もくじ
第1回紹介文from tofubeats 2016-06-28-Tue
第2回紹介文from 雨宮まみ 2016-06-28-Tue
第3回紹介文from 三浦大知 2016-06-28-Tue
第4回紹介文from 矢野顕子 2016-06-28-Tue
第5回Seihoインタビュー:前編 2016-06-28-Tue
第6回Seihoインタビュー:後編 2016-06-28-Tue

大阪で生まれ育ち、京都で大学生活を送り、2011年に上京。
2015年10月の初取材をきっかけに目が覚める。
取材した記事を公開前夜に読み返す時間が好きです。

彼の名はSeiho

担当・並木香菜子(なみっきー)

第6回 Seihoインタビュー:後編

インタビュー後編では新作アルバム「Collapse」のこと、
アルバム発表までの3年間で考えていたこと、
今興味があることについて話を伺いました。
アルバム収録曲「The Vase」の
ミュージックビデオも是非ご覧ください。

前作の「Abstraktsex」より
3年を経て発表された新作「Collapse」
その間も海外ツアーを行ったり、
Sugar’s Campaignでのバンド活動や、アーティストへの
楽曲提供といった音楽活動は行われていました。しかし、
2013年以降は音楽をコントロールすることに興味がなくなり、
更には音楽が自分より先にいってしまった、
という話がありました。
それは一体どういう感覚なのでしょうか?
崩壊と名付けられた新作を作るまでに考えていた事を中心に、
音楽を通してやりたいことの核心へと迫ります。

ーーー「Collapse」を作るときに考えていたことって
どんなことですか?

Seiho
それは大きく2つあります。
一つが、「一番近い他人とは誰か?」っていうことです。
これは2013年以降の僕の大きなテーマでもあり、
サイモンフジワラというアーティストの作品を
ネットで見たときに
「ほんとうの答えを知ってるのは誰なんや?」
ということを考えたことも影響しています。
例えば政治のことや、はたまた友達との喧嘩でも、
正しいのはどっちか?
更に言えば、原発問題のことを解決できるのは
実は当事者ではなくて、
意外におとなりに住んでいる韓国、中国の人やったり、
昔日本に住んでたアメリカ人やったりするんじゃないか?
ということ。
ほんまにどうするか?って問題の答えを知ってるのは、
それくらい距離のある人が知ってるんじゃないか?
その「一番近い他人とは誰か?」
ということを2013年以降考えてました。
もう一つが、
「境界線を薄くして、いかに意味を際立たせるか」
ということです。
例えば、バーチャルリアリティーとリアルが両方ある世界。
両方あるからこそ、
なぜリアルがいいかってこともわかるし、
なぜバーチャルリアリティーがいいのかってこともわかる。
遺伝子組換えの大豆があるからこそ、
なぜ天然の大豆がいいかがわかる。
だからどちらか一方だけを否定するのは違うと思うんです。
そして選択が増えるということは、同時に
決断の重要性がめちゃめちゃあがるわけでもあるんです。
今僕がコーラを飲んでる現実があるけど、
当然コーラを飲んでない未来もあった。
でもそのときに「僕がコーラを頼んだ」
って決断が重要なわけなんです。

Seiho
アルバムのジャケットも、
左の生け花が本物で右の陶器がCGなんですよね。
これも例えるなら、
リアルとバーチャルの垣根が薄くなった世界で、
なぜ生きている花をみたときに
僕たちはこういう気持ちになるんやろう?
なぜCGの陶器には影がついてるんやろう?
とかを考えてみる。
するとなぜ?の先にある意味の輪郭が濃くなっていく。
そういう垣根の薄い世界では決断の意味、
が重要になってくるんです。
僕は決められた運命なんて信じてなくて、
未来は無数にあると思ってます。
そして未来への選択がいっぱいあるなかで
「決断した」ということが意味をもつ。
そういうようなことを遡っていって線を探すことが、
「Collapse」を発表する前の大きなテーマでした。

ーーー「Collapse」で気になったのが、
付録対談集の最後のページにあった「」で。

Seiho
あぁ、あれは…「伝えたいことを
どこまで1本の線で伝えることができるか」
という象徴、みたいなものですね。

ーーー自分で書いたものですか?

