古賀史健×糸井重里 2人の仕事論。
第5回 友達
- 糸井
- あの、何もできないという思いは、
ずっと形を変えて、小さくぼくの中にも残ってますね。
やった人達に対する感謝とね。
- 古賀
- はいはいはい、そうですね。

- 糸井
- やっぱり、ないんですからね、今瓦礫。
ほんとにそうですよね、そういう力ってね。
- 古賀
- ほんとに20年ぐらい
かかるだろうなと思いました。
- 糸井
- 思いますよね。
気配、ないですよ、ほんとに。
- 古賀
- そうですね。
- 糸井
- なるほどな。同じようなあれが、
『モテキ』っていう映画を撮ってたのもあの頃で。
大根さんと話した時に、とにかく『モテキ』を
止めないでやるって大変なことだったと思うんですよね。
でも止めないんだって決めるしかないわけですね。
-
ぼくは、ごく初期の頃に、
「本気で決断したことは全部正しいというふうに
思うじゃありませんか」みたいに書いたんだけど。
ぼくは『モテキ』の話を後で聞いて、
やっぱりそうだったなと思うんですよね。
- 古賀
- うん、そうですね。
- 糸井
- あの時半端にみんなが生ぬるいというか、
殊更に何か言ったり、生ぬるかったりする被災地の物語を
どんどんみんなが作っても何の意味もないんで。
-
映画を作るけどお金を出すっていうふうに言ってた
すごくちゃんとした人がいたりしたのも止めたり。
わりにぼく、お節介に止めたことがあったですね、結構。
まだ出番はあるからみたいな言い方して。
それは自分に言ってた気がする、同時に。
そういうことしたくなっちゃうよなというのを。
-
その時にもう、自分の肩書きって結構あれで。
ライターだとか編集者だから自分のできることは
こういうことだなって思うのが、
そこを起点に考えるって発想が、
ぼく、なるべくやめようと思ったんですよ、実は。
-
その辺りがさっきの古賀さんの、
ライターっていうものって考えると
違ったとこなんですよね。
個人の名前としてどうするかっていうのを
とにかく先に考えようと思ったんですよね。
-
そうじゃないと結局、職業によっては
今何も役に立たなくて、来てもらっちゃ困るとこに
行くようなことだってあるわけで。
- 古賀
- そうですね、うん。
- 糸井
- 間違うなと思ったんですよね。
僕は歌い手だからってギターを持って
出かけてった人がいっぱいいたけど、
君は来て欲しいけど、君は来て欲しくない
ってことは絶対あったと思うんですね。
- 古賀
- そうですね、はい。
- 糸井
- でもぼくにできることは何だろうって発想って、
ついギター持って行くわけで。
それは違うんだろうなと思って。
-
ぼくはだから、豚汁配る場所で
列を真っ直ぐにするみたいな手伝いとか(笑)
その発想で、ぼくらがその延長線上で何ができるか
みたいなことをできる限り考えたかったんですよね。
でもずっと悩んでました、わからなかったから。
- 古賀
- そうですよね。
- 糸井
- 友達に御用聞きするって決めましたね。
ほんと震災がなくて、そういう話を考えなかったら、
今ぼくらはこんなことしてませんよ。
- 古賀
- そうですね、うんうん。
- 糸井
- 全くしてないと思うんですね。
どうしてたんだかわからないです。
- 古賀
- そうですよね。
- 糸井
- もっとつまんない、虚しい小競り合いをしたり。
あるいはちっちゃな贅沢、カラスがガラス玉集める
みたいなことをしてたんじゃないかな。
それに思想を追っかけさせたんじゃないかな。
カラスがガラス玉を集めるようなことを僕らは
しますみたいに。
もたないですよね、それじゃ。
- 古賀
- そうですね。
でも、震災に関わるっていうふうに決めた時に、
世間的にいいことに見えたり、
あるいは慈善活動とかそういうものに見えるって
いい面と悪い面とあるじゃないですか。

-
糸井さんとか、ほぼ日の活動を見てると、
そこをすごく上手くコントロールしてるというと
またちょっと言い方が変ですけど、
しっかりと正しい道を選んでいるなという感じがして。
-
俺達はいいことをやってるんだっていうふうに
自分を規定しちゃうと、結構間違ったことをしがちで。
だから、その友達っていう最初の起点が、
たぶん他とは違うんだろうなと思いますね。
(続きます)