- ──
- 以前、西條さんの「構造構成主義」って
「原理の体系である」
と聞いたことがあるんですけど、
なんだか、
わかったようなわからないような感じが
ずっとしていました。
そのあたり、あらためておうかがいしても?
- 西條
- 構造構成主義というのは、ようするに
何にでも通用する「原理」や
「すべてにあてはまる共通の本質」を
探り出す学問なんです。
- ──
- 何となくイメージはできます‥‥が。
- 西條
- たとえば、
早稲田大学人間科学部の人間基礎科(当時)
というところでは
生物学、社会学、心理学、
いろいろな学問を学べるんですけれど‥‥。
- ──
- なんか西條さんに合ってそうですね。
(間違って入ったとはいえ‥‥)
- 西條
- 昔から、分野のちがう研究と研究の間には
「争いごと」が起こりやすいんです。
- ──
- そうなんですか。
- 西條
- 遺伝子科学や脳科学に基づいて考える
生物学にしてみたら
社会学者や文化人類学者がよくやる
フィールドワーク研究などは
厳密さに欠けて、科学的ではない‥‥とか。
あるいは、臨床系の学問からすると、
基礎研究なんてぜんぜん実際的じゃなくて
いったい何の役に立つんだ‥‥とか。
- ──
- なんとなくわかる気もします。
- 西條
- どの教授も、専門分野については一流だし
説得的に話すことができるので
どの人の話も「なるほど!」と思うんです。
なので、あるときに
「まったく正反対のことを言っているのに
両者ともに説得的なのは、なぜなんだ?」
と、疑問に思いまして。
- ──
- どっちにも一理あるじゃないか、と。
- 西條
- また、そもそも人間科学という分野は
「学問が細分化し過ぎていったことの限界」を
乗り越えようという問題意識に基づいて
いろんな専門家が集まって相互作用することで
「創発」つまり
「新しい何かを生み出してゆく」期待のもとに
立ち上げられたんです。
- ──
- なのに「相互批判」にばかり囚われていたら
「創発」もしにくいでしょうね。
- 西條
- ぼくは、新しい何かが「創発」しないのは
誰が悪いと言うより
共通する「方法」がないからだと思いました。
- ──
- 「創発」するための「方法」がない。
- 西條
- 学問体系がそれぞれにちがうから争いになる。
であるなら、狭い「学問領域」を飛び越えて
すべての学問に通用する原理的な理論、
そして、それに基づく「方法」を
つくれたらいいんじゃないかと、考えたんです。
- ──
- そういう意味で「原理」なんですね。
でも「すべての学問に」なんですか。
- 西條
- はい、基本的には「すべての学問に」です。
- ──
- 政治学、医学、法学、哲学、文化人類学‥‥とか
領域を越えて串刺しに、ってことですよね?
その発想自体がすごいと言うか、
そんなものを
よく考えようとしたなあって思うんですが。
- 西條
- すべてに通用する原理を確立するためには
科学とは何か、研究とは何か、理論とは何か、
方法とは何か、言葉とは何か、存在とは何か‥‥
そういった事柄について、
考えを深めていく必要がある。
そして、それらにこたえる理論の体系を
つくり出してしまえば
あらゆる領域で「使える」ものができるはず。
- ──
- これまでのお話を聞いて感じたんですが
構造構成主義というのは
「なんか、いい方法を生み出すための学問」
というものでは、ないんですね。
はじめは、そんなイメージだったんですけど、
何か、もっと大きなもの、というか。
- 西條
- 一言で言えば「学問の原理論」なんです。
そして、ひとつ大きな特徴として、
「信念対立を解消するツールとして使える」
という点を挙げることができます。
- ──
- 大きな目的が「学問全体の原理」をつくることで、
そのために
「信念対立をどう超えるか」に着目した理論だと。
- 西條
- たとえば「方法」の「本質」とは、何だろうか。
それはつまり
「特定の状況のもとで
特定の目的を達成するための手段」
のことを
僕らは「方法」と呼んでいますよね。
- ──
- はい。
- 西條
- 学問の世界でも
自分の専門分野の方法こそ正しいと
思っている人が少なくないのですが、
本当に「有効な方法」というのは
固定的なものではなく、
「状況と目的に応じて」変わるんです。
- ──
- 西條さんたちが、
「震災という状況のもとで
被災地支援という目的を達成するための手段」
を、臨機応変に考えてきたように。
- 西條
- そうです。
そして、その方法が何なのかわかったら、
今度は、
どうやったらうまく使いこなせるのかを
考えられるようになります。
- ──
- ええ。
- 西條
- それは方法の使いかた、つまり「方法の方法」ですが、
構造構成主義という考えかたは
その一段上の概念、つまりコンピュータで言えば
「OS」みたいな枠組みなんです。
- ──
- 「戦術」に対する「戦略」みたいな。
- 西條
- そうですね。
方法をソフトとすれば、構造構成主義はOS。
あらゆるソフトを
その上で動かすことのできる「原理」のこと。
- ──
- ようするに、その「原理」にしたがって
方法の使い方を把握し、
個別具体的な問題に対応していくというもの。
- 西條
- そのように言っても、いいかもしれません。
繰り返しになりますけど、
大事なことは、どんな領域においても使える
「思考のツール」だということです。
- ──
- 医療の現場にも
構造構成主義の考えが応用されていると
聞きました。
- 西條
- ええ、とくに
吉備国際大学の京極真さんをはじめとして、
たくさんの医療関係のみなさんが
構造構成主義を応用して
新たな理論や方法論を考え出しています。
- ──
- それは同時に
西條さんの「はじめの動機」を満たすような
理論でもあるわけですよね。
学問どうしが「創発」していない状況を
どうにかしたい‥‥という動機を。
- 西條
- ここでいう「原理」というのは、
宗教みたいに「信じなさい」というものではなく、
「なるほど、
たしかにその原理に沿って考えれば
うまくいきそうだな」
と、納得できるようなものなんです。
- ──
- つまり、構造構成主義というのは
「こうすべきである」という価値観を
押し付けるものでもなければ
唯一の正しい「公式」があると
主張するようなものでもない‥‥と。
- 西條
- そう、
「まずは、批判的に吟味してみてください。
そして、もし納得できたら、
あなたの『原理』として使ってください」
というような態度が基本です。
- ──
- なるほど‥‥。
- 西條
- 構造構成主義とは、ひとりひとりにとっての
「うまく考えるための方法」であって、
冒頭、奥野さんがおっしゃったように
決して、
「唯一の正解や
うまいアイディアがポンポン出てくる
べんりな玉手箱」
などでは、ないんです。
- ──
- そのことが聞けて、逆に納得しました。
柔軟で包容力のある理論だからこそ、
構造構成主義には
震災の現場で威力を発揮するポテンシャルが
備わっていたわけですね。
- 西條
- そうなんだと思います。
やはり「復興の現場」には、
さまざまな「対立」があったわけですけれど、
構造構成主義は
そうした対立を回避する理論体系としても
「使える」ものだったんです。
<つづきます>
2014-10-01-WED