もくじ
第1回紹介文from tofubeats 2016-06-28-Tue
第2回紹介文from 雨宮まみ 2016-06-28-Tue
第3回紹介文from 三浦大知 2016-06-28-Tue
第4回紹介文from 矢野顕子 2016-06-28-Tue
第5回Seihoインタビュー:前編 2016-06-28-Tue
第6回Seihoインタビュー:後編 2016-06-28-Tue

大阪で生まれ育ち、京都で大学生活を送り、2011年に上京。
2015年10月の初取材をきっかけに目が覚める。
取材した記事を公開前夜に読み返す時間が好きです。

彼の名はSeiho

担当・並木香菜子(なみっきー)

第5回 Seihoインタビュー:前編

インタビュー前編では、小学生〜中学生のころの話、
音楽を作るきっかけ、初めて作ったCDの話など、
今の活動につながる背景について話を伺いました。

こどもの頃のはなし 

生まれも育ちも大阪で、現在も活動の拠点は
関西に置いているSeiho。その影響もあってか、
話し方がとても気さくでオープンな雰囲気があります。
そしてファッションも作る音楽も独特な印象がありますが、
そもそも子供の頃はどんな風に過ごし、
音楽には何がきっかけで目覚めたのでしょうか?
「今とほんまに変わらないんですよ」と
小学生~中学生当時のことを振り返ります。

ーーー小学生の時はどんな子だったんですか?

Seiho
小学生のときは、文化系でも体育会系でも
ヤンキーでもなく、どこにも属してない存在でした。
でも一匹狼みたいな感じでもなく、面白い人、
みたいな立ち位置でみんなそれぞれと遊んでましたね。
だから家でゲームしてる友達とも遊ぶし、
外でドッチボールする友達の所にも週に1回ずつ顔を出す、
みたいな感じで。
ただ、公園で遊ぶのだけはほんまに嫌でした…。

ーーーえっそれはどうして?

Seiho
だって公園って死の匂いしかしないじゃないですか?
公園って絶対ケガするから。
なのでブランコとか滑り台とか、
今も見るだけでめっちゃ怖いです。

ーーーそうなんですね。どんな遊びが好きでしたか?

Seiho
僕、カードや自分のゲームを作るのが好きで。
当時は流行ってたバトルカードみたいなのを自分で作って、
友達とルールを決めて遊ぶ、みたいなのが好きでしたねぇ。

ーーー1人で遊ぶよりは友達と遊ぶことが多かった?

Seiho
全然そうですね!
家がお寿司屋さんで商店街の中にあって、
友達もみんな商店街の中にいたこともあって、
ずっと友達と遊んでましたね。
一人で遊ぶことはあんまりなかったです。

ーーー学校ではどんな風に過ごしてました?

Seiho
なんというか小器用な方だったんで、
運動も勉強もめっちゃ良い訳ではないけど
悪くもない感じで。そつなく全部こなしてましたね。
あっでも音楽と美術の成績だけはめっちゃ良かったです!

ーーーへぇ~!それは自分でも好きだったんですか?

Seiho
そうですね。もともと音楽は、
親の趣味でジャズとかディスコミュージックが家で
よく流れてたので聴いてた環境がありました。
そして小学4年生のときにギターを買ってもらったことが
音楽にはまるきっかけかもしれないですね。
小学6年生の合唱コンクールで
ギターを弾いたの覚えてるなぁ。

ーーーなるほど。音楽は友達とも聞いたりしてました?

Seiho
いや、友達とはゲームとか外で遊ぶもので、
遊びの中に音楽を聴くってことはなかったですね。
だから音楽を聴くということは、
夜ごはんを食べるときに家族みんなで聴いたり、
日曜の朝に掃除するときにCDかけるとか、
そういった親とのコミュニケーションツールでしたね。

ーーーそうなんですね。習い事は何かしてましたか?

Seiho
習い事はあんまりしてなくて、
手品とギターぐらいでしたね。手品は好きで、
毎週先生のいる梅田まで電車で通ってました。

ーーーなるほど、手品の影響もあって
カード作りが好きだったのかもしれませんね。
ギターはどれ位続けてたんですか?

Seiho
ギターは中学生になってからも続けてて、
先輩に誘われてバンドも始めました。
他にも中学校では吹奏楽部に入って、
トロンボーンもやってました。
そしてギターは楽器屋の張り紙やネットの
バンド募集をみて学校以外の人ともバンドを組んだり、
トロンボーンも地域のジャズバンドに入って、
そこでも演奏したりして、
社交的に色んな人と演奏してましたね。
なのでやってることは今とほんまに変わらない感じですね。

平面と立体の音楽

ジャズが流れる環境で育ち、小学生の時からギターを習い、
中学生ではトロンボーンの演奏も始めます。
しかし、Seihoの作る音楽といえば電子音と
自然の音の組み合わせが印象的です。
音楽制作にはどの様な背景があったのでしょうか?

ーーー最初にパソコン持ったのはいつですか?

Seiho
Windows95の時なんで8歳の時ですね。
最初はポストペットで遊んだり、
たまごっちもパソコンでやってました。
そして98年以降はインターネットも使いだしたので、
中学生の時から海外の人と
音楽の情報交換をしたりしてました。
他にも、当時は着メロをネットで発表する場もあって、
パソコンで譜面を引いて
着メロを自分で作って投稿したりもしてました。

ーーー音楽は最初から自分で作ってたんですか?

