ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。 気仙沼 ヤマヨ水産 篇
気仙沼からフェリーに乗っていく離島・大島で 牡蠣の養殖業を営んできた ヤマヨ水産の若き四代目・小松武さん。 東日本大震災で被災し、 事業の再開には大きな資金が必要となりました。 震災後1年間、再開すべきか考え抜いた末、 「やはり、牡蠣の仕事がしたい」と立ち上がりました。 同時に「復興・オーナー制度」をスタート。 この制度が口コミで広がり、 すでに多くの人が賛同し出資していると聞いたので くわしいお話を、うかがってきました。 再開に際しては、資金や資材はもちろんですが 「気持ち」の部分が大きかったこと。 「お客様と直接つながる」というオーナー制度の趣旨。 オススメに牡蠣の食しかた(ゴクリ)‥‥など。 いろいろ、おもしろかったです。是非お読みください。
第1回 やっぱり、この仕事をやりたい。
小松 これ、よろしければ‥‥。
── わー、牡蠣! いただきます!
小松 どうぞどうぞ(笑)。
── ‥‥おおー、すごくツルッとしています。
そして、たいへん甘くて、おいしいです。
小松 そうでしょう?

手前味噌になりますけど
このへんの海は、本当によい牡蠣が育つんです。
甘みが濃縮されるんですよね。
── 海の香りが、すごいします。
小松 身の大きな牡蠣はボランティアのかたに
差し上げちゃったので
小さな残りもので申しわけないんですが。
── いえいえ、充分ごちそうです。
小松 牡蠣養殖を再開してから1年が経ちますが、
よくここまで
大きくなってくれたなあって、思ってます。

でも、これでも、まだまだ小ぶりなんです。
── 今日は、ヤマヨ水産さんがはじめられた
「復興・オーナー制度」
について、
おうかがいしようと思って、来ました。
小松 ありがとうございます。
── この制度へ出資した人は「オーナー」として
ヤマヨさんが復興を果たしたとき、
いちはやく牡蠣を届けてもらえるんですよね。
小松 はい。

資金面で牡蠣養殖復興のご支援をいただくこと、
そして、顔の見える関係の中で
私どもの牡蠣を提供させていただくこと、
それが、制度の趣旨です。
── なるほど、なるほど(‥‥と食べながら聞く)。
小松 厳密には「オーナー」と言ったら
生産者のことですから
本当は「ファンクラブ」というイメージのほうが
近いかもしれないんですが。
── ヤマヨ水産さんの牡蠣に「一票」入れるみたいに、
数年後の牡蠣の販売にあたって
前金でお支払いする、というような感じですよね。
小松 はい。

数年後、牡蠣が収穫できたときには
「殻つきで20個」をお送りいたしますので
その支払いを
前金で頂けませんか‥‥という仕組みです。
── 来る前にホームページを見てきたんですが、
ひと口「1万円」から。
小松 ええ。

3割くらいが経費で、残り7割の部分で
漁具の購入や
養殖施設の再建に充てさせていただこうと。
── ひとつ、うかがいたかったのが
先ほどもちょっとおっしゃってましたけど
「出荷は2〜3年先」なんですよね。
小松 そのあたりの出荷を目指して、
昨年から、この制度をスタートしています。
── 先日、アニメ映画に関わっているかたと
お話していたとき、
「5年後の公開に向けて
 週明けからミーティングがはじまる」
と、おっしゃっていたんです。
小松 ええ、ええ。
── そのとき、アニメ映画の仕事って
「そういうスパン」でやってるんだなあ、
すごいなあと思ったんです。

それだけ遠いと、着地点が「針の先」みたいに
見えるんじゃないかって、
僕なんかには、思えてしまって。
小松 なるほど。
── その点、小松さんは、いかがですか?
小松 ひとつ、現実的な話をすると、
震災前に工場のあった場所は地盤が下がっていて、
行政は「3年後までに嵩上げをする」と
言っていたんですね。
── つまり、放っておいたら「3年後」までは
仕事をはじめられない。
小松 私ども、そんなには待っていられないです。

ですから、母屋のある場所を拠点に
牡蠣の仕事を再開することにしたんです。
── ええ、ええ。
小松 震災後、牡蠣の仕事を再開するかどうかを
1年間、決めあぐねていました。

