- ──
- これまでのお話で、真理を絶対視しないとか
お互いに認め合うみたいな態度からすると
構造構成主義って
どちらかというと
「相対主義」的なんだろうなと感じたのですが、
その点は、どう考えていますか?
ようするに
「どっちもいいよね」で終わらないために、というか
構造構成主義と「絶対主義」との関係性、というか。
- 西條
- 前提として、ある「特定の正しさ」の上に
成立している考えかた、つまり「絶対主義」って
「ちがう正しさ」の上に成立する考え方と
対立してしまうという意味で、限界があります。
たとえば「科学主義」というのは
「科学は絶対に正しい」という学問的態度です。
- ──
- ええ。
- 西條
- 近代には「科学万能」の時代がありました。
でも現代では、公害やら放射能の問題やら
いろいろ出てきて、
そういう考えかたも、だいぶ相対化された。
- ──
- はい。
- 西條
- 絶対性を主張するような
モダニズムの考え方が流行し終わったあと、
反対側にふれたからです。
大雑把に言えば
それが「ポストモダン」だったわけですが。
- ──
- ようするに、相対主義的な考えかたが
勢いよくなってきた、と。
- 西條
- 相対主義の登場というのは
ある枠組みが絶対だと思っていた人たちを
びっくりさせる効果がありました。
「世の中、
絶対的なものが正しいと思っていたけど、
そんなことないのか‥‥」と。
- ──
- でも、そんな「相対主義」を突き詰めていくと
「すべてを相対化する」という
姿を変えた「絶対主義」になっちゃいますよね。
- 西條
- そう。
ですからぼくは
「相対化したあとに何が残るんだろう」
というところを
出発点にしなきゃならないと思っています。
- ──
- なるほど。
- 西條
- 相対化しただけでは、解決法は得られないから。
- ──
- たしかに。ぼくも西條先生も、
西洋的な価値観が絶対だとは思っていない
世代だとは思うんですが、
それでも、
発展途上国の文化のほうが優れているんだと
無条件に持ち上げる考えかたは
なんだか、ちょっとちがうような気がして。
- 西條
- わかります。
安易に「価値を倒錯させる」という方法には、
僕も、直観的に違和感があります。
やはり、模索されるべきなのは
そう主張することで
「あとに何が残るんだろう」と考えること。
「それは
本質的な解決をもたらしているだろうか」
と問い質すことではないかなと思います。
- ──
- 指針として「あとに何が残るか」を考えるって
いま、かなり納得しました。
どっちもいいじゃんといって終わり‥‥じゃあ
対立や問題は解決しないですもんね。
- 西條
- 医療の現場なんかは、典型的ですよね。
近代の絶対主義的な考えでは
お医者が偉いんだから
患者は、唯々諾々と従うしかなかった。
でも今は、セカンドオピニオンなどの
考えかたも普及して、
患者の言い分も認められるようになりました。
- ──
- つまり医者の権威の相対化、ですね。
- 西條
- しかし、医者の権威を完全に相対化して
「患者至上主義」になったら、
さっきと同じで、それは別の絶対主義です。
そして、専門知識を持っている医者と
持っていない患者とが
「病を治す」という「目的」に対して
対等に振る舞うことが
本当に最善の「方法」なのだろうか‥‥
とうことも、考えなければならないでしょう。
- ──
- つまり、構造構成主義は
絶対主義でもなく、相対主義でもない?
- 西條
- 構造構成主義は、その間を通そうとしている。
絶対的な正しさ、みたいな存在に依拠せず、
多様性を前提としながらも
悪しき相対主義の「何でもあり」にならずに、
前に進むためにはどうしたらいいか。
- ──
- なるほど。
- 西條
- その、か細い隙間で理論を紡いでいったのが
構造構成主義なのかな、と。
- ──
- 今の話って、現代思想の根本問題ですよね?
- 西條
- そう、根本問題ということはつまり、
どこの分野でも同じような問題が起きている。
それらの問題を解決する理路を提供できたから
構造構成主義は
さまざまな分野の研究者に道具として用いられ
これまでに
200以上の論文や著書が生み出されて‥‥。
- ──
- うわ、そんなに。
- 西條
- いえ、まだまだぜんぜん足りてないです。
さらに大きな道を拓けるよう、
もっともっと、磨き込んでいきたいです。
- ──
- そう思われますか。
- 西條
- 構造主義は「前へ進むための学問」なので。
- ──
- 西條さんにぴったりの表現だと思いました。
前へ進むための学問、というのは。
- 西條
- そうしないと、何も解決しませんから。
<つづきます>
2014-10-09-THU