6月 |
●ほぼ日2周年は何をしようか?
と考えた結果、伊香保温泉へ社員旅行に行きました。
6日の更新は温泉サルマークだけ。
ある意味、快挙でありました。
でも、私、遅刻いたしました。
●この直前にROCK西本が乗組員になりました。
当時金髪にサングラスだったROCK、
温泉に入って頭を洗ったら
みるみるうちに色が変わり、妙な緑色に!
ていうか、見たことないみたいな変な色に!
どうも化学反応を起こしたらしいです。
いまは黒髪です。更生したみたいです。
←へんな色!
●ほぼ日センサー会員の募集をしました。
(現在は募集をお休みしています)
ある程度定期的に
「ほぼ日」を読んでくださっていて、
「ほぼ日」を理解してくださっている読者を想定し、
機会があるごとに、意見や感想をいただき
さまざまなプランを磨き込んでいくための
会員制度でした。
「センサー会員カード」というのもつくったんだよ。
●ほぼ日のれん会発足。
いわば「お店のほぼ日サポーター」。
お店単位で登録していただき、
センサー会員が会員証を提示してお買い物をすると
特典がある! という制度でした。
400ものお店が、登録してくださったんですよ~!
●全日本おやじギャグの祭典 を開きました。
読んで次の如し。「おやじギャグ」を
ニッポン全国から募ろう! というコンテンツ。
20世紀最後の顰蹙企画としてスタート、
思いの外、もりあがっちまいました。
みんな、好きよねえ。ほんと。
名作2題には「直本賞」「茶川賞」をさしあげました。
直本賞は
「いい国つくろうキャバクラ幕府なんつってな。
わしもうまいこと言うなあ」
茶川賞は
「昨日徹夜しちゃってね~。
着の身着のまま木の実ナナだよ」
でした。ね‥‥
●「ハリさんのTシャツ」ということわざが、
ほぼ日にはあります。
「時間をたっぷりかければ、そりゃあいいもんができる」
という意味ですが、肯定ばかりでもない。
「一点集中、力いっぱい仕事をするのはいいことだが、
倒れちゃ、いかんだろう」
というような戒めでもあります。
その語源となったのがこのコンテンツ、
ハリさんがTシャツ作ってるうっ!でした。
そう、このTシャツをつくっているときのハリさんは
鼠穴の4Fの小部屋にとじこもり
来る日も来る日も「Tシャツくん」
(というシルクスクリーンの機械)と向き合い
鶴の機織りよろしく、せっせせっせとTシャツを
作り続けていたのでありました。
失敗作はいま「うーさん」が着てます。
←これが「ハリT」だ! |
7月 |
●笑うの大好きな私たち。
著者のみなさまを、感謝をこめてご招待、
麻布十番温泉で爆笑イベントを開きました。
ワハハ本舗関係者だったわたくし(シェフ)と
吉本興業関係者だったROCKの人選により
・雨上がり決死隊
・ポカスカジャン
・国本武春
というメンツ。
けっこう贅沢でしょ?
またやりたいなあ、お笑いイベント。
そしてこのとき雨上がり決死隊のマネジャーだった
小池さんは、現在糸井重里のマネジャーをしております。
人生は、ままならないものです。
←会場。温泉つき。
●Beautiful
Songs コンサートがありました。
思い出すに素敵なコンサートでした。
darlingが、コピーや、作詞でかかわったこのコンサート、
ほぼ日でも応援しましたっけ。
すでにほぼ日に登場していた鈴木慶一さんのほかに
矢野顕子さん、大貫妙子さん、
宮沢和史さん、奥田民生さんが、
ここに登場してくださいましたよ~。
●新宿二丁目のほがらかな人々、スタート。
最初は「ジョージさん」じゃなかったんですよ。 |
8月 |
●ガンジーさん。 が始まりました。
そもそもは、ほぼ日に届いた一通のメール。
「癌爺」さんという方からメールをもらったのでした。
余命宣告をされ、「死亡予定日」を目前にしたところで、
新しいノート型のパソコンを買って、
数人の身内に向けて『親戚新聞』という
メールマガジンを発行しはじめたというんです。
そこでほぼ日は連載をお願いしました。
あれ、うそだったんじゃないの? と言われるくらい
長い連載にしましょうよ、って。
ここから1年4ヵ月、この連載はつづきます。
お誕生日には、
「花の写真をおくってください」という企画も。 |
9月 |
●「がんばれ自炊くん」がスタート!
自炊のレシピは、ある意味みんなの家から門外不出。
いわば「経験」が、あちこちで眠っているわけです。
その経験をみんなで共有しようよ、というコンセプトで
この企画が生まれました。
長く人気コンテンツとなり、
まとめて単行本にまでなったんですよ!
