第3回絵を「悪用」するヨシタケシンスケ。
- 糸井
- ヨシタケさんは小さいときに、
人に絵を描いて喜ばれた経験はありますか?
- ヨシタケ
- ぼくはね、ないんですよ。
- 糸井
- そこがまたおもしろいですよね。
「得意だったからこうなったんですね」
という話はわかりやすいけど、
ヨシタケさんは
もともと絵の人じゃないんですよね。
- ヨシタケ
- そうなんです。
ほんとに絵を褒められたことのない人間でしたから。
たぶんぼくの場合は、
そこがスタートだったのが珍しい経歴になり、
いま珍しがっていただいてるらしいんですね。
大学でも
「お前、よくこんな絵でウチの大学入れたな」
と言われるぐらいでしたから。
- 糸井
- でもだからこそ、いまがある。
- ヨシタケ
- そう。そういう現実があって
「自分は目の前のものを描くのはやめよう。
もう見ないで描こう」
と思ったことが、
いまにつながっているんです。
- 糸井
- 「見ないで描く」は大きなポイントですね。
- ヨシタケ
- 前の対談でもお話しした話ですけど、
ぼくは普段から
「ものを見ないで描く」というルールで
やっているんですね。
最初の絵本の『りんごかもしれない』にしても、
ぼくは本の完成まで、
りんごを1回も見ていないんです。
ぼくの中で自然な感じでの
「りんごっていうと、これぐらいのサイズで、
赤くて丸い果物だよな」
という記憶だけで描いています。
「すぐに検索をしない」
「画像検索は、最後の答え合わせまでやらない」
という自分の中での取り決めがあって、
まずは見ないで描いてみて、
自分が頭の中にどこまでイメージを持っているかを
確認する作業からはじめるんです。
- 糸井
- この話、何度聞いてもおもしろい。
- ヨシタケ
- だから、余談ですけれども、
『りんごかもしれない』のときも
何も見ずに絵本を描いて、
描き終わったあとで、
たまたま近所のスーパーに行ったんです。
そのときりんごが売ってて、
「そういえば、このあいだまで
ずっとりんごの絵を描いてたよな」
と思って、りんごを手に取ったんです。
- 糸井
- ええ。
- ヨシタケ
- そのときの自分が何を思ったかというと
「‥‥これ、どうやっても
りんごにしか見えないよな」
だったんです。
- 糸井
- うわぁ、そうかー(笑)。
『りんごかもしれない』は主人公の子どもが
「これはりんごに見えるけど、
実は別のものかもしれない」
と、つぎつぎ想像力をはたらかせる
絵本ですけれども。
- ヨシタケ
- もしかしたら子どもが見たら
「これ、ひょっとしたら別のものかもしれない」
ってなるかもしれない。
けれど40何年生きてきてしまうと、
重さとか香りとか手触りとか色とかで、
もう、りんごとしか認識できないんですね。
あの条件が全部そろうと、
りんご以外のものであるという想像が
全くできない(笑)。
- 糸井
- 「かもしれない」がなくなるわけですよね。
- ヨシタケ
- そういうときにも
「あ、やっぱ見ないでよかったな」
ってことになるんです。
- 糸井
- 『りんごかもしれない』のりんごは、
まん丸だけど、
上のほうにくぼみがあったりとか。
- ヨシタケ
- そう。実際のりんごって、
こんなかたちをしてないんですよ。
そもそもこんなに丸くないんですよね。
- 糸井
- 言われてみれば、梨のほうが近いかも。
- ヨシタケ
- だから農業大学の先生とかに監修を受けたら、
アウトなんですよ。
「これはりんごと違うだろう」
「そもそも何の品種だ」
って話になってきちゃう。
- 糸井
- でも人は、この絵を見て
りんごだと思ってくれるし、
似てないにしても、りんごを想っている
ヨシタケさんの気持ちは理解しますよね。
- ヨシタケ
- そう、
「この人りんご描こうとしてるんだな」
って優しさが、みんなの心の中に
発動されるんですね。
- 糸井
- だから、一歩前に出てきてくれる。
- ヨシタケ
- 絵の良さのひとつにそれがあるんです。
写真だとそのまま見るだけですけど、
絵だと「これはりんごだよな?」と
考えようとしてくれるという。
いい感じに情報が足りてないと
「私が補って、りんごと認識してあげよう」
となるんです。
逆に「何かを考えたくないほど不快な絵だ」と
なるときもあるわけですけど。
- 糸井
- なおかつ、絵であるゆえに
「りんごじゃなくて別のものかもしれない」
という見立てもできるわけだから。
- ヨシタケ
- そうなんです。
だからぼくは絵の持ってる不確かな部分を
「悪用」してるんですね(笑)。
- 糸井
- ヨシタケさんにとっての絵を描く仕事は、
みんなが「絵を描くとはこういうものだ」と
考えるような
「部品を大事に描き込むこと」じゃなくて、
その部品を使って転がしたり、
しゃべらせたり、拡散させたり‥‥という。
- ヨシタケ
- そうですね。
そのあたりを分かった上で、
写真や文字とは違う、絵のあやふやな部分を、
より確信を持って使いたいという
思いがあります。
- 糸井
- さらに言うと、
この絵のタッチもポイントですよね。
もしヨシタケさんの絵に
もっと情念や情熱みたいなものがあると、
なまじ見る人の想像がコントロールされるので
記号になりにくいと思うんです。
- ヨシタケ
- そこはほんと、おっしゃるとおりです。
- 糸井
- すごく冷たい言い方すると
「情のない絵本」なんですよ。
でも「情がない」からこそ、
そのパーツがいろんな表情を見せてくれる。
- ヨシタケ
- いや、そうなんです。
だから、それも絵の持つ良さのひとつというか。
- 糸井
- その「情のない絵」が絵本のジャンルに入って、
平気な顔していられるようになったことが
豊かさですよね。
- ヨシタケ
- そうなんです。
ほんとにね、ぼくがいまここで
糸井さんの横にいられることが、
そのまま社会の豊かさなんですよ(笑)。
(つづきます)
2018.08.04 SAT