Seiho
そうです。なぜか僕、1年前位から、
「とにかく線を書こう」って時期があったんですよね。
線は、まっすぐなものから記号みたいなもの、
旅先で書いてみたものや、
色も15色位試してみたりもして。
ほんまに意味もなく、
1年間ずっと線を書き続けてたんですよ。
するとある日、一回全部見直してみよう、
って思った日があって。
そして今まで書いた線を眺めたときに、
4個に候補が絞れたんです。
更にその4個をみてる時に、
この1本やばいな!ってなって。
だからアルバムに載ってるあの線はその1本ですね。
この線に関しても、
たくさんある中からピンときたものを選ぶ、
ということが大事なんです。

ーーー線の話は決断の重要性の話に通じますね。
そういうことは何をきっかけに考えだすんでしょうか?

Seiho
そうですねぇ…。
まず芸術っていうのは先にいかないといけない、
というのが僕の中で大きなキーとしてあるんですね。
それは例えば、SNSが発達したこれからの社会、とか
少子化がこのまま進んだらどうなる?とか、
本人が感じた未来で起こるであろう
事象や現象を語るべき場所が、芸術。
まぁそんな大それたテーマじゃなくて、
コーラを毎日飲んだらまじ体がヤバくなる!
とかの個人的な事でもいいんですけど(笑)
そして芸術の中でも音楽は、建築とか映画とかよりも
一人でできて、アウトプットも早い。
ここに僕が音楽を作る意義みたいなのが一つあります。
その次に、じゃあアーティストは
なにを伝達するものなのか?というポイントがあります。
一つは、
自分の身に起こっていることを伝える記者タイプ。
もう一つは、
客観的に外の情勢を見て伝える報道タイプがあって。
これは芸術家も音楽家も分かれるとこだと思うんですけど、
僕の場合は、視点的には報道タイプなものの、
どうしてもその結果が自分の身に振り注いでしまう、
みたいな感じなんですよね。
報道目線で今の状況はこうです、
今後こうなっていくと思います、
って表現しても、その置かれてる状況には
自分も含まれてる、という。
それは今の年齢のせいもあるのかもしれないですけど。

報道目線で感じたことを音楽で表現する。
恐らく感じたことが自らに降りかかってくるであろう
「Collapse」について、
「自分でもまだ全部を理解できていないんですよ」
とSeihoは言う。作る音楽が自分の先にいくことについて、
更に詳しく聞きました。

Seiho
今回の作品は自分で録音した
フィールドレコーディングの音と、
機械で作られたサウンドライブラリーの音と
両方が入ってるんですよね。
例えば聴いている人が森の中で聴いてる
イメージを持ったとする。
でもそれはほんとうの森なのか?
それとも森っぽい映像を見せられてるだけなのか?
現実の音と非現実の音が混ざって
境界線が薄くなればなるほど、
なぜそう感じたのか?その意味だけが濃くなっていく。
そして僕はなぜサウンドライブラリーの
同じ鳥の声を何度も使うのか?
なぜ友達との釣りの音を入れたのか?
その意味、決断だけが濃くなっていく。
そういう世界を表現したくて、
その2種類の音を極端に使ってるんですよね。
そして音楽は無意識に作ってると、
自分より先にいっちゃうんですよ。
できあがってみても自分でもよくわからんな?
ってこともあるんです。
そういう自分が追いつかない様な作品は、
ある種自分との対話でもあるんです。
自分のことを理解するために
自分で外にだしてみる、というような。