そして、再開すると決めたのが1年前です。

その時点から「2〜3年後に出荷する」と
お約束したので、できることなら
次の冬には出荷できるようにしたいんです。
── はい。
小松 だから今は、一日一日が、すごく具体的です。
もう、あまり時間がないとも言えますから。
── なるほど。

それでは、再開しようと決めるまで、
つまり「復興・オーナー制度」をはじめるまでは
どのような思いだったんでしょう。
小松 なぜ、決断までに1年かかったかというと、
家はもちろん、
船や工場までなくなってしまったんですね。
── はい。
小松 冷静に「自力での再建」を考えたら
1億円から
1億数千万円が必要になるとわかりました。
── それは‥‥躊躇しますね。
小松 牡蠣やホタテというのは
ひと粒の利益が「30円」とか「50円」なんです。

いかに私がまだ30代だとはいえ
利益が数十円単位のものをコツコツ売って
億の借金を返していくことが
本当にできるんだろうか‥‥と悩みました。
── なるほど‥‥。
小松 また、ごぞんじのとおり、
震災直後には、
まだまだ放射性物質の問題が不透明でした。

そこがクリアにならない限り
再開を決断することはできなかったんです。
── 自然が相手の仕事ですものね。
小松 そういう状態で、
何億という大きな借金を返していけるのか、
再開しても、続けていける環境にあるのか。

その判断を下すまでに
1年かかってしまったということです。
── 再開の決め手になったのは?
小松 いろいろありますが、
まずは、どうやら放射性物質については
問題なさそうだとわかったこと。

そこで、2011年の11月くらいには
再開するしないはさておき、
ボランティアのかたがたの力をお借りして
イカダを組みはじめました。
── 養殖用の。
小松 広島県からも
養殖用イカダの資材を支援していただいたり。
── 同業のかたからの支援って、
すごく心強いんだろうなって、思います。
小松 それはもう、本当に。

あと、大きかったのは、
津波で流されて、
なくなったと思っていたうちの船が
見つかったこと。

気仙沼市内の、
ある水産加工会社さんの屋根の上に
乗っかっていたんですよ。
── 船が、屋根の上に。
小松 結局、海に戻せたのは
震災の年の9月くらいだったんですけど、
あれがなかったら、
再開は諦めていたかもしれません。
── それほどまでに、大きなことでしたか。
小松 だって、船の値段だけで
4000万から5000万円はしますから。
── そうやって
ひとつひとつの条件がそろっていって、
再開を決意できたんですね。
小松 当時は、本当にできるのかなぁって
半信半疑のまま、準備を進めていましたね。
── 気持ちだけではどうにもならないことって
たくさん、ありますもんね。
小松 でも、やっぱり最後は「気持ち」でした。
── ああ‥‥。
小松 お金のこと、資材のこと、行政のこと‥‥
再開のための条件もいろいろあったんですが
やっぱり最後は
「この仕事をしたい、牡蠣をやりたい」って
自分自身、思ったことがすべてです。

その気持ちがなかったら
たぶん、牡蠣は、もう諦めていたと思います。
── 他の条件が、どんなにそろっていても。
小松 はい。

<つづきます>
2013-07-30-TUE
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復興後に「殻つきの牡蠣を20個」 「復興・オーナー制度」とは

被災してから1年間、
昭和初期より四代続いた牡蠣の養殖業を
再開できるか考えぬいた末、
四代目の小松武さんは
「復興・オーナー制度」とともに
立ち上がろうと決めました。
これは
一口1万円からのお金を事前に支払うと
「ヤマヨ水産が
 牡蠣の出荷を再開できるようになった時点で
 一口につき
 殻つきの牡蠣を20個を送ってもらえる」
というシステムです。
流されてしまった養殖施設・作業工場など
事業再開にあたって必要な設備を
その「前金」で工面するという意味の他に、
生産者と消費者が
「業務再開まで、互いに顔の見える関係」で
繋がることができる‥‥という部分に
大きな意味があると小松さんは言います。
口コミだけで
すで1000口以上の申し込みがあるそうです。
詳しくは、ヤマヨ水産のホームページで。
リスクについての説明も
真摯に、わかりやすく書かれていました。

 
第1回 やっぱり、この仕事をやりたい。 2013-07-30-TUE
第2回 お客さんと、つながる。 2013-07-31-WED
第3回 おいしく、食べてほしい。 2013-08-01-THU
 
 
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