第3回 学校を10校も建てた
第3回 学校を10校も建てた。

──
あの、ヤンジンさんのご本名である
「バイマーヤンジン」って
「蓮の花に乗った音楽の神さま」
という意味だとうかがったのですが。
ヤンジン
そうなんです。
──
当たり前のような質問ですみません、
子どものころから、歌がお好きで?
ヤンジン
そうですね、好きは好きだったんですけど
歌が好きかどうかって言えば
村中のみんなが「歌が好き」なんです。
──
え、そんな村たのしそう。
ヤンジン
チベット人って、歌うことや踊ることが、
本当に大好きな民族なんです。

しゃべれる人なら歌えるし
歩ける人なら踊れる‥‥というのが
わたしたち、チベット人。
写真
──
へぇー‥‥。
ヤンジン
楽しいときはみんなで歌って踊って、
悲しいときも、みんなで歌いました。

おかげで、村の人のほとんどが
歌や踊りが上手なんです。
だから、歌が「仕事」になるなんて
思ってもみなかったことです。
──
じゃあ、歌手になろうとは‥‥。
ヤンジン
はい、思っていませんでした。

わたしは「学校の先生」になりたくて
音楽大学ではなく、
総合大学に行きたいと思っていました。
でも、高校のときに
わたしの歌を聴いた音楽の先生が、
「あなたは、音大に行きなさい」って。
──
では、その先生が、
現在の声楽家への道を示してくれた?
ヤンジン
そうなんです。
──
学校の先生になりたかったのは、なぜですか?
ヤンジン
わたしが子どものころというのは、
「学ぶ」ということが
まず、第一に、難しかったんです。

学校に通えるってことは
本当に、すごく特別なことでした。
──
ええ。
ヤンジン
わたしの両親は、字が読めないんです。

その両親が、そのせいで、
いっぱいつらい思いをしましたので、
わたしを、学校に行かせてくれたのです。
両親のことは大好きで尊敬していますが
でも、学校の勉強に関しては
教えたりとかは、何もできないわけです。
──
はい。
ヤンジン
家に帰って、宿題を書くじゃないですか。

すると、母が聞いてくるんです。
「どうした、宿題、書き終わった?」って。
「書き終わったよ」と言っても、
母は、本当に終わったのか、確認できない。
──
ずるして、ごまかすことも、できちゃう。
ヤンジン
でも、先生には、ごまかしがききません。
尊敬する親に聞いてもわからないことが
先生はぜんぶ、教科書のすべてがわかる。

わたしは、そのことに感激して、
学校の先生に憧れるようになったんです。
──
なるほど。
ヤンジン
これまでのわたしの人生では
何人もの先生が、
大切な節目のときに、影響してくださった。

中学から高校へ行くときも、そう。
高校って「300キロ以上」も離れてるので
村からは、
なかなか行くことができないんです。
──
さ、300キロ。
ヤンジン
ですから、高校へ通うだなんて
想像すらできなかったことなんですけれど、
中学の地理の先生が、
一所懸命、
わたしの両親を説得してくださったんです。

たとえ雨が降っていても、
遠いところから自転車をこいでうちに来て、
「行かせてあげたほうがいい、
 この子には、勉強させてあげなさい」と。
──
まさに、恩師ですね。
ヤンジン
本当に、本当に、素晴らしい先生でした。
その先生のおかげで、高校に行けました。
──
そして、高校では、音楽の先生が‥‥。
ヤンジン
そう、思ってもみなかった音楽の大学へ
導いてくださいました。

だって、音楽の大学があるなんてことも
知らなかったわたしに
音大を受けなさいと言ってくれたんです。
──
言われたときは、どう思いましたか?
ヤンジン
正直、はじめはイヤよと思ってたんです。
──
イヤよ?
ヤンジン
だって、わたし、それまで
ピアノも、バイオリンも、チェロも‥‥
見たことも触ったこともなかったから。

わたしの身のまわりには
そんなもの、一切なかったんですから。
──
ただ、素晴らしい歌の才能だけがあった。
ヤンジン
きっと、運命だったのかもしれません。

わたしが受験をする年に、
四川音大が、はじめてチベットへ向けて
受験生を募集したんです。
写真
──
でも
「何千人にひとり」みたいな試験っって
受かるもんなんですね‥‥。
ヤンジン
もともと総合大学を目指してましたから、
学科試験では
合格ラインをけっこう超えた成績を
取ることができました。

歌の試験でも、ここまで来たからにはと
指定された歌を一所懸命に歌い、
面接の試験でも
出された問題には、すべて答えました。
──
学科試験がよかったのに加えて
なにせ歌が、すごかったんでしょうね。
ヤンジン
何か、わたしの声が独特だったようで
歌い終えたあと
試験官の先生たちが集まって
みんなでワーワー話し合っていたのを
覚えています。
──
ちなみに、ヤンジンさんが
ふるさとチベットに学校を10も建てたのは
そうした「先生」に対する
敬意や感謝があったから‥‥ですか?
ヤンジン
もちろん、それもあります。
でも、大きかったのは、日本に来たこと。
──
と、おっしゃいますと?
ヤンジン
だって、日本って、
識字率が、ほぼ百パーセントですよね。
字の読めない人がほぼゼロですよ。
これって、すごいことだと思うんです。

