といっても、修了して
いきなり自営で食べていくのはたいへんなことです。
名をあげ、一人前になるまでに、
10年くらいはかかるものなのだそうです。
以前は「弟子入り」の徒弟制度がありましたが、
最近はめっきり減ってしまったのだそう。
そのこともあって、このセンターは
少数精鋭で、きっちり技術を教えるということでした。
生徒の半分は、県外から。
「ほんとうに竹を学びたい」という人があつまります。
男女比はだいたい半々。
平均年齢は、30歳ぐらいだそうです。
芸術系の大学を出てからここに来た人、
陶芸をやっていた人、
会社勤めをしていた人、
なにげなく行った工芸教室で「はまって」しまった人。
いろいろな人がいます。
全国唯一ということで、入校の倍率も高いそうです。
「こういう方々の中から、
『自分が作りたいもの』をつくる人が
出てくるといいなぁと思います」と伊藤さん。
いっぽうで、竹の材料をつくる人も高齢化。
先々のことを考えて、
2年生は、竹を切るところから
学べるカリキュラムになっています。
ちょうどこの時、2年生の教室では、
「八つ目」という編み方を利用したバスケットを、
各自のデザインで作る、という段階でした。
ちなみに、設計図はありませんが、
最初に紙を使ってモデリングをするそうです。
そしてこちらは1年生の教室です。
制服の色がちがうんですね。
訓練校のなかには、ここが産業工芸試験所だった時代の
試作品も。そこにあわせて別府在住の
若手の竹工芸作家さんたちの作品も展示されていました。
さらに、構内には、「貸し工房」が。
1年間だけ、3人、修了生がここをアトリエとして
使うことができるのだそうです。
長い竹を使ったオブジェをつくる作家さん。
こちらは照明器具をつくる作家さん。
「みんな、がんばっているんですよ」と、
センターのみなさん、とてもうれしそうでした。
「『いいなぁ』と思う竹細工を編む作家さんに、
『どこで修行されたのですか?』と質問をすると
たいていの方がここ別府の訓練センターで、
とおっしゃるのです。
『訓練校時代はそれこそ竹、竹、竹。
竹のことしか考えない毎日だった』
そんな風に語る作家さんもいて、
いつか訪れてみたいな、そう思っていました。
先生の話に耳を傾け、
真剣なまなざしで見入る1年生。
基礎を学び、これからの方向性を考えながら
自分の作品づくりをする2年生。
卒業し、新しいスタートを切ったばかりの作家さん。
みなそれぞれ『竹を編む』というひとつのことに
それは真剣に向き合っていたのが印象的。
いつか別府の街で、
いいえ日本中で
彼らの作品を目にする日が訪れることでしょう」
(伊藤さん)
根曲がり竹や、
篠竹(信州ではみすず竹とも呼ばれます)などの竹は、
おもに寒さの厳しい土地で育つため、とても丈夫で強靭。
姿は細く、その竹で作られた細工は、
質実剛健なイメージです。
一方、真竹を使った細工は端正な印象。
お茶の道具はもちろんのこと、
ざるやかごなど暮しの道具までもが
すらりとしたイメージを持つ理由は素材にあるのだ、
ということに気づいたのは
真竹の編み方を習い始めてからのことでした。
「青竹を加工したものを白竹と呼ぶんです」
そう教えてくださったのは、
安曇野に工房をかまえる作家の吉田佳道さんです。
吉田さんも別府の職業訓練校の卒業生。
吉田さんから学校で勉強していた頃のことや、
製竹所など竹についてのいろいろな話しをうかがううちに、
「青竹から白竹に変わって行く様子を目で確かめたい」
そう思うようになりました。
今回の別府の旅では、
まさに「竹、竹、竹」の毎日でした。
取材をさせていただいた
作家の坂田旬さん、永井製竹所、
竹工芸・訓練センターはもちろん、
竹細工伝統産業会館や街中のギャラリーや店‥‥
あらゆるところで竹細工を見ることができました。
作家さんや竹細工に携わる方はもちろん、
みなさんが、
真竹で編まれたものを
それこそ「空気のように」
暮しの中に取り入れている様子も
垣間みられました。
九州で採れた竹を加工し、編み、売り、
そしてそこに暮す人々が使う。
それはとてもよい循環。
その循環を閉ざさないためにも、
ささやかながら、竹細工をせっせと使い、
毎日の暮しに役立てようと思ったのでした。
伊藤まさこ
2015-02-28-SAT
写真:有賀傑 |
||