インタビュー後編では新作アルバム「Collapse」のこと、
アルバム発表までの3年間で考えていたこと、
今興味があることについて話を伺いました。
アルバム収録曲「The Vase」の
ミュージックビデオも是非ご覧ください。
前作の「Abstraktsex」より
3年を経て発表された新作「Collapse」
その間も海外ツアーを行ったり、
Sugar’s Campaignでのバンド活動や、アーティストへの
楽曲提供といった音楽活動は行われていました。しかし、
2013年以降は音楽をコントロールすることに興味がなくなり、
更には音楽が自分より先にいってしまった、
という話がありました。
それは一体どういう感覚なのでしょうか?
崩壊と名付けられた新作を作るまでに考えていた事を中心に、
音楽を通してやりたいことの核心へと迫ります。
ーーー「Collapse」を作るときに考えていたことって
どんなことですか?
- Seiho
- それは大きく2つあります。
一つが、「一番近い他人とは誰か?」っていうことです。
これは2013年以降の僕の大きなテーマでもあり、
サイモンフジワラというアーティストの作品を
ネットで見たときに
「ほんとうの答えを知ってるのは誰なんや?」
ということを考えたことも影響しています。 - 例えば政治のことや、はたまた友達との喧嘩でも、
正しいのはどっちか?
更に言えば、原発問題のことを解決できるのは
実は当事者ではなくて、
意外におとなりに住んでいる韓国、中国の人やったり、
昔日本に住んでたアメリカ人やったりするんじゃないか?
ということ。 - ほんまにどうするか?って問題の答えを知ってるのは、
それくらい距離のある人が知ってるんじゃないか?
その「一番近い他人とは誰か?」
ということを2013年以降考えてました。 -
もう一つが、
「境界線を薄くして、いかに意味を際立たせるか」
ということです。
例えば、バーチャルリアリティーとリアルが両方ある世界。
両方あるからこそ、
なぜリアルがいいかってこともわかるし、
なぜバーチャルリアリティーがいいのかってこともわかる。 - 遺伝子組換えの大豆があるからこそ、
なぜ天然の大豆がいいかがわかる。
だからどちらか一方だけを否定するのは違うと思うんです。 - そして選択が増えるということは、同時に
決断の重要性がめちゃめちゃあがるわけでもあるんです。
今僕がコーラを飲んでる現実があるけど、
当然コーラを飲んでない未来もあった。
でもそのときに「僕がコーラを頼んだ」
って決断が重要なわけなんです。
- Seiho
- アルバムのジャケットも、
左の生け花が本物で右の陶器がCGなんですよね。 - これも例えるなら、
リアルとバーチャルの垣根が薄くなった世界で、
なぜ生きている花をみたときに
僕たちはこういう気持ちになるんやろう?
なぜCGの陶器には影がついてるんやろう?
とかを考えてみる。 - するとなぜ?の先にある意味の輪郭が濃くなっていく。
そういう垣根の薄い世界では決断の意味、
が重要になってくるんです。 -
僕は決められた運命なんて信じてなくて、
未来は無数にあると思ってます。
そして未来への選択がいっぱいあるなかで
「決断した」ということが意味をもつ。 -
そういうようなことを遡っていって線を探すことが、
「Collapse」を発表する前の大きなテーマでした。
ーーー「Collapse」で気になったのが、
付録対談集の最後のページにあった「線」で。
- Seiho
- あぁ、あれは…「伝えたいことを
どこまで1本の線で伝えることができるか」
という象徴、みたいなものですね。
ーーー自分で書いたものですか?
- Seiho
- そうです。なぜか僕、1年前位から、
「とにかく線を書こう」って時期があったんですよね。
線は、まっすぐなものから記号みたいなもの、
旅先で書いてみたものや、
色も15色位試してみたりもして。
ほんまに意味もなく、
1年間ずっと線を書き続けてたんですよ。 - するとある日、一回全部見直してみよう、
って思った日があって。
そして今まで書いた線を眺めたときに、
4個に候補が絞れたんです。
更にその4個をみてる時に、
この1本やばいな!ってなって。
だからアルバムに載ってるあの線はその1本ですね。 -
この線に関しても、
たくさんある中からピンときたものを選ぶ、
ということが大事なんです。
ーーー線の話は決断の重要性の話に通じますね。
そういうことは何をきっかけに考えだすんでしょうか?
- Seiho
- そうですねぇ…。
まず芸術っていうのは先にいかないといけない、
というのが僕の中で大きなキーとしてあるんですね。 - それは例えば、SNSが発達したこれからの社会、とか
少子化がこのまま進んだらどうなる?とか、
本人が感じた未来で起こるであろう
事象や現象を語るべき場所が、芸術。
まぁそんな大それたテーマじゃなくて、
コーラを毎日飲んだらまじ体がヤバくなる!
とかの個人的な事でもいいんですけど(笑) -
そして芸術の中でも音楽は、建築とか映画とかよりも
一人でできて、アウトプットも早い。
ここに僕が音楽を作る意義みたいなのが一つあります。 -
その次に、じゃあアーティストは
なにを伝達するものなのか?というポイントがあります。
一つは、
自分の身に起こっていることを伝える記者タイプ。
もう一つは、
客観的に外の情勢を見て伝える報道タイプがあって。
これは芸術家も音楽家も分かれるとこだと思うんですけど、
僕の場合は、視点的には報道タイプなものの、
どうしてもその結果が自分の身に振り注いでしまう、
みたいな感じなんですよね。 - 報道目線で今の状況はこうです、
今後こうなっていくと思います、
って表現しても、その置かれてる状況には
自分も含まれてる、という。
それは今の年齢のせいもあるのかもしれないですけど。
報道目線で感じたことを音楽で表現する。
恐らく感じたことが自らに降りかかってくるであろう
「Collapse」について、
「自分でもまだ全部を理解できていないんですよ」
とSeihoは言う。作る音楽が自分の先にいくことについて、
更に詳しく聞きました。
- Seiho
- 今回の作品は自分で録音した
フィールドレコーディングの音と、
機械で作られたサウンドライブラリーの音と
両方が入ってるんですよね。 - 例えば聴いている人が森の中で聴いてる
イメージを持ったとする。
でもそれはほんとうの森なのか?