100年以上も前から、
先人たちが教育に力を注いできたからこそ
今、世界で大活躍する日本人が
たくさん、いるんだ思いますよ。
──
なるほど。そうですよね。
ヤンジン
わたし、
日本で「おいしい!」と感動したものは
チベットに持って帰りました。

白いお米でも、クロワッサンでも、
おそうめんでも、何でも。
自分が食べて「おいしい!」と思ったら、
親にも食べさせてあげたくて。
──
ええ、ええ。
ヤンジン
食べるものだけじゃないです。
着るものでも、道具でも、何でもね。

でも、いくら持って帰ったところで
ふるさとは、変わらなかった。
──
変わらなかった?
ヤンジン
おいしいものやべんりなものを持ち帰って、
みんなに食べてもらったり
使ってもらっても、
結局、その1回で終わりになるんです。

その後に変化あるかって言うと、何もない。
──
なるほど‥‥。
ヤンジン
これは、何だろうか。

大きく言うと、今まで、わたしの村では、
積極的に
人を育てるということがなかったのです。
──
そういう場がない、ということですね。
ヤンジン
知ること、経験すること、技術を磨くこと。
これってぜんぶ、「勉強」だと思いました。

だから、わたしは
「10年かかっても、20年かかってもいい。
 いつかチベットに学校をつくろう」
と、決心したんです。
──
でも、「学校をつくる」って
雲をつかむような、すごいことに思えます。
ヤンジン
はい、すごいというか、大変ことですね。
──
たとえば、資金とか、どうしたんですか?
写真
ヤンジン
はじめの目標は「20年で1校」でした。

だって、わたし、
当時はロッテリアのアルバイトでしたから
学校を建てるお金なんて
そんなすぐに稼げるわけもないし、
支援者なんて、ほとんどいなかったんです。
──
そうですよね。
ヤンジン
だけど、やっぱりわたしは
夢は実現するためにあると思っていますし、
費用は充分じゃなかったけれど、
はじめの1歩を踏み出さないと、
その夢が消えてしまうそうで、怖くて‥‥。
──
ええ、ええ。
ヤンジン
1校目は正直、
半分手づくりの、ただの6つの教室、でした。

村の人たちが、石を運んだり、土を運んだり、
でこぼこした地面を、平らにしたり‥‥。
──
実際の労働力を、提供してもらったんですね。
それでも、お金はかかりますよね?
ヤンジン
かかりました。
──
それは、どう工面したんですか。
ヤンジン
なんとか建設費の6割、
320万円は自分で出すことができたのですが
足りないぶんは、地元の政府や
教育委員会から、出してもらいました。
──
ヤンジンさんが、政府にかけあって?
すごい行動力ですね。
ヤンジン
1999年に1校めをつくるまでが
大変だったのですが
しかし、そのことで、
ある新聞が取材にきてくれたんです。

で、その記事のおかげもあって、
たくさんの方が
「あの人、本当に学校つくったんだね」
「本気だったんだね」と。
「じゃあ、応援しようか」ということで、
一気に、支援者が増えたんです。
写真
──
それで、いまや10校も。
ヤンジン
小学校9校と、中学校1校を建てました。
──
すばらしいです。
ヤンジン
3校目までは平屋のチベット式でしたが
4校目から、
鉄筋コンクリートの建物になりました。
──
先生になりたかったヤンジンさんが
先生にはならなかったけど、学校を建てた。
ヤンジン
はい、みなさまのおかげです。
──
かたちはちがうけど、同じことですよね。
ヤンジン
わたしも正直、
ここまでできるとは、思ってませんでした。
だって、学校をつくろうと思って
日本に来たわけじゃないし、
ただ、主人が好きで、ついてきただけです。
──
ええ。
ヤンジン
でも今は、そんな役割があったからこそ
この素晴らしい日本に
来させていただいたと思っていますし、
それは自分の運命だとも感じています。

けっして順風満帆ではございませんけど、
それでも、よかったと思っています。

<つづきます>
2015-08-06-Thu
笑えて、じーんとして、はっとする。バイマーヤンジンさんの新刊です。

笑えて、じーんとして、はっとする。バイマーヤンジンさんの新刊です。

バイマーヤンジンさんの本が出ました。
ふるさとチベットのこと、
ご両親のこと、歌のこと、
子どもたちや学生を支援していること。
今回のインタビューの話題を
さらに、くわしく語った内容です。
進学するヤンジンさんのために
学校には行かず、
はたらいてくれたお兄さんのこと。
はじめてあったとき、
60歳に近いのに「金髪」だったという
義理のお母さんとの
(こう言ってはなんですが)
まるで漫才みたいなやりとり。
外国人のことが「きらい」だった
義理の祖母と、時間をかけて
少しずつ仲良くなっていくくだり‥‥など
ヤンジンさんの素顔や人柄が伝わる本です。
ご興味持たれましたら、ぜひ。

バイマーヤンジン著
『幸せへの近道
チベット人の嫁から見た日本と故郷』