Seiho
そうですね。中学時代の着メロを経て、
高校の時からは自分で曲を作って、デザインも自分でして、
それをCD-ROMに焼いたりするのがめっちゃ好きでした。

ーーー1番最初に作ったCDは?

Seiho
え~と、色々CD-ROMは作ってたから難しいですねぇ…
まぁでも、きちんと形にしたのは20歳のときに作った
「サカサマノモリ」がそうかもしれないです。
これは20歳の成人祝いのお金を
全部プレス代にして作ったCDで、
曲もフルアルバム作って、
大学の友人達にジャケットの素材をもらって、
デザインも、プレス業者に行くのも全部自分でして。
そうして自分の作ったCDが自宅に大量に送られてくる、
という経験を20歳の時にしましたね。

ーーー毎月作ってたmonthly Seihoはその後ですか?

Seiho
あれは「サカサマノモリ」の後の、大学3年生の時ですね。
毎月1枚CDを作って大学の先輩に配ったりしてました。
学生当時はお金がなくて大変だったので、
飲み会代を自分のCDを売って稼いだりしてました(笑)
そしてそれを4月からしてたら、
8月には大学にCDを置いてもいいことになり、
大学内の丸善に自分のCDを卸してました。
今でも3枚くらい在庫があるらしいです…(笑)

ーーーもともと音楽はギターをやっていたり、
トロンボーンでジャズを演奏したりしてたと思うのですが、
どうして電子音楽を作る様になったんでしょうか?

Seiho
確かに、作る曲は高校卒業位のタイミングで
完全に電子音楽に振り切ってましたね。
そもそも電子音楽を聞き出したのは、ミニマルテクノや
サイケトランスに詳しい友達の影響がありました。
そして高1か高2のときに
青木孝允さんと半野義弘さんの音楽を聴いた時に、
自分の中ですごい衝撃があったんですよ。

ーーーそれはどんな衝撃だったんでしょう?

Seiho
自分と同じ人がいる!という衝撃ですね。
基本的に、僕は音楽を聞いたら映像が見えるんです。
って言うと大それて聞こえるかもしれないですけど、
視覚情報が体感できる、って感じです。
そしてほとんどの音楽って
平面的でストーリーがあるんですよ。
特に名曲と言われる音楽は、
絵画をみてる様な感じなんですよね。
でも自分で作る音楽はそういうのが全然なくって。

ーーー平面じゃない?

Seiho
そう、平面じゃないんです。
自分の作る音楽は、空間にセットを置いて
カメラを置く位置を自分が設定してる、
みたいな感覚で立体的に見えるんです。
だから作っても作っても、
平面的でストーリーのある音楽になれへんなぁ…って。
あれってどうやって作るんやろう?
ってずっとわからなくて。
でもある程度電子音楽を聴いていったときに、
僕と同じ音楽の人がいる! 僕と同じで、
空間に物を置いて撮影してるだけの人もいる!
という発見があって。
それに気づいて改めて色々音楽を聴き比べたときに、
空間に物を置いてる音楽の方が僕は好きやな、
ってわかったんです。
じゃあこれは間違ってないんや、
こーゆう撮り方も正しいんや、
って思えたことがあって、今もそれはしてますね。
しかも最近は、Sugar’s Campaignでバンドをやりだしたり、
ボーカルのプロデュースなどもするようにもなって、
あ~こうやって置いたら平面になるんや、
こーゆう色を重ねたらストーリーっぽく展開するんやぁ、
ってようやく平面の作り方もわかってきたんですよね。

ーーーなるほど。じゃあ今後、
歌詞を書く可能性なんかはありますか?

Seiho
歌詞かぁ。シュガーズの方では歌詞も書いてるので、
ソロの方でも書こうと思えば書けるかなぁ…。
でも、自分の音楽に言葉が必要になったら
ありえるかもしれないけど、
現状は言葉の方が邪魔することが多いから、
言葉を削ってることの方が多いですね。
もし言葉にするんだったら、言葉だけにしたいかも。

ーーー詩にしたり?

Seiho
そうそう、それを朗読にしてもいいし。
自分のやってる音楽を言葉で表現したらどうなるか?
という実験は一回してみたいですね。


photo:Aki Ikejiri

ーーー自分の音楽は聞きますか?

Seiho
自分の音楽は高校~大学位まではめっちゃ聞いてました。
なぜなら、自分の一番聞きたい音楽を
自分で作ってたわけですから。
でも最近はあんまり聞いてないんですよねぇ…。
思うに、前は自分が言いたいこと・
伝えたいことが割とはっきりしてて、
それをどう音楽に沿わすか、
ってこともコントロールできてたんです。
でも2013年以降は、
コントロールすること自体が
面白くなくなってしまったのと、
伝えたいことも、
形はあるのに言葉で言い表せないものになってきて。
そうすると、自分で作る音楽が
自分より先にいってしまったんですよ。
だから向き合い方が以前とは大きく変わってきました。
でも父や僕を昔から知ってる人には、最近の曲も
「高校の時から変わってない、一緒やん!」
って言われるんですけど(笑)

2013年以降は変化が起こり、
音楽が自分よりも先にいってしまった。
この話は後編へと続きます。

第6回 Seihoインタビュー:後編