それとも森っぽい映像を見せられてるだけなのか? - 現実の音と非現実の音が混ざって
境界線が薄くなればなるほど、
なぜそう感じたのか?その意味だけが濃くなっていく。 -
そして僕はなぜサウンドライブラリーの
同じ鳥の声を何度も使うのか?
なぜ友達との釣りの音を入れたのか?
その意味、決断だけが濃くなっていく。
そういう世界を表現したくて、
その2種類の音を極端に使ってるんですよね。 -
そして音楽は無意識に作ってると、
自分より先にいっちゃうんですよ。
できあがってみても自分でもよくわからんな?
ってこともあるんです。 - そういう自分が追いつかない様な作品は、
ある種自分との対話でもあるんです。
自分のことを理解するために
自分で外にだしてみる、というような。
photo:Aki Ikejiri
- Seiho
- こうやって話すと僕の音楽は思想的なんですけど、
頭を使わなくても聞ける、というのは音楽の強みで。
頭を使わなくても聞けて、聞いてたらなんだか心地よくて、
そうして何回も繰り返し聞いてたら、
さっき言った哲学みたいなものが
言わなくても伝わるんじゃないか?って。 -
ただ単純に心地良いから聞く。
そして何年後かに聞いていたらわかった!というような、
自分が音楽家として作りたい作品ってそんな感じです。
photo:Aki Ikejiri
「一番近い他人とは誰か?」
「境界線を薄くして、いかに意味を際立たせるか」という
2つの大きなテーマをもとに作られた「Collapse」。
そしてアルバムを発表した今、興味があることについて聞くと
「思い出ってやばくないですか?」との答えが返ってきました。
- Seiho
- 僕が今一番、本当に興味があるのは
「二人が思い出にする」という行為についてです。 - 例えば家族や友達、恋人と旅行に行っても、
思い出になる場所もあればならない場所がありますよね?
一方で、予期せぬ場所が
何かのきっかけで思い出になることもある。 - それは別に運命で決まってたわけじゃなくて、
自分たちがここを思い出にしよう、
ってポイントを決めたということ。
その行為がすごい面白いな!って思ってるんです。 -
大事なのは二人の思い出って部分で
それは何かしらの事件やアクシデント、
そして二人の同意がないと思い出にはならない。
思い出は「なった」ということが大事で、
それを「二人が思い出にしよう」、
と決めた現象について考えよう。 - みたいなことがここ最近の、
「Collapse」を出した前後の僕の中のトレンドで、
今、興味があることです。
振り子を動かす
Seihoのライブではイカと生花の展示をしたり、
最近では花瓶に花を活けて牛乳を注いで飲む、
というパフォーマンスがあります。
すべての人に理解されるのは難しい印象のライブですが、
音楽で表現をして嬉しい瞬間ってどんなときでしょうか?
- Seiho
- 大阪の友人たちといつもファミレスで朝まで
今まで話したようなことばかり話してるんですけど、
そこでオカダダが振り子の話をしてくれたんです。
振り子を動かすしか中心点は探せないって。
つまりは僕が音楽やライブでしてることって、
「振り子を動かしとく」みたいなことなんです。 - なんというか…正しいものはかならずある、
って思ってるんですよね。
絶対的に綺麗なものとか、絶対的に良いもの、
絶対的に美味しいものは、ある。
でも、そんなものは絶対に、ないじゃないですか。
それはなんというか…(長い沈黙)
- Seiho
- 絶対的なものは個人にはあるけど、
客観的にはないものですよね?
僕にとっては絶対的に美味しいけど、
みんなが美味しいものはない。絶対にない。
なぜなら全員の舌の感じ方も好みも違うわけだから。 -
けれども、僕はあると思ってるんです。
全世界が、みんなが、生きるもの全員が
美しいと思うものが。
絶対存在してる!って思ってるんです。 -
そしてみんなが美しい思うものを作るには、
なるべく振り子を動かしてみる。
だから自分が振り子になって動けば動くほど、
みんなの真ん中が必然的に決められる。 -
振り子の端っこにいけたら中心は決まるはずなんです。
そしてその中心を探しだせたら、
みんなが美しいって思う、全体の綺麗につながるはず。
だから僕は音楽で端っこと端っこに行きたい、
という意識があるんです。
ーーー今の話を聞いて、前作アルバムの「I Feel Rave」は
振り子の真ん中に近いんじゃないかな?と思いました。
- Seiho
- おぉ~、「I Feel Rave」を真ん中に置くのかぁ…!
確かに「I Feel Rave」も誰かにとっては真ん中ですけど、
でも誰かにとっては端っこであったりもして。 - それでも端っこと端っこを振り続けて動いてれば、
みんなにとっての真ん中がみつかるのかな?
って思ってます。 -
そしてみんなが絶対に美しいと思う、
そんなものは絶対世の中に存在しなくて、
存在しないのやけども、
「全員がほんまに美しいって思うものがある」
って思ってるやつにしか、
全員が美しいと思えるものは作れへん!
とも思ってるんです。