横尾忠則さんは過去の糸井重里との対談で、
「生活と芸術は切り離して考える」と
発言なさっていました。
芸術の達成を、人格や人生の達成とするのは、
勘違いである、と。
では「美術家・横尾忠則」の生活とはなんなのか?
糸井重里とのおしゃべりのなかに、
そのヒントが見えるかもしれません。
過去のふたりの打ち合わせと対話の音声を
いま掘り起こし、探っていきたいと思います。
▶︎横尾忠則さんプロフィール
- 横尾
- いま描いている、この絵のことですけどもね。
- いずれはこの顔を
「チョンチョンと点で描いたほうがいいんだろうな」
ということに、いま気がついたとしましょう。
でもそれは、いまやってもダメなんですよ。
そのチョンチョンをいまやっても、
応えられないんです。
「まだいまはちょっと耐えられない」という気持ちが
あったりするんです。
チョンチョンとやっても平気でおれる状態に、
まだ自分が至っていないときは、
わかっていてもその前段階で
モタモタしなきゃいけないことがあるわけ。
「こうしてこうなったらこういう絵ができる、
おもしろいな」
とわかっていても、
一足飛びにそこへは行けない。
行ったとしても、その1枚の絵だけができるだけで、
何か違うような気ぃするのよね。
- 糸井
- 何かの極意があるとして、
その極意を誰かがマニュアルに書いたとしたら、
誰だってマニュアルを先に読んじゃいます。
だけど、そのままはできないですね。
- 横尾
- そんなに簡単なことじゃないよね。
書いてあるとおりやれば
おもしろくなるのかもしれないけれども、
つまんないということをわかりながら、
それをやることも、また必要なんだよ。
- 糸井
- 捨てるために覚えるのかもしれない。
- 横尾
- そうそう。
その次の段階に行くためには、
それまでのことを変えて、捨ててしまうこともある。
みんなに叩かれるか笑われるかわかんないけども、
それをしないとしょうがない。
そういうことを隠してる人もいるけどね、
さらして恥をかいていかないとダメだと思う。
- 糸井
- ははぁ、そうですね。
- 横尾
- 若いときは恥をかきたくないという気持ちが
特にあるじゃないですか。
- 糸井
- でも歳を取ると、
恥のかきかたが上手になりますね。
- 横尾
- そうね、歳取って、
体もガタガタしてくると、どうでもよくなる。
だからさっきの話に戻るとさ、
絵を描いてるときは、シーンと静かな状態で
絵に集中していったらダメなんです。
なるべく絵から離れて描く状態がいちばんいいわけ。
「気がついたら、あ、描けちゃった」
というのがいちばんいい、というのは
そういうことなの。
- 糸井
- 昔の大家族の子どもって、自分の個室がないから、
家族みんなのいる部屋で腹ばいになって
勉強したりしました。
ああいう子のほうが結局は勉強ができた、
という記憶もあります。
- 横尾
- うん、そうよね。
ぼくはひとりっ子で
広い部屋をひとりじめしていたからか、
勉強ができなかったなぁ。
- 糸井
- 大家族の彼らは上手に、
集中しすぎないように分散してた。
そのことはちょっと
意識したほうがいいかもしれませんね。
つまり、集中って、閉じちゃうんですよ。
- 横尾
- 集中してたら勉強の才能も開かないよね。
でも、それをどんどん突き詰めて考えていくと、
死ぬまでに、いっさいのこだわりを
全部削っておると、すごくラクじゃないですか。
- 糸井
- うん、うん。
- 横尾
- 自分のことも、家族のことも、いろんなことも、
全部どうでもよくなっているか、
あるいは忘れているといい。
いろんな問題を抱えたまま絵を描いても、
それを抱えたような絵しかできないからね。
しかし、これを逆に言えば、
絵の中で自由にできれば、
実際の問題も自由にできそうな気がするわけ。
- 糸井
- あ‥‥そうですよね。
- 横尾
- 自分の問題を解決してから、
絵をその方向にもっていくことは、
できないと思うわけ。
- 糸井
- うん、それはできないですね。
「神になってから描く」みたいなことですから。
- 横尾
- そうなんだよ。
そうじゃなくて、
絵を描いているうちに、もう、
家族のことはどうでもいい、
財産もどうでもいい、
名誉も何もいらないということがわかる。
絵を描くことによってだけ、
それが「いける」と思うわけ。
絵でもスポーツでも音楽でも何でもいいんだけどさ。
あれを片づけて、これを片づけて、
断捨離をしましょう、
持ち物は全部なんとかしましょう、
そんなところから絵を描いたってね、
それはできるかもわからないけどさ、
ほんとうは何をやっても
何かの問題がじつは残っていくもんでしょう。
- 糸井
- 完璧になんてできないし、
できたとしてもその「かたち」ができるだけですよ。
- 横尾
- だから、そんなことよりも、
何か自分が夢中になれるものをやって、
そこでそれが達成されるか──まぁ、達成ってことも
ないんだけど──、例えば達成されると、
自分のややこしい問題が全部
ひとごとみたいになっていくんじゃないかな。
- 糸井
- うん、そうかもしれませんね。
その道もかなり険しくて
「どんどん初心者になっていくしかない」
というところに行くんだから、やっかいですね(笑)。
これからこの絵と、横尾さんは
どうなっていくんでしょう。
- 横尾
- これをいま、
「完成だ、これ以上できない」というふうに認めて
サインを入れちゃうというようなことも
あるかもしれない。
しかし、いま現在はできないわけよ。
この絵はやっぱりもうちょっとだけ
「絵」に近づけそうな気がするわけ。
そうするとつまんなくなることもわかる。
つまんなくなるんだけど、
このつまんないことを、
じゅっぺん、にじゅっぺん、さんじゅっぺん
描かないと、この先に行けないし、
この顔がこののっぺらぼうでいい、というふうには
いまは認められないんです。
- (月曜日につづきます)
2018-03-02-FRI
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN