- ──
- これまでの西條先生のキャリアにおいて
「テニス」「心理学」
というふたつのファクターが
重要だったことは、よくわかりました。
でも、そこから
どんなふうにして「構造構成主義」に
向かっていくんですか?
- 西條
- ぼく、大学3年生までは
「認知行動療法」を学んでいたのですが
大学4年生で
「発達心理学」のゼミに移ったんです。
- ──
- それというのは、どのような?
- 西條
- 人間の成長を
心理学的に研究する学問なんですけど
そこでぼくは
「お母さんと赤ちゃんの抱っこの研究」
をテーマにしていました。
- ──
- あ、だから西條さん、
抱っこの絵本を出版されてるんですか。
(作・西條剛央/絵・大島妙子
『ぼくもだっこ』講談社)
- 西條
- ええ、娘がこの絵本のことをすごく好きで、
読んでやると安心するのか、
すやすや眠るので重宝している本です(笑)。
- ──
- でも「抱っこの研究」って、おもしろそう。
具体的には、どういうものなんですか?
- 西條
- 長くなるので
博士論文(『母子間の抱きの人間科学的研究』)
の結論だけ言うと、
「正しい抱っこの仕方」というものが
定められているわけじゃなく、
相互作用、つまりお母さんと赤ちゃんが
「やり取り」をした結果、
「抱っこの型」が自己組織化していった、
というものです。
- ──
- 自己組織化。
- 西條
- たとえば、生まれたばっかりの赤ちゃんって、
ぼくらは「横」に抱きますよね?
- ──
- 首が座ってないですもんね。
- 西條
- でも、それって「文化」なんですよ。
- ──
- えっと、つまり「絶対」じゃない?
- 西條
- そう、生まれたばかりの赤ちゃんを
「縦抱き」にする文化もあるので。
- ──
- そうなんですか。
- 西條
- ようするに、その文化圏のお母さんたちは
「首が座ったから縦に抱っこする」
という「知識」に基づいて
「縦抱き」しているわけじゃないですよね。
- ──
- ええ、「すぐに縦抱き」ですもんね。
- 西條
- 首座りも身体情報の変化という意味で
影響してはいるんですが
多くの場合、首が座らないうちから
赤ちゃんは
「横抱き」を「嫌がる」ようになるんです。
お母さんたちは
それを感じ取って「縦抱き」している。
- ──
- へぇー‥‥横抱きを、嫌がる。
- 西條
- それは、人間の知覚が発達していくプロセスで
「まわりが見たい」と思うから。
- ──
- なるほど。でも、わかる気がします。
赤ちゃんだって見たいですよね、自分のまわり。
- 西條
- つまり、横に抱っこされた赤ちゃんが
まわりを見たくてグズるものだから
結果として「縦に抱く」ようになるんです。
ここで、お母さんのやっていることは
たったひとつで、それは
「赤ちゃんのようすに耳を傾ける」ことだけ。
- ──
- 縦抱きは「知識」ではなく
「コミュニケーションの産物」であると。
- 西條
- 知識でもなく、
マニュアルに従ったわけでもなく、
耳を傾ける母親と
赤ちゃんとがやりとりをした結果、
抱っこのしかたが
一定の方向へ収斂していく。
このことを、
ぼくは「母子関係の自己組織化」と
呼んでいるんですが。
- ──
- おもしろいです。
- 西條
- もともと、大学院で研究しようと思った
学問的関心も
この「自己組織化」だったんです。
これは
「ふんばろう」の活動を進めるうえでも
かなり役に立ちました。
- ──
- と、おっしゃいますと?
- 西條
- 震災直後、
数名でプロジェクトを動かしはじめたとき
念頭に置いたのは
「誰かがコントロールしなくても
結果として
支援活動がうまくまわるような組織」
だったので。
さっきの言葉を使うと、
「復興支援活動を、自己組織化させる」
ことを戦略的な指標にしたんです。
- ──
- それってようするに
「自動的にうまくいく仕組みを整える」
ということですか。
- 西條
- 大げさなことじゃなく、
ひとつひとつは簡単なことなんです。
たとえば
同じ興味関心を持つ人同士を集めたり、
揉め事を回避するために
「建設的に議論するための7箇条」
「まずは感謝、肯定する」
「質問は気軽に、批判は慎重に」‥‥など、
やりとりが建設的になるよう
注意すべき点を明確にしたりしました。
- ──
- 一概に「自己組織化」と言っても
それを促すための方策やコントロールは
最低限必要なんですね。
- 西條
- 望ましい自己組織化が起こるための
基礎条件を整える、ということです。
あるいは、
ひとつひとつのプロジェクトやチームを
少人数でまかなうようにもしました。
- ──
- それは、なぜですか?
- 西條
- チームの人数が多すぎると
たとえ個々に「やる気」があったとしても、
何となく「他人任せ」になって、
実際に動かない人が出てくるんです。
- ──
- あー、身に覚えが。
- 西條
- 極端な話、300人のチームにいたら
「ま、誰かやるよね」ってぼーっとできますが、
「3人」しかいなかったら?
- ──
- ‥‥自分がやらなきゃって思うと思う。
- 西條
- でしょう?
ピーク時の「ふんばろう」では
合計80くらいのグループがあったのですが
どんなにちいさな動きでも、
各プロジェクトごとに
かならず「リーダー」を立てていました。
リーダーこそが
責任を持ってプロジェクトを進める人だし
リーダーを立てることで
やる気のあるメンバー同士が
変に遠慮して
「お見合い」してしまうようなケースも
回避できるからです。
- ──
- なるほど。つまり、そのような場面で
構造構成主義の考えが、役に立ったと。
- 西條
- 現場の判断を的確に下す場面でも
構造構成主義の「方法の原理」が有効でした。
- ──
- どのように、ですか?
- 西條
- たとえば
「臨機応変に現場判断してください」
と言われても
何を基準に「判断」すればよいのか、
わからないですよね。
- ──
- 自分が全権委任されている「王様」なら
話は別でしょうけど‥‥。
- 西條
- その場合は、自分より「上」に対して、
「これでいいでしょうか?」
と、いちいち確認したくなるんです。
- ──
- なります。「ふんばろう」の場合は
代表である西條さんのところに
そういう問い合わせが集中しちゃって
首が回らなくなりそう‥‥。
- 西條
- そこで「方法の原理」が有効なんです。
つまり
「どのような方法がベストか‥‥は
状況と目的に応じて決まる」
という「方法の原理」に照らして、
それぞれ、
自分たちの「状況と目的」を見定めながら
各々が「よい」と思うやり方で
どんどん、
プロジェクトを前に進めてもらったんです。
- ──
- つまり、判断のモノサシをみんなに配って、
あとは、
それに照らして勝手にやってもらった、と。
- 西條
- そう。
- ──
- それが「ふんばろう」の運動法則。
- 西條
- はい。
つねに「状況と目的」を意識しながら
議論することで、
ぼくらは「建設的に考える」ことが、できるんです。
<つづきます>
2014-09-30-TUE