- ──
- 写真家の齋藤陽道さんに
岩崎さんの詩集をいただいたんですけど、
素晴らしかったです。 - 岩崎
- ありがとうございます。
- ──
- 何と言ったらいいのか、
「本当のことが、書いてあるんだなあ」
という感想を、持ちました。 - 岩崎
- そうですか。
- ──
- ご両親についての歌が、ありますよね。
- 岩崎
- はい、たくさん詠んでいますね。
母のことや、父のことは。 - ──
- 個人的には、とくに、それらの歌について。
- 岩崎
- こういう身体でもあるので
やはり、いろいろ助けてもらってますから
感謝の気持ちを抱いているんです。 - ──
- ご両親に、感謝を。
- 岩崎
- それはもう、生活していくうえで、日々。
- ──
- そういう、ご両親への感謝の気持ちって
いつごろから芽生えましたか? - 岩崎
- そうですね‥‥まだ若いころ、
ものすごく身体の調子が悪い時期があって。
吐き気が、ものすごかったんです。
生活のすべてが
吐き気に取り込まれているような感じで。 - ──
- 本にも書かれていましたね。
- 岩崎
- あのころは、本当に苦しかったです。
で、そんなときに
両親が背中をさすってくれるんです。 - ──
- ええ。
- 岩崎
- 吐き気止めの薬なども、ぜんぜん効かなくて
どうしても
症状がおさまらなかったんですけど、
父と母が、
ずっと傍にいて、背中をさすってくれた。
そのときに、私は、自分が大変なときに、
傍に誰かがいてくれるということ、
背中をさすってくれるということ、
そのことが、本当に幸せなことだなあと
心の底から思ったんです。
自分の根っこのほうで、本心で、そう思えて。 - ──
- なるほど。
- 岩崎
- そのときですね。
両親への感謝の気持ちが強くなってゆくのを
自分自身、感じたのは。
- ──
- 具体的には何歳くらいのころですか?
- 岩崎
- 20代の前半です。
- ──
- いや、あの、お聞きしたかったのは、
ご両親に反発することだって
ふつうにあったよなあ、ということなんです。 - 岩崎
- ああ、それは、もちろんです。
人並みの親子ですから。 - ──
- ですよね。
- 岩崎
- 喧嘩もしますし。
- ──
- 反抗期だって、あったはずですよね。
- 岩崎
- それなりに、なんでしょうけどね。
よく
「ご両親とは
喧嘩なんかされないでしょう?」とかって
聞かれるんですけど、
まあ、そんなことはないですよ。
だって、ただの、ふつうの親子ですもの。 - ──
- ぼく、岩崎さんと同い年なんですが
親に対する思いって
今でこそ、ありがたいなって思いますけど、
まだ若いころには
なかなか、持てないじゃないですか。 - 岩崎
- そうですね。
未だに両親とは
衝突したり言い争ったりしてますけど(笑)、
でも、そんなものを超えて
「親心」という気持ちを持ってくれている。
今はそう、感じることができるんです。
だから、そういう喧嘩や衝突や言い争いを
ぜんぶひっくるめて、
親というのは、
本当にありがたい存在だなあって思います。 - ──
- では、苦しかった20代前半を越えてからは
徐々に、ご両親に対して素直になれたと。 - 岩崎
- ええ、そのあたりから
感謝の言葉を素直に伝えられるようにも
なってきました。
‥‥ちょっと照れくさいなって気持ちは
やっぱりまだ、あるけど(笑)。
- ──
- 五行歌を書きはじめたのは?
- 岩崎
- ですから、「そのあと」なんですね。
20代の半ばすぎくらいから。 - ──
- とすると、感謝の気持ちを
両親に素直に伝えられるようになったことが
創作をはじめる、ひとつのきっかけに? - 岩崎
- そうだと言えるかもしれません。
そのころには
「吐き気」に飲み込まれていた最悪の状況が
徐々に落ち着いてきていましたし。
自分自身、心持ちにも余裕が出てきて、
いろいろなことを
静かに考えられるように、なっていたんです。 - ──
- 岩崎さんの五行歌を読んで、まず思ったのは、
喜んだり、悲しんだり、楽しんだり、ヘコんだり、
「前へ進もう」と思ったり、
そういうことって
ぜんぶ「自分発」なんだなあってことでした。 - 岩崎
- ああ、そうですか。
- ──
- 吐き気で苦しい、死にたいと思い詰めることも
やっぱり生きようと思い直すことも、
青空を見ただけで、うれしいと感動することも、
病気に思わされてるんじゃなくて
岩崎さんは、自分で、そう思っている。
いや、当たり前の話なんですけど。 - 岩崎
- でも、それは、本当にそうですね。
たしかに、吐き気に支配されていたときは
創作どころではなかったです。
でも、このまま、自分が何もせぬまま、
漫然と時間を過ごしていくのかなあと思ったら、
それは絶対に嫌だと思ったんです。
「何かをしたい、しなければ」と、思った。 - ──
- はい。
- 岩崎
- でも、それまでの私は、ほとんど家のなかだけ、
ごく限られた人たちのあいだだけで
生きていたんですが
この先、自分の将来を考えたら
「こんなんことじゃあ、絶対にダメだ」って。 - ──
- もっと、人と関わっていこうと。
- 岩崎
- はじめは、とても怖かったです。
- ──
- 人と関わるのが?
- 岩崎
- はい。実際、すごく苦痛も感じました。
だけど、いつまでも、そんなことを言っていたら、
私はこの先、生きていくことができない。
そう思って、いろいろな人と関わっていく努力を
はじめてみたんですね、自分から。 - ──
- 誰かに促されたというより。
- 岩崎
- ええ、自分で、そうしなければと思った。
ずいぶん疲れましたし、大変だったんですけれど、
訪問介護の方に来ていただいたり、
少しずつ、少しずつ、挑戦してみたんです。 - ──
- はい。
- 岩崎
- そうしたら、
狭かった自分の世界が広がっていったんです。
人と会って話し、出会いを重ねていくことで、
自分自身が変わっていくのが、わかって。 - ──
- すごいもんですね、人と会うとか、話すって。
- 岩崎
- 本当に、そう思います。
そして、そのときに、
これまでお世話になってきた人たちや
両親に対して
感謝の気持ちを伝えたいなあと、思ったんです。 - ──
- じゃあ、
感謝の気持ちを素直に伝えられるようになって、
感謝の気持ちを伝えたいとも思うようになって、
そのことが、五行歌の創作につながっていった。 - 岩崎
- はい。
<つづきます>