第13回 この世には不思議なことなど何もないのだよ、関口君。

──
構造構成主義というのは
すでに「完成」した理論なんでしょうか?
西條
体系としては、ひと通りできてはいます。

でも、重要な原理を磨き上げる作業は
やはり、ちょっとずつ
洗練していかなければなりませんし、
実際、何人もの研究者が
その作業に取り組んでいますので、
今後も精緻化されていくと思っています。
──
つまり構造構成主義は「プロセスである」とも
言えるということでしょうか?

お話を伺っていると
「固く、スタティックな原理」ではないような、
そんなイメージを抱いたのですが。
西條
そうですね。

これは『構造構成主義とは何か』にも
書いたのですが
やはり、新しい構造、有効な構造‥‥
「構造」というのは
「理論」「方法」と置き換えてもいいんですが、
それらを
「構成し続けるプロセスそのもの」こそが
構造構成主義でもあるので。
──
誰も経験のない震災の「個別具体的な状況」に
逐一、対応してきた理論ですものね。
西條
なので、僕自身も「終わりがある」イメージは
抱いてはいないです。
──
ちなみに、
かの、全世界的に有名な「構造主義」とは
とくに関係ないんですよね?

言語学のソシュールだとか、
文化人類学のレヴィ=ストロースだとかの、あの。
西條
あちらの構造主義のエッセンスは、
ひとつのパーツとして
体系の中に組み込まれていますが、
全体としては、まったく別のものです。
──
パーツ?
西條
ちょっと専門的になりますけど、
ソシュールの記号論や
池田清彦先生の構造主義科学論などが
構造構成主義には
組み込まれているということです。

その他にも、フッサールの現象学、
ロムバッハの構造存在論、
竹田青嗣先生の欲望論的現象学、
ソシュールを訳した丸山圭三郎先生‥‥など、
さまざまな原理を組み合わせて、
体系化しています。
──
今、わかりやすく説明していただいてますが
裏にはやはり、
ぼくらには難しそうな理論が、そんなにも。

ちなみにぼく、西條さんのお話を聞いていて
京極夏彦さんのことを思い出しました。
西條
ほう、どうしてですか?
──
たしか『絡新婦の理』だったと思うんですが、
そのなかで
「現代における科学」と
「中世における怪異」つまり妖怪の話とは
「役割が一緒だ」とあったんです。
西條
ああ、なるほど。
──
つまり、どちらも
「それを通じて世界を理解するツール」なんだと
京極さんが‥‥
つまり「憑き物落としの京極堂」が言っていて。
西條
うん、うん。
──
たとえば「雷が落ちる」という現象について
平安時代の人は
「大宰府に流された菅原道真さんが
 怒ってるぞ!」と理解する。

それに対して、現代の西洋文明では
科学的知見に照らして
「それは、気象現象の一種であり
 大きな音と光を出す放電現象である」
と理解する。
西條
そうですね。
──
つまり、怪異も科学も
「人々が
 それを通じて世の中を理解する眼鏡」
である点で、同じ役割を持つと。
西條
はい。
──
その話を覚えていたものですから、
考えかたの枠組みに優劣をつけるんじゃなく、
どっちも認め合い、
その状況に合った「方法」を見つけるという
構造構成主義に似てるなあと
浅い理解で、そう思ったんですが。
西條
うん、そういうところはあると思いますね。

そもそも、京極夏彦さんは、
現象学をきちんと理解されている方ですし。
──
あ、そうなんですか。
西條
何作目だったか忘れましたが、
ハイデガー存在論の再構築を唱えた哲学者、
木田元さんが解説を書いてるんですよ。
──
え、どの作品だろう‥‥。
西條
自分のお嫁さんを殺してしまう話です。
で、本人は自分で殺したと思ってないという。
──
あ、『陰摩羅鬼の瑕』ですかね。
西條
あれは「死とは何か」「人間存在とは何か」
についての認識がズレていたので
殺した本人に
殺したという認識がなかったという、
現象学的存在論の考えかたに基づいた物語なんです。
──
はー、そうだったんだ。
西條
京極夏彦さんが現象学的だなあと思うのは、
「この世に不思議なことなど
 ひとつもないのだよ」
という台詞がよく出てくるじゃないですか。
──
「この世に不思議なことなど
 ひとつもないのだよ、関口君」

‥‥主人公の京極堂のキメ台詞ですよね。
西條
そう。

あれ、どういう意味かっていうと
「現象」つまり「立ち現れ」で考えるなら、
たしかに、この世には
「不思議なことなどない」んです。
──
すみません、にわかには、意味が。
西條
たとえば、この部屋に
とつぜん、綺麗な女の人がバッと現れたら?

不思議ですか?
──
大いに不思議ですし、ビビリますよね実際。
西條
そうして不思議に思い、びっくりするのは
僕らの常識に反しているからです。

だけど
「綺麗な女の人が立ち現れた」ということを
思考の出発点とすれば
それは夢だろうが幻だろうが、
「立ち現れている」というそのこと自体は
「たしか」でしょう。
──
現に「いる」んだから?
西條
そう、実在するかは知らないけど。
──
目に見えてるし‥‥と?
西條
いま、目の前に「立ち現れている」のは、
常識に反しているとか、
不思議だとか、それ以前の問題なんです。

不思議だと思う人と思わない人、
前提となる
「常識」や「正しさ」のちがう人どうしが
対話をするためには
そこを出発点とするしかないんですよ。
──
はー‥‥。
西條
そんなふうにして原理的に降りていくと
「不思議なものは何ひとつない」
という表現は、考えかたとして成立するんです。
──
あのキメ台詞には、そんな深さが。
西條
僕の勝手な解釈ではありますが、
十中八九、京極夏彦さんは
現象学の理路を自覚的に使っておられるなと
思っています。
──
知らなかった‥‥。
西條
で、構造構成主義は
その「現象」(立ち現れ)を底板に置くことで、
すべての学問の基礎をつくろうとしていて。
──
え、そこにつながるんですか?
西條
そう、たとえば‥‥何でもいいんですが、
現代人と平安貴族がどこかで出会い、
「科学が正しい」「いや、怪異が正しい」と
異なる前提に依拠している限り、
ふたりの間に積み上げられていく議論は、
絶対に交わりませんよね。
──
現代人と平安貴族のつばぜり合い‥‥たしかに。
西條
でも、構造構成主義という考えかたは
認識論的に
異なる前提に依拠する現代人と平安貴族の間にも
対話や議論を成立させようと試みます。
──
おもしろいです。
西條
ぼくは実際、支援活動でも使ってましたよ。
──
それは、どのように?
西條
震災の現場で対立が起きたときには
「ああ、あの人の前に立ち現れている現象と、
 ぼくの前に立ち現れている現象は、
 きっと、ちがうんだろうな」と思うんです。
──
いったん自分の価値観を相対化する。
西條
その上で、彼にはどういう現象が立ち現れて、
どういう経験から、
そう考えるようになったのかという問を立て、
順序立てて質問をしていくんです。

すると、かならず、
その人なりの「理由」が見つかるんですよ。
──
先ほど話に出た「その人固有の物語」ですね。
西條
そう、繰り返しになってしまいますが
信念対立を解消するためには、
「その人固有の物語」を理解し合うことが
非常に重要なことなので。
<つづきます>
2014-10-08-WED