「ツイードラン」など尾州ならではのPR活動も行っているそう。