浅生鴨さんの
嘘のようで、ほんとの話。
第3回 「あっち側にいるかもしれない」不安。

- 糸井
- 神戸では、震災も経験されて。
- 浅生
- 揺れたときはいなかったんですよ。
- 糸井
- あ、そうですか。
- 浅生
- 当時、座間のほうにある、
大きな工場みたいなところで働いてて。
そこの社員食堂のテレビを見てたら、
ワーッと燃えてるんですけど、
死者が2千人、3千人になるたびに、
周りで盛り上がるんですよ。
「おぉーっ」とか、
「2千超えたー」「3千いったー」
みたいな感じで。
ちょっとゲーム観てるみたいな
感じで盛り上がっていて、
それが耐えられなかったんです。
だからすぐに神戸に戻って、そこから水運んだり、
避難所の手伝いしたりっていうのをしばらくやって。
- 糸井
- お母さんも、神戸にはいなかったの?
- 浅生
- うち、山のほうなので、家自体は大丈夫でした。
祖父母の家が潰れちゃったりはしたんですけど。
とにかく帰ったときは、まだ街が燃えてる状態で。
友達もずいぶん下敷きになって燃えたりとか。
- 糸井
- あれが神戸じゃなかったら、
受け止め方はまた違ったでしょうか。
- 浅生
- 全然違うと思います。

- 糸井
- もしあれが実家のある場所じゃなかったら。
- 浅生
- 多分、ぼく行ってないと思います。
もしかしたら「2千人超えたー」って
言う側にいたかもしれない。
そこだけは、ぼくが常に「やったー」って
言う側にいないとは言い切れないんで、
むしろ言っただろうなという。
- 糸井
- それは、すごく重要なポイントですね。
「自分が批難してる側にいない
っていう自信のある人ではない」
っていうのは、大事ですよね。

- 浅生
- いつも、自分が悪い人間だっていうおそれがあって。
人は誰でもいいところと悪いところがあるんですけど、
自分の中の悪い部分がフッと頭をもたげることに対する、
恐怖心もすごくあるんですよ。
だけど、それは無くせないので。
「ぼくはあっち側にいるかもしれない」っていうのは、
わりといつも意識はしてますね。
- 糸井
- そのとき、その場によって、
どっちの自分が出るかっていうのは、
そんなに簡単にわかるもんじゃないですよね。
- 浅生
- わからないです。
- 糸井
- 「どっちでありたいか」っていうのを
普段から思ってるっていうことまでが、
ギリギリですよね。
- 浅生
- 「何かあったら俺が身体を張って
お前たちを守ってみせるぜ」
みたいなマッチョなことを言う人もいますけど、
いざその場になったら、
その人が最初に逃げることだって十分考えられて。
多分、それが人間なので。
そう考えると、いつも不安はあって……。
「もしかしたら自分はみんなを捨てて逃げるかもしれない」
っていう不安も持って生きてるほうが、
いざというときに、
踏みとどまれるような気はするんですよ。

- 糸井
- 選べる余裕みたいなものを作れるかどうか、
どっちでありたいかっていう。
それは、
「このときも大丈夫だったから、こっちを選べたな」
っていうことは足し算ができるような気がするんだけど、
一色には染まらないですよね。
- 浅生
- 染まらないです。
(つづきます)