photo:Aki Ikejiri

Seiho
こうやって話すと僕の音楽は思想的なんですけど、
頭を使わなくても聞ける、というのは音楽の強みで。
頭を使わなくても聞けて、聞いてたらなんだか心地よくて、
そうして何回も繰り返し聞いてたら、
さっき言った哲学みたいなものが
言わなくても伝わるんじゃないか?って。
ただ単純に心地良いから聞く。
そして何年後かに聞いていたらわかった!というような、
自分が音楽家として作りたい作品ってそんな感じです。


photo:Aki Ikejiri

「一番近い他人とは誰か?」
「境界線を薄くして、いかに意味を際立たせるか」という
2つの大きなテーマをもとに作られた「Collapse」。
そしてアルバムを発表した今、興味があることについて聞くと
「思い出ってやばくないですか?」との答えが返ってきました。

Seiho
僕が今一番、本当に興味があるのは
「二人が思い出にする」という行為についてです。
例えば家族や友達、恋人と旅行に行っても、
思い出になる場所もあればならない場所がありますよね?
一方で、予期せぬ場所が
何かのきっかけで思い出になることもある。
それは別に運命で決まってたわけじゃなくて、
自分たちがここを思い出にしよう、
ってポイントを決めたということ。
その行為がすごい面白いな!って思ってるんです。
大事なのは二人の思い出って部分で
それは何かしらの事件やアクシデント、
そして二人の同意がないと思い出にはならない。
思い出は「なった」ということが大事で、
それを「二人が思い出にしよう」、
と決めた現象について考えよう。
みたいなことがここ最近の、
「Collapse」を出した前後の僕の中のトレンドで、
今、興味があることです。

振り子を動かす

Seihoのライブではイカと生花の展示をしたり、
最近では花瓶に花を活けて牛乳を注いで飲む、
というパフォーマンスがあります。
すべての人に理解されるのは難しい印象のライブですが、
音楽で表現をして嬉しい瞬間ってどんなときでしょうか?

Seiho
大阪の友人たちといつもファミレスで朝まで
今まで話したようなことばかり話してるんですけど、
そこでオカダダが振り子の話をしてくれたんです。
振り子を動かすしか中心点は探せないって。
つまりは僕が音楽やライブでしてることって、
「振り子を動かしとく」みたいなことなんです。
なんというか…正しいものはかならずある、
って思ってるんですよね。
絶対的に綺麗なものとか、絶対的に良いもの、
絶対的に美味しいものは、ある。
でも、そんなものは絶対に、ないじゃないですか。
それはなんというか…(長い沈黙)

Seiho
絶対的なものは個人にはあるけど、
客観的にはないものですよね?
僕にとっては絶対的に美味しいけど、
みんなが美味しいものはない。絶対にない。
なぜなら全員の舌の感じ方も好みも違うわけだから。
けれども、僕はあると思ってるんです。
全世界が、みんなが、生きるもの全員が
美しいと思うものが。
絶対存在してる!って思ってるんです。
そしてみんなが美しい思うものを作るには、
なるべく振り子を動かしてみる。
だから自分が振り子になって動けば動くほど、
みんなの真ん中が必然的に決められる。
振り子の端っこにいけたら中心は決まるはずなんです。
そしてその中心を探しだせたら、
みんなが美しいって思う、全体の綺麗につながるはず。
だから僕は音楽で端っこと端っこに行きたい、
という意識があるんです。

ーーー今の話を聞いて、前作アルバムの「I Feel Rave」は
振り子の真ん中に近いんじゃないかな?と思いました。

Seiho
おぉ~、「I Feel Rave」を真ん中に置くのかぁ…!
確かに「I Feel Rave」も誰かにとっては真ん中ですけど、
でも誰かにとっては端っこであったりもして。
それでも端っこと端っこを振り続けて動いてれば、
みんなにとっての真ん中がみつかるのかな?
って思ってます。
そしてみんなが絶対に美しいと思う、
そんなものは絶対世の中に存在しなくて、
存在しないのやけども、
「全員がほんまに美しいって思うものがある」
って思ってるやつにしか、
全員が美しいと思えるものは作れへん!
とも思ってるんです。