- 糸井
- その外見だと、普通にしていても
目立っちゃうからでしょう。
遠くからでもわかるじゃない。
- 浅生
- どうしても目立ちがちなので、
目立たないように努力しています。
気配を消してうまく溶け込むか、
逆に飛び抜けて目立ってしまうかのどちらか。
飛び抜けて目立ってしまえば、
また違う立ち位置に行けるんですよね。
- 糸井
- 飛び抜けて目立つというのは、例えばどんなこと?
- 浅生
- みんながやらないようなことを自分から先に選ぶとか。
「自分で選んだから、しょうがない」と
自分自身を納得させるんです。
- 糸井
- なるほど。
NHK_PR時代は、確かにそういう開き直りを感じましたよ。
- 浅生
- ああ、そうですね。
- 糸井
- NHKという名前がついていながらあれをやるのは、
おもしろかったね。
- 浅生
- 相当ムチャでしたからね。
「あいつはしょうがない」と思われると一番楽なんです。
- 糸井
- エライ迷惑な「あいつはしょうがない」人も、いますよね。
だから「しょうがない」と思われつつ、
あまり人に迷惑かけてないっていうのは、
なかなかすごいバランスのところに立ってますよ。
しょうがないでもダメでもなく、
「おもしろい」が武器になっていたケース。
- 浅生
- 相対として「なんかおもしろいかも」
という雰囲気はあるんですが、
冷静に考えると、そんなにおもしろくないんですよ。
- 糸井
- おもしろかったですよ。
「それはこの人が言ったことなかったな」
という変なおもしろさがたくさんあった。
たくさんツイートして、
たくさんのツイートを見たでしょう。
あれ、ほぼ24時間やってましたよね。
- 浅生
- いや、あれはほぼやってないんですよ。
リプライやリツイートも前日に翌日分を仕込んで、
全部タイマーで設定するんです。
そうするとリツイートされた本人だけはわかるんですが、
普通に見ているほとんどの人たちには
リアルタイムツイートのように見えるんです。
- 糸井
- 「本人よりも、見ているだけの人のほうが多い」
ということをわかってやってたんだね。
ツイッターって結局、本人は1人だもんね。
- 浅生
- 何だかんだ言っても絞り込むと1対1のやりとりなので、
その1対1を他人にどう見せるかという部分だけ
演出してあげると、すごくやってるように見える。
普段は番組を作ったりしていたので、
24時間ツイートはちょっと無理です。
- 糸井
- でもぼく、NHK_PRさんと何回か
リアルタイムでやりとりしたことがあるよ。
- 浅生
- リアルタイムをたまに混ぜるんです。
嘘にほんとを少し混ぜると、
全部がほんとに見えるっていう。
それは映像もそうですよね。
CGに実写の人を何人か混ぜると全部が実写に見えてくる。
まさにそういう感じです。
- 糸井
- そうか。とてもなるほどですね。
構造で考えるというか、
作戦考えるのはわりとお好きなんですね。
- 浅生
- 分析して構造を考えて、
どこに何を置いて何を言えばいいか。
そういうことを考えるのは結構好きです。
- 糸井
- 戦国時代の人みたいですね。
東日本大震災の直後に
NHKのニュース番組のインターネット中継を
独断で許可したというあの事件は、
日本のSNS史上に残るぐらいの決断だと思うんですけど、
あれは自分からやったんですか?
- 浅生
- 「インターネット中継なら、
被災地の人でも見られるのでは」
というツイートをもらって、初めて知ったんです。
やると決めたのは自分ですが、
自分で探して見つけたわけではないので、
人から言われてやったようなものです。
- 糸井
- まぁ、それはそうだろうけどね。
見つけてくるところまでは無理だよ。
NHKの人がそれをやったというのが、結構な衝撃でした。
- 浅生
- 「リツイートしてほしい」という意見をもらって
「これはやるべきだな」と思って。
- 糸井
- 逆らって磔になったわけではなく、
その大きな波が読めた瞬間でもありました。
「これは決断するでしょう」という雰囲気もあったよね。
- 浅生
- いいことですから。
震災のあとにCMを作ったのですが、
それもNHK時代に自分で決断して進めた仕事のひとつです。
「絆」というワードがたくさん出てきた頃、
東北に向けて絆の話をするより、
「神戸のいま」というCMを作ろうとしたんです。
「神戸は17年経って日常を取り戻しました」
ということを伝えたかったのですが、NHK内では
「なぜ東北じゃなく神戸なんだ」という意見が出ましたね。
- 糸井
- 東北の人たちは、神戸が17年かかったという話を聞いて、
すごくがっかりしたの。
だからじゃないかな。
あのとき、2年すら長く感じていたんだもの。
- 浅生
- 17年前に大変な思いをした神戸にも、
笑顔で暮らす日常があるということを伝えたかったんです。
ただやはり傷つけてしまうことは怖かったので、
東北の方々に意見を聞いて回りました。
- 糸井
- 概念とかロジックでものを語れる人と、
今の気休めがほしいという人がどちらもいて、
両方が必要なんだよね。
そういう時、歌というのは、とてもいいんです。
あの頃はそんなことをたくさん考えさせられた時期だった。
- 浅生
- そういう意味でいうと、
ぼくは「これからユルいツイートします」
と書いたときが、1番緊張しました。
「今から日常的なことをやります」と言うことで
1人で舵を切ろうとしていたので。
半日くらい悩んで、
何度もツイートを書き直して、やっと。
- 糸井
- ぼくも、翌々日に寄付の話を出したときは、
迷ったし恐怖だった。
本当に嫌な間違え方をすると
「ほぼ日」の存続に関わる問題だから。
それでもやったのは、
誰かが募金箱に千円、あるいは百円を入れて終わり。
という感覚と、ニュースで見た映像とが
どうしても釣り合いが取れないと思ったから。
それが何だか辛かったんですよね。
痛みを共有しないといけないと、思ったんです。
(つづきます)