HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
 
お直しとか
 
横尾香央留
 
 第22回 《 これおちましたよ 》

ぐるぐる巻いたマフラーで 口は完全に覆われている。
ほとんど聞こえはしないだろうけれど
一応 声に出していってみる。
図書館を出たスロープの 先を歩くおじさんの
脇から落ちた手袋を拾い上げ ちょっとためらいながら
2、3歩駆け寄り ぽんぽんと
ダウンコートの表面を撫でるように2回叩いた。
『おぉー ありがとう。ありがとうござます。』
おじさんはしっかりとこちらの顔を見て
はっきりした口調でそういった。

ふんっふんっふふーんっ
信号を待ちながら思わずハナウタがでる。
たったこれっぽっちのことをしただけで
なんだかものすごくいい人になったような気がする。
まるで小学生が小銭を交番に届けた時のような気分。

ふだん 人に声をかけるのが苦手だ。
声をかけられるのも苦手。
道でつまづいた人に 大丈夫ですか?と
駆け寄るやさしい人を 時々見かけるが
あたしはつまづいた時
『大丈夫です 大丈夫です』と
ぶつぶつ つぶやきながら体勢を立て直す。
“声をかけてくださらなくても大丈夫です”
という咄嗟の行動。
誰が声をかけるといった? 
実際 誰からも声をかけられることはない。
自意識過剰なのだ。

その昔 通学電車で具合が悪くなり
“これはもう学校になんて行けっこない”と
下り電車に乗り換えるため 新宿駅の階段を
息も絶え絶えのぼりきったところで 気持ち悪さも限界
這うように隅っこに移動し 座り込む。
“だれか…だれか…” 声は出ない。
そのときタイミングよく 駅員さんが3人近づいてくる。
“助けて…” 必死で視線を送り1人がこちらに気がつく。
“助かった…”そう思ったが にっこりほほ笑み 通り過ぎる。
残念ながら地べたに座り込む若者にしか見えなかったようだ。

そうだあのとき 押しては寄せる人波を眺めながら
薄れ行く意識のなか
人にやさしくしようと誓ったではないか。
気さくに声をかけられる
スマートにやさしい人にあたしはなりたい。

クボさんの手袋には小さな穴がいくつか空いていた。
それを直すのにほかのモチーフは使いたくなかったから
もともとの花をそのまま成長させて 穴をふさいだ。
去年 個展で展示させてもらうために借りたきり
クボさんの手袋はこの冬ずっと あたしの手元にあった。
クボさん、クボさんは手袋を無くしてなどいません。
落としてもいません。あたしが犯人です。ごめんなさい。

 
 
2012-03-19-MON
 
 
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写真:ホンマタカシ
デザイン:中村至男