もくじ
第1回浅生鴨ができるまで。 2016-10-18-Tue
第2回阪神大震災を経験して 2016-10-18-Tue
第3回自発的に取り組んだ仕事 2016-10-18-Tue
第4回小説家・浅生鴨 2016-10-18-Tue
第5回ニヤニヤして生きていきたい 2016-10-18-Tue

1983年長野県生まれ。フリーランスで漫画の編集、雑誌のライター、実家の漆器屋の仕事をしています。

中の人から表の人へ。

中の人から表の人へ。

第2回 阪神大震災を経験して

糸井
そのあと、神戸の震災に遭ったんですね。
浅生
当時ぼくは、座間のほうにある大きな工場で働いていたので、揺れた瞬間は神戸にいなかったんです。工場の社員食堂のテレビを見てたらワーッと燃えてて、死者が2千人、3千人と増えるたびに「2千超えたー」「3千いったー」みたいな感じで盛り上がってるのが、ちょっと耐えられなくて。それですぐに神戸に戻って、そこから水を運んだり、避難所の手伝いしたりっていうのをしばらくずっとやっていました。
糸井
お母さんも、その現場にはいなかったの?
浅生
うちは山のほうなので、家自体は大丈夫でした。祖父母の家が潰れちゃったりはしたんですけど。帰ったときは、まだ街が燃えてる状態で、友達もずいぶん下敷きになってしまったり、火事にあってしまったり。神戸の場合は下敷きというより、火事がひどかったんです。
糸井
もし震災が実家のある場所じゃなかったら、また違ってたかしらね。
浅生
全然違うと思います。多分、ぼく行ってないと思います。もしかしたら「2千人超えたー」って言う側にいたかもしれない。そこだけは、ぼくが常に「やったー」って言う側にいないとは言い切れません。むしろ言っただろうなという。
糸井
それは、すごく重要なポイントですね。
浅生
ぼくはいつも、自分が悪い人間だっていう恐れがあって。人は誰でもいいところと悪いところがあるんですけど、自分の中の悪い部分がフッと頭をもたげることに対する恐怖心もあるんですよ。だけど、それは無くせないので。「ぼくはあっち側にいるかもしれない」っていうのは、わりといつも意識はしてますね。
糸井
そのとき、その場によって、どっちの自分が出るかっていうのは、そんなに簡単にわかるもんじゃないですよね。
浅生
わからないです。「もしかしたらぼくはみんなを捨てて逃げるかもしれない」って不安も持って生きてるほうが、いざというときに踏みとどまれるような気はするんですよ。
糸井
選べる余裕みたいなものを作れるかどうか。それは「このときも大丈夫だったから、こっちを選べたな」と、足し算ができるような気がするんだけど、一色には染まらないですよね。
浅生
染まらないです。

浅生
神戸ではかわいい、かわいい、本当に頭のいい犬を飼ってたんです。実家は広い庭があって、庭が山につながってるような場所だったので、そこで放し飼いにしてたんです。
糸井
どういうところに暮らしてたのか、前に地図を見たら、たしかにとんでもないそういう場所でしたね。
浅生
山ですよね。
糸井
神戸っていうと、みんなおしゃれタウンを想像しますけど、山ですね、ずいぶん。
浅生
多分神戸市って、南の港のほうはごく一部なのかな。面積的には、北のわりと広い範囲が山だったりするので。
糸井
ほぉ。ま、そういうところに犬がいた。
浅生
子犬のときから半野生のようなワイルドな犬だったんですね。だから、勝手にどっかに行ってて「ご飯だよー」って呼ぶと、山の向こうから「ワウワウ!」って言いながら、ガサガサっと現れるような。ぼくが東京に出てきて、うちの親も震災のあと東京に出てくるんですけど、そのとき犬は連れてこれなかったんです。うちの母は、東京と神戸を行ったり来たりして、犬のためにエサとか水とかを用意してました。犬は犬で山の中に水場があるので、水はそこで飲めるし。
糸井
うん。
浅生
ぼくが神戸に帰るたびに、大声で呼ぶと山の中から現れてたのに、ある日ついに現れなくなったんですよ。普通に考えると年を取ってたし、山の中で亡くなったんだろうなと思うんですけど。姿を見ていないので、亡くなったって信じきれなくて。山の中でまだ生きているんじゃないかなっていう思いが1つと、もう1つは、ぼくと母が東京に来ちゃってる間、時々家に戻ってきたときに誰もいないくて、淋しかっただろうなっていう。本当に悪いことしたなと思っています。
第3回 自発的に取り組んだ仕事