小松 |
これ、よろしければ‥‥。
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── |
わー、牡蠣! いただきます!
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小松 |
どうぞどうぞ(笑)。
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── |
‥‥おおー、すごくツルッとしています。
そして、たいへん甘くて、おいしいです。
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小松 |
そうでしょう?
手前味噌になりますけど
このへんの海は、本当によい牡蠣が育つんです。
甘みが濃縮されるんですよね。
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── |
海の香りが、すごいします。
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小松 |
身の大きな牡蠣はボランティアのかたに
差し上げちゃったので
小さな残りもので申しわけないんですが。
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── |
いえいえ、充分ごちそうです。
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小松 |
牡蠣養殖を再開してから1年が経ちますが、
よくここまで
大きくなってくれたなあって、思ってます。
でも、これでも、まだまだ小ぶりなんです。
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── |
今日は、ヤマヨ水産さんがはじめられた
「復興・オーナー制度」
について、
おうかがいしようと思って、来ました。
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小松 |
ありがとうございます。
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── |
この制度へ出資した人は「オーナー」として
ヤマヨさんが復興を果たしたとき、
いちはやく牡蠣を届けてもらえるんですよね。
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小松 |
はい。
資金面で牡蠣養殖復興のご支援をいただくこと、
そして、顔の見える関係の中で
私どもの牡蠣を提供させていただくこと、
それが、制度の趣旨です。
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── |
なるほど、なるほど(‥‥と食べながら聞く)。
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小松 |
厳密には「オーナー」と言ったら
生産者のことですから
本当は「ファンクラブ」というイメージのほうが
近いかもしれないんですが。
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── |
ヤマヨ水産さんの牡蠣に「一票」入れるみたいに、
数年後の牡蠣の販売にあたって
前金でお支払いする、というような感じですよね。
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小松 |
はい。
数年後、牡蠣が収穫できたときには
「殻つきで20個」をお送りいたしますので
その支払いを
前金で頂けませんか‥‥という仕組みです。
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── |
来る前にホームページを見てきたんですが、
ひと口「1万円」から。
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小松 |
ええ。
3割くらいが経費で、残り7割の部分で
漁具の購入や
養殖施設の再建に充てさせていただこうと。
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── |
ひとつ、うかがいたかったのが
先ほどもちょっとおっしゃってましたけど
「出荷は2〜3年先」なんですよね。
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小松 |
そのあたりの出荷を目指して、
昨年から、この制度をスタートしています。
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── |
先日、アニメ映画に関わっているかたと
お話していたとき、
「5年後の公開に向けて
週明けからミーティングがはじまる」
と、おっしゃっていたんです。
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小松 |
ええ、ええ。
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── |
そのとき、アニメ映画の仕事って
「そういうスパン」でやってるんだなあ、
すごいなあと思ったんです。
それだけ遠いと、着地点が「針の先」みたいに
見えるんじゃないかって、
僕なんかには、思えてしまって。
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小松 |
なるほど。
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── |
その点、小松さんは、いかがですか?
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小松 |
ひとつ、現実的な話をすると、
震災前に工場のあった場所は地盤が下がっていて、
行政は「3年後までに嵩上げをする」と
言っていたんですね。
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── |
つまり、放っておいたら「3年後」までは
仕事をはじめられない。
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小松 |
私ども、そんなには待っていられないです。
ですから、母屋のある場所を拠点に
牡蠣の仕事を再開することにしたんです。
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── |
ええ、ええ。
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小松 |
震災後、牡蠣の仕事を再開するかどうかを
1年間、決めあぐねていました。
そして、再開すると決めたのが1年前です。
その時点から「2〜3年後に出荷する」と
お約束したので、できることなら
次の冬には出荷できるようにしたいんです。
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── |
はい。
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小松 |
だから今は、一日一日が、すごく具体的です。
もう、あまり時間がないとも言えますから。
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── |
なるほど。
それでは、再開しようと決めるまで、
つまり「復興・オーナー制度」をはじめるまでは
どのような思いだったんでしょう。
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小松 |
なぜ、決断までに1年かかったかというと、
家はもちろん、
船や工場までなくなってしまったんですね。
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── |
はい。
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小松 |
冷静に「自力での再建」を考えたら
1億円から
1億数千万円が必要になるとわかりました。
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── |
それは‥‥躊躇しますね。
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小松 |
牡蠣やホタテというのは
ひと粒の利益が「30円」とか「50円」なんです。
いかに私がまだ30代だとはいえ
利益が数十円単位のものをコツコツ売って
億の借金を返していくことが
本当にできるんだろうか‥‥と悩みました。
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── |
なるほど‥‥。
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小松 |
また、ごぞんじのとおり、
震災直後には、
まだまだ放射性物質の問題が不透明でした。
そこがクリアにならない限り
再開を決断することはできなかったんです。
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── |
自然が相手の仕事ですものね。
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小松 |
そういう状態で、
何億という大きな借金を返していけるのか、
再開しても、続けていける環境にあるのか。
その判断を下すまでに
1年かかってしまったということです。
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── |
再開の決め手になったのは?
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小松 |
いろいろありますが、
まずは、どうやら放射性物質については
問題なさそうだとわかったこと。
そこで、2011年の11月くらいには
再開するしないはさておき、
ボランティアのかたがたの力をお借りして
イカダを組みはじめました。
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── |
養殖用の。
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小松 |
広島県からも
養殖用イカダの資材を支援していただいたり。
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── |
同業のかたからの支援って、
すごく心強いんだろうなって、思います。
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小松 |
それはもう、本当に。
あと、大きかったのは、
津波で流されて、
なくなったと思っていたうちの船が
見つかったこと。
気仙沼市内の、
ある水産加工会社さんの屋根の上に
乗っかっていたんですよ。
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── |
船が、屋根の上に。
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小松 |
結局、海に戻せたのは
震災の年の9月くらいだったんですけど、
あれがなかったら、
再開は諦めていたかもしれません。
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── |
それほどまでに、大きなことでしたか。
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小松 |
だって、船の値段だけで
4000万から5000万円はしますから。
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── |
そうやって
ひとつひとつの条件がそろっていって、
再開を決意できたんですね。
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小松 |
当時は、本当にできるのかなぁって
半信半疑のまま、準備を進めていましたね。
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── |
気持ちだけではどうにもならないことって
たくさん、ありますもんね。
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小松 |
でも、やっぱり最後は「気持ち」でした。
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── |
ああ‥‥。
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小松 |
お金のこと、資材のこと、行政のこと‥‥
再開のための条件もいろいろあったんですが
やっぱり最後は
「この仕事をしたい、牡蠣をやりたい」って
自分自身、思ったことがすべてです。
その気持ちがなかったら
たぶん、牡蠣は、もう諦めていたと思います。
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── |
他の条件が、どんなにそろっていても。
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小松 |
はい。
<つづきます> |