←絵はリリー・フランキーさん。
|
10月 |
●ほぼ日フレンチパーカ発表!
Tシャツづくりができたんだから
もっと大きな「はおるもの」もできるはず、と、
フリースをつかったパーカをつくることにしたのでした。
ほしかったんだよね、こういうのが!
という思いだけで突っ走った
素人のぼくらを助け、
実際に制作を担当してくださったのは
カジュアルブランド
「フィールド/ドリーム」さんでした。

●darling、インパクの編集長を引き受ける。
12月31日から1年間行われる
「インターネット博覧会」の
編集長に就任しました。
ほぼ日とも連携しながらの1年間が、
はじまったのでした。
その1年間に登場した方は、
ほぼ日とはまた別に豪華でした。
横尾忠則さん、荒俣宏さん、
清水ちなみさん、栗山英樹さん、
田口ランディさん、中村勘九郎さん、
しりあがり寿さん、
浜野保樹さん、 松井孝典さん、石井竜也さんら。
|
11月 |
あれえ、めだって事件がなかったのかな。
記憶にもないぞ。スケジュール帳は残ってないし。
なんいもなかったのかな。そんなことないよなあ。 |
12月 |
●あみぐるみコンテストの公募が始まりました!
高森共子さん、日本ヴォーグ社さん、
いろんな毛糸やさんなどの協力をいただいて
それなりの大規模で開催されたんですよ。
←課題作品の「天使くん」
●鼠穴でクリスマスパーティーをしました。
ダイニング部が腕をふるい、抽選で読者にお届けしたり
著者のみなさんが遊びに来てくださったり。
「ほがらかな人々」の3人と、
天海祐希さんが同じ時間にいらして
妙に意気投合してたのがおかしかったなあ。 |
1月 |
●イナカモン座談会開催!
いきなり元旦に新連載でした。
匿名だけど有名な人も参加してた座談会でした。
元チェッカーズの武内享さんとか!
●松本人志さん再び登場! |
2月 |
●ハーレイ・ジョエル・オスメントくん登場!
そう「シックス・センス」のあの天才子役です!
「ペイ・フォワード」という映画のプロモーションで
来日したところを、インタビューしたのでした。
フレンチパーカもあげてきましたよ。
「オー、クール!」って言ってたよ。
「ジス・イズ・フレンチパーカ!」って言ったら
通じなかったよ。フランス製じゃないものね。
←フレンチパーカ? アイドンノー! |
3月 |
●HOBOP&HOBOT発売!
「ハリさんのTシャツ」のハリーが満を持して担当、
“おさるのマークから脱却しよう!”
というコンセプトで、ロゴがなくても魅力的な商品を
つくろうと、前年の秋から練ってきた企画です。
Tシャツにくわえ、ポロシャツも新規開発。
最初は「ホボップ」「ホボット」と呼んでいたよね。

●「あみぐるみコンテスト」スタート!
読者のみなさんから力作が届きました。 |
4月 |
●ほぼ日刊イトイ新聞の本出版!!
まさか「ほぼ日」のことが、本になるなんて。
コンテンツが書籍化されたのではなく
「ほぼ日」のありかたそのものが取材されて
講談社から、ビジネス本として、発売されたのです。
ほぼ日の黎明期を克明に追った本となりました。
 |
5月 |
●ゴールデンウイークをなんとしよう?
いまも人気のコンテンツ「まるでハガキのように」の
超拡大版をつくって、スタッフの数だけ別コンテンツにして、
投稿を募り競おうよ、というのが
黄金まるハガ大進撃!という企画でした。
ちょっと頭でっかちの企画だったかもしれません。
でも、読者のみなさんの投稿のおかげで
乗り切ることが出来たのでありました。
●「ぢごくのミーティング」をひらきました。
これまで、ぼくらほぼ日乗組員は
「会議を開く」という習慣が、薄かったんでした。
いま思うと、不思議なことなのだけれど。
会議に慣れていない、というくらい苦手でした。
ちょうど、ほぼ日の読者数も増えてきて、
「ここらでしっかり考えておかないと、先がないぞ」
とdarlingが発奮、3日間、通常の仕事を休んで
(でも更新はしましたよ)
徹底的に会議をひらいたのでした。
いろんなこと、ほんとにいろんなことを
これでもか、と話し合いました。
沈黙が続いても、それが会話になるような会議でした。
ここで決まったことが、のちの商品になったり、
コンテンツになったりしていきました。
今思うと「やってよかった」ミーティングでした。
けっこうつらかったけど。
←地獄を見てきた顔。
●「あみぐるみコンテスト」が、
な~んと、第1回ホビー産業大賞の
「東京都知事賞」を 受賞!
石原都知事の賞状もらっちゃったい!
|