糸井 |
この鶏郎一座は、でかかったねぇー。 |
大瀧 |
劇場とか全国巡業とか
いうようなことが多い、
なんていうことは、誰も‥‥ |
糸井 |
知らない。知らない! |
大瀧 |
見た人が、ほとんど、もう、いない。
東京で見た人がいたとしても、
地方巡業をあれだけ廻って歩いたのを
知っている人はいないんじゃないかな。 |
糸井 |
だって、単純に、鶏郎さん自身が
たくさん歌を歌っていたということも
知らなかった、俺。
そういう人じゃないと思っていた。 |
大瀧 |
うん。思っているよね。
だいたい、三木のり平の師匠だって
いうようなことだって。
名付け親だってこととか。 |
糸井 |
え? 鶏郎さんはのり平さんの名付け親なの? |
夫人 |
そうなんです。 |
竹松 |
三木の名前は、
三木鶏郎の三木だそうです。 |
大瀧 |
田沼則子(タダシ)だから、
その則の字をとって「のり」。 |
竹松 |
さっき糸井さんがおっしゃった
逗子とんぼさんも、
鶏郎先生の命名ですよ。 |
糸井 |
逗子の生まれなんですか。 |
竹松 |
バスで旅行中に、
このバスはどこに行くのかと聞いて、
逗子だから、「じゃ、逗子」と。
そして、身体がヒョロヒョロしているから
「とんぼちゃん」と。 |
大瀧 |
たけし軍団の命名と、
ほとんど同じだね。 |
糸井 |
そういうことだね。 |
竹松 |
左とん平さんも、そうなんですよ。 |
糸井 |
俺、子供のときに、
千葉信男が出ただけで、笑ってたんです。
ただ、デブなんです。デブが、
「待ってくれ‥‥お、お‥‥」と言うだけで、
みんな「ワーッ!」と笑う。
要するに、今でも、「フォ〜!」で笑う、
みたいなものですよね。 |
大瀧 |
ほんとは岸井明を使いたかったんですよ。 |
糸井 |
岸井明!‥‥猪八戒とか演った。 |
大瀧 |
うん。使いたかったんだけど、
ビッグネームだから頻繁には
使えなかったんでしょう。
で、いいところに千葉信男が
出てきたわけですよ。 |
糸井 |
そうか!
坊屋三郎だとか榎本健一みたいな人は、
もう、一家の主でしょ? |
大瀧 |
もう、すでに。 |
糸井 |
その人たちとも、鶏郎さんは
コラボレーションしているわけですよね。 |
夫人 |
エノケンさんとは、すごくやってましたね。 |
糸井 |
もうすでに大物同士に
なっているわけですよね。時代で言うと。 |
夫人 |
そうですね。 |
糸井 |
育てたというよりは、
エノケンはすっかり上になっちゃってる。 |
大瀧 |
戦後だから、エノケン、ロッパは、
もうとっくに出来上がっている。 |
夫人 |
エノケンさんのほうが、10も年上なんです。
でも、どういうわけか、向こうが
「先生、先生」と言って。 |
竹松 |
映画の音楽を書いてくれと。 |
糸井 |
芸人さんは、「先生」とかって言うのが
うまいからなぁ。 |
竹松 |
ウフフフ‥‥ |
大森 |
「無茶坊弁慶」は先生の脚本。 |
糸井 |
そうですね。 |
竹松 |
1954年ぐらいに、映画を撮るといって。
で、ちょうど鶏郎先生が「ユーモア劇場」で
すったもんだしているときで、
「忙しいから書けない」と
最初は断ったんだけど、
エノケンさんが自分でいらして、
「足が悪いのに来てるんだから、
書いてちょうだい」って(笑)。 |
大瀧 |
このあいだ、鶏郎さんが
最初に出た映画を見たよ、
シミキン(清水金一)、ロッパの。
映画に出て来るんだよ。
あれが初出演だったんだってね。 |
竹松 |
ええ。そうですね。 |
大瀧 |
知らなかったよ。 |
糸井 |
なんで見たの?(笑) |
大瀧 |
うっかり見てたのよ。 |
一同 |
アハハハハハ! |
糸井 |
見たのがおかしいよ。 |
大瀧 |
いろんなところに出て来るんだよ、突然。
汽車が出てくると、
「僕は特急の〜」のメロディーが
流れたりすることも多いしね。
そういう、音楽をやっているケースもあるし。
随分やってますよ。 |
糸井 |
やっぱり、みんなの文化遺産、みたいに
ギャグだとかフレーズみたいなものが
使われていったというのがあるよね。
だから、「使っちゃいますよ」みたいな
感じで、勝手に使ってますよね。 |
大瀧 |
そうだね。とにかく、ちょっと来て
ちょっといなくなって、
という人の数を入れたら、全員だよね、
そういう意味ではね。
森繁さんもそうだけど、
関わったという意味では、
有島さんだとか‥‥ |
糸井 |
有島一郎。 |
大森 |
うん。「トリローサンドイッチ」ね。 |
大瀧 |
ええ。だから、のり平みたいに
完璧な弟子以外に、いろんな方が
客演という形でいっぱい出ましたよね。 |
夫人 |
弟子‥‥というのは取らないんですね。
で、「僕のものを盗むものは取っていけ」と。
そういう関係で、弟子とかいう
組織だったものは嫌いでね。
弟子だと言っている人は、
自分で勝手に弟子と‥‥ |
大瀧 |
言ってるわけですね。
フランキー堺なんかにしても、
ちょっと来ていなくなって‥‥ね。 |
大森 |
フランキー堺さんて、
なにか関係ありました? |
夫人 |
ええ。フランキーさんとは
よく仕事をしました。 |
大瀧 |
よく出てましたよね。
フランキーが「シティ・スリッカーズ」で
植木等さんや谷啓さんと
バンドをやってた頃に、
三木鶏郎さんが聞いたんですよね。
「いくらもらってるの? ギャラ」。
聞いたら、鶏郎さんよりも3倍か4倍、
多かったって。 |
竹松 |
ええ、ええ。「これは使えない」って。
「うまかったので、スカウトしようと
したんだけど‥‥」という話でしたよね。 |
大瀧 |
そう、そう。あの時、
自分がバンドリーダーで、
自分だけ映画に出たりして、
がっぽり入ってるんだよ。
その格差がバンドの解散の原因で。
‥‥トニー谷も出てたよね。 |
竹松 |
ええ、そうですね。トニー谷さんも。 |
夫人 |
あれは、仕事です。仕事関係で。
うちにはいらっしゃらなくて。
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