HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
 
お直しとか
 
横尾香央留
 
 第44回 《 挫折 》

呼び鈴を押し 大きな門を押しあけるとすぐに
おじいちゃんの石碑みたいなものが建っていた。
広い玄関で ちょこんと靴をぬぎ
おいしょと一段あがってすぐ右の
お庭が良くみえる部屋では
おばあちゃんがピアノ教室を開いていた。
ときどき その部屋の
革張りのソファーに深く腰掛けて
おばあちゃんの持ってきてくれた
紅茶と焼きたてのクッキーをいただきながら
ゆっちゃんのピアノの練習を聴いた。

キッチンもリビングもあたしの知っている
どの家よりも ゆっちゃんの家は広かった。
トイレなんか心細い気持ちになるくらい。

ゆっちゃんとは幼稚園も小学校も仲良しで
バレエも一緒に始めたけれど
トウシューズを履く頃には どんどん引き離され
ふたりの間に大きな差がついていることは
小学生のあたしでもよくわかっていた。
ゆっちゃんは大きな家に住んでいて
ピアノも弾けて バレエも上手
全然かなわないと思った。

うちは絨毯ばりのマンションだから
ゆっちゃんみたいにフローリングの廊下で
バーレッスンも出来ないし
下の家に響くからジャンプの練習も出来ない。
差がつくのはしょうがない。
その頃のあたしは自分の才能のなさを
受け入れることから逃げていた。

でも知っていた ゆっちゃんは
あたしなんかよりずっと バレエが好きだった。
だから毎日のストレッチやバーレッスンを
欠かさなかった。努力を惜しまなかった。
中学生になり 引っ越しをし あたしはバレエをやめた。
ゆっちゃんはその後どんな道を歩んでいるのだろう。

むかしの面影もない たるっとした足をみながら
ひさしぶりにバレエを再開してみようかと考えている。

 


*子供用のTシャツ。
 シミの付いた場所にぐるぐるとペロペロキャンディーのような刺繍。
 広いキッチンでゆっちゃんと作ったクッキーには
 アメを流し込んだステンドグラスみたいなものもあった。
 そうか ゆっちゃんはお菓子も上手に作れたんだ。

 
 
 
2012-08-20-MON
 
 
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写真:ホンマタカシ
デザイン